虎 / 岡本綺堂
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つけていると、嘉永四年四月十一日の朝、荏原郡大井村、すなわち今の品川区鮫洲の海岸に一匹の鯨が流れ着いた。」
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の虎とは縁が遠い。そんなわけだから、世界を江戸に取って虎の話をしろというのは、俗にいう『無いもの喰おう
はじめて、その臭気は鼻をつくという始末。物見高い江戸の観客もこれには閉口して、早々に逃げ出してしまうことになる。その
帰ったか、そこまでは聞き洩らしたが、その大猫を江戸まで抱え込むのは、一仕事であったに相違あるまい。ともかくも本所の家
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五十の独り者。友蔵は卅一、幸吉は廿六で、本所の番場町、多田の薬師の近所の裏長屋に住んでいる。幸吉はまだ独り身だ
のは、一仕事であったに相違あるまい。ともかくも本所の家へ帰って来ると、弟の幸吉はその猫をみてたいへんに喜ん
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十月、友蔵は女房のお常をつれて、下総の成田山へ参詣に出かけた。もちろん今日と違うから、日帰りなぞは出来ない。その帰り道
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がいいね。表向きの女房ではないが、お常は奥山の茶店に奉公しているうちに、かの由兵衛と関係が出来て、毎月幾ら
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た。二人はいつも組合って、両国の広小路、すなわち西両国に観世物小屋を出していた。
蔵、幸吉という兄弟があった。二人はいつも組合って、両国の広小路、すなわち西両国に観世物小屋を出していた。
ろうが、江戸時代には観世物がひどく流行った。東西の両国、浅草の奥山をはじめとして、神社仏閣の境内や、祭礼、縁日の場所には、
し物の選択には、彼らもなかなか頭を痛めるのだ。殊に両国は西と東に分れていて、双方に同じような観世物や、軽業、浄瑠璃、芝居、
両国と奥山は定打で、ほとんど一年じゅう休みなしに興行を続けているのだから
さんに列んでいても、そのなかに入りと不入りがある。両国の観世物小屋にもやはり入りと不入りはまぬかれないので、何か新しい種を
てたいへんに喜んで、これは近年の掘出し物だという。両国の小屋に出ている者も覗きに来て、こんな大猫は初めて見たとおどろいてい
るのだ。いや、笑っちゃいけないというのに……。昔の両国の観世物なぞは大抵そんなものだ。」
ます落目になって来た。その由兵衛の耳にはいったのが両国の『虎の子』で、友蔵の小屋は毎日大入りだという評判。余人ならばともあ
、関係者一同は厳重に取調べられた。宣伝に事欠いて、両国の観世物に将軍御上覧の名を騙るなぞとは言語道断、重々の不埓とあって、
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もちろん今日と違うから、日帰りなぞは出来ない。その帰り道、千葉の八幡へさしかかって例の『藪知らず』の藪の近所で茶店に
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(例)品川区鮫洲の
四月十一日の朝、荏原郡大井村、すなわち今の品川区鮫洲の海岸に一匹の鯨が流れ着いた。」
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、老人は顔をしかめる。「これが明治時代ならば、浅草の花屋敷にも虎はいる。だが、江戸時代となると、虎の
江戸時代には観世物がひどく流行った。東西の両国、浅草の奥山をはじめとして、神社仏閣の境内や、祭礼、縁日の場所
今日の浅草公園へ行ってみても判ることだが、同じような映画館がたくさんに
、『ざまあ見やがれ。文句があるなら、いつでも浅草へたずねて来い』と勝閧をあげて立去った。」
で関係者の戸籍調べをして置く必要がある。由兵衛は浅草の山谷に住んでいて、ことし五十の独り者。友蔵は卅一、幸吉
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ない。五十二年前の寛政十年五月朔日に、やはり品川沖に大きい鯨があらわれた。これは生きて泳いでいたのを、