半七捕物帳 62 歩兵の髪切り / 岡本綺堂

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地名一覧

吾妻橋

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ことを厭うらしく、侍はひと足さきに別れて出て、吾妻橋の方角へ真っ直ぐに立ち去った。歩兵は後に残って、暫くぼんやりと考えて

金杉

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、代地の二人組は女の髪を切って行った。金杉の二人組は自分の髪を切っている。時刻から考えると、浅草の奴

致しませんでしたが、同じ二十四日の晩に、下谷金杉の高崎屋という質屋へも二人組の押込みがはいりました。その一人は髪

有馬

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猫のたぐいが棲んでいないとは限らない。蠣殻町の有馬の屋敷の火の見櫓には、一種の怪物が棲んでいたのを火の番の

れ、それが瓦版の読売の材料となって、結局は有馬の猫騒動などという飛んでもない怪談を作りあげてしまった。そんな例は

江戸

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も赤坂やなんぞのようなものじゃあありません。さすがに江戸らしい気分が残っていますね」と、老人も云った。「今もあの

老人の口から江戸の髪結床のむかし話を聴かされたのは、三馬の浮世床を読まされるより

には誰でも構わずに採用することになって、江戸近在のやくざ者までが紺木綿の筒袖を着て、だん袋のようなものを

蛤御門の事変から江戸にある長州藩邸はみな取り壊しになったが、去年の八月、麻布竜土町

の次男で、実家もまあ相当にやっている。本人は江戸へ出て若党奉公でもしたいと望んでいるところへ、江戸で歩兵を

出て若党奉公でもしたいと望んでいるところへ、江戸で歩兵を募集する事になったので、早速に願い出て、三番隊

「江戸に親類はねえのか」

この頃の江戸はまったく物騒で、辻斬りや押込みの噂は絶えない。単にそれだけならば、

内神田

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その当時の内神田はこんにちの姿とまったく相違して、神保町、猿楽町、小川町のあたりはすべて

鮎川

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仕業だと云い慣わしていました。そこで、前の鮎川に飛び付いたのは、猿の仕業らしくもある。後の増田に飛びかかったの

赤坂

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それは半七老人であった。赤坂に住んでいる老人が深川まで髪を刈りに来るのかと、わたしも少し

が済まないので、その明くる晩、寒い風を衝いて赤坂へ出かけると、老人はすこし感冒の気味だと云うので、宵から早く床

あくる年の正月五日の午後、赤坂へ年始まわりに行くと、老いてますます健かな老人は、元気よく新年の挨拶

両国

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旦は流行りましたが、そう長くは続かないので、後には両国を引き払って、諸方の宮地や寺内で興行したり、近在の秋祭りなぞへ持ち廻

もう一つ、豹と云い出したわけは、二年ほど前に西両国で豹の観世物を興行した事がありました。珍らしいので、一旦は流行りまし

湯島天神

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何か立ち話をして立ち去るらしい。よく見ると、それは湯島天神下の藤屋という小料理屋の女中であった。

「いえ、これもあなたが御存知のない者で……。湯島天神の藤屋という小料理屋に女中奉公をしているお房という女がござい

下谷

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「この頃はどうも物騒でいけません。ゆうべ下谷金杉の高崎屋という小さい質屋へ押込みがはいりました」

髪を切っている。時刻から考えると、浅草の奴が下谷へ廻ったと思われねえこともねえが、代地で盗んだ代物をどう

は身分不相当の大金を持っているので、こいつが下谷の押込みではないかと睨みまして、きびしく吟味すると案の通りで

を致しませんでしたが、同じ二十四日の晩に、下谷金杉の高崎屋という質屋へも二人組の押込みがはいりました。その一人

水戸

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たので、彼は葉桜の下を択って歩いた。水戸の屋敷の大きい椎の木がもう眼の前に近づいた頃に、堤下

「きのうの午過ぎに、向島の水戸さま前の堤下で、怪しい者を召し捕りました」と半七は説明した

深川

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ので、天気のいいのを幸いに、俄かに思い立って深川へ足を向けた。

、一つの思い出がある。江戸以来、歳の市の始まりは深川八幡で、それが十四、十五の両日であることは、わたしも子どもの

は半七老人であった。赤坂に住んでいる老人が深川まで髪を刈りに来るのかと、わたしも少し驚いていると、それ

「以前は深川で芸者をしていたのを、ある旦那に引かされて、おふくろと

出かけて、お房になじんでいるのも事実である。深川海辺河岸の万華寺というのが遠縁の親類にあたるので、そこの

た。手向かいするのをおさえて、だんだん詮議いたしますと、深川海辺河岸の万華寺の納所あがりで、良住という者でございました。

神田

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ここの理髪店の主人は、そのむかし神田に床を持っていて、半七老人とは江戸以来の馴染である

その当時の半七は神田三河町に住んでいたのであるから、小川町から遠くない。お

小川町

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の二月から三月にかけての出来事で、半七が小川町の歩兵屯所へ呼び出されたのは三月二十五日の朝であった。

武家屋敷で、町屋は一軒もなかったのである。小川町の歩兵屯所も土屋采女正と稲葉長門守の屋敷の建物はみな取り払われて

内神田はこんにちの姿とまったく相違して、神保町、猿楽町、小川町のあたりはすべて大小の武家屋敷で、町屋は一軒もなかったので

半七は神田三河町に住んでいたのであるから、小川町から遠くない。お房に別れてひと先ず自分の家へ帰ると、亀吉

神保町

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その当時の内神田はこんにちの姿とまったく相違して、神保町、猿楽町、小川町のあたりはすべて大小の武家屋敷で、町屋は一軒

浅草

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「まぜっ返しちゃあいけねえ。実はゆうべ、浅草の代地河岸のお園という女の家へ押込みがはいって、おふくろと

「実は午過ぎに幸次郎が来て、ゆうべ浅草の代地のお園という囲い者の家へ、二人組の押込みがはいって、

人組は自分の髪を切っている。時刻から考えると、浅草の奴が下谷へ廻ったと思われねえこともねえが、代地で盗ん

「あなたは二十四日の晩、浅草代地河岸のお園という女の家へ押込みがはいったのを御存知でしょう

小岩

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カマを掛けて訊いても判ります。その旦那は近所の小岩という駕籠屋から乗って帰ることもあるそうですから、駕籠屋に訊いても

大宮

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「こりゃあ江戸者じゃあありません。武州大宮在の百姓の次男で、実家もまあ相当にやっている。本人は江戸

ほぼ同様であった。第二小隊の鮎川丈次郎は武州大宮在の農家の次男で、年は二十三歳で、歩兵仲間にはめずらしい色白

「知れません。幸次郎をやって、鮎川の故郷の大宮在を探索させましたが、そこへも立ち廻った形跡がありませ

向島

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て、きょうのドンタクに外出を許された彼は、この向島の小料理屋でどこかの侍と密会している。お房の兄の米吉

「きのうの午過ぎに、向島の水戸さま前の堤下で、怪しい者を召し捕りました」と半七は説明