半七捕物帳 50 正雪の絵馬 / 岡本綺堂
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には見あたりませんでした。御承知の通り、あすこには玉川の上水が流れて居りまして、土手のむこうは天竜寺でございます。その
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ねえか。朝の五ツ半(午前九時)までに大木戸へ行って待ち合わせていてくれ」
もう汗ばんで来た。羽織をぬいで肩にかけて大木戸まで行き着くと、亀吉は約束通り待っていた。
大木戸から更に塩町へ引っ返して、大津屋の店さきへ来かかった頃には、三月末
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絵馬として名高いものでした。わたくしが見たのは江戸の末で、慶安当時から二百年も経っていましたから、自然に板
合いじゃあねえ。殊に堀ノ内の先だと云うのだから、江戸の町方の出る幕じゃあねえ。おれ達は頼まれただけの仕事をして
なるんですが、昔もなかなか賑やかな土地で、近在の江戸と云われた位でした。淀橋は長さ十間ほどの橋で、橋
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二人は堀ノ内へまわって、遅い午飯を信楽で食って、妙法寺の祖師に参詣した。その帰り路で、半七は又云い
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。だが、旧い店だけに身上は悪くも無いらしく、淀橋の方に二、三軒の家作も持っているそうです」
始めるかも知れないというので、江戸近在の目黒、淀橋、板橋、そのほか数カ所に火薬製造所をこしらえて、盛んに大筒小筒の鉄砲玉を
「そうですよ。わたくしの出逢ったのは淀橋でした。御承知の通り、ここは青梅街道の入口で、新宿の追分から角筈
三日目、即ち三月二十八日の晩に、重兵衛は淀橋にある自分の家作を見まわりに行って、それから千駄ヶ谷の又助という建具屋
孤芳をせき立てて、夜逃げ同様に新宿を立ち退かせて、淀橋の街はずれに引っ越させました。そこには大津屋の家作が二軒あって、
湯屋へ行く振りをして、塩町の大津屋をぬけ出して、淀橋の孤芳の家へ尋ねて行きました。孤芳が万次郎を引っ張り込んで
ことになりました。六月十日の夜、重兵衛が淀橋へ泊まりに行ったのを突きとめて、わたくしと亀吉が出かけました。幸次郎も
十一日の朝まで引っかかったので……。わたくし共が淀橋へ行き着いたのは十日の夜四ツ半(午後十一時)頃、寝込み
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それを早くも聞き込んだのは、四谷坂町に住むお城坊主牧野逸斎の次男万次郎であった。万次郎も「絵馬の
なげに答えた。「親分も知っていなさる通り、四谷坂町に住んでいるお城坊主の牧野逸斎、その長男が由太郎、次男が万次郎
に駈け落ちなどをした様子はない。万次郎は相変らず四谷坂町の実家に住んでいる。大津屋では娘の家出を秘密にして、病気
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に案内されて遠慮勝ちにはいって来たのは、四谷の大木戸ぎわの油屋で、これも旧家として知られている丸多と
元来た道を四谷へ引っ返して、大木戸ぎわの丸多の店へ立ち寄ると、主人多左衛門のゆくえ
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「追分の高札場のそばの土手下で……」
。御承知の通り、ここは青梅街道の入口で、新宿の追分から角筈、柏木、成子、淀橋という道順になるんですが、昔もなかなか
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、万次郎と大津屋とはぐるだろうと思いますね。それから大津屋へ出入りの女絵かきは、孤芳という号を付けている女で
厄介になっている。こいつも絵馬道楽のお仲間で、大津屋へも出這入りをしているうちに、今も亀が云う通り、大津屋
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たんですが、五月の末頃になると、重兵衛が下谷の方から古着屋を呼んで来て、娘の夏冬の着物を相当
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老人は六畳の座敷の縁側に近いところに坐って、東京日日新聞を読んでいた。老人は歴史小説が好きで、先月から連載中
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ますかね。半里あまりも行ったところに和田村、そこに大宮八幡というのがあります。今はどうなっているか知りませんが
一種の好奇心も手伝って、会員の幾人かはその後大宮八幡へ見とどけに行くと、かの絵馬は依然として懸かっているので
もう青葉だなどと話しながら、畑道のあいだを縫って大宮八幡の門前へ辿り着くまでに、二人は途中の百姓家で幾たびか道を
神仏混淆の時代であるから、この八幡の別当所は大宮寺という寺であった。半七は別当所へ行って、自分たちの
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専門の絵馬屋という商売が幾軒もありまして、浅草茅町の日高屋なぞは最も旧家として知られていました。これ
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」と、半七は笑った。「それじゃあ真逆に近所の新宿へ熱くなったというわけでもあるめえ。一体どんな道楽が過ぎたの
内藤新宿の追分から角筈、淀橋を経て、堀ノ内の妙法寺を横に見ながら、
二十三四、容貌もまんざらで無く、まだ独身で、新宿の閻魔さまのそばに世帯を持っているそうです。そこで、まだはっきり
、彼は太宗寺の方角へ足を向けた。それは新宿の閻魔として有名の寺である。その寺に近いところに、小さい
でした。御承知の通り、ここは青梅街道の入口で、新宿の追分から角筈、柏木、成子、淀橋という道順になるんですが、
うちに、いつか重兵衛の世話になるようになって、新宿の太宗寺のそばに世帯を持って、まあ囲い者といったような形
遠ざける為に、だしぬけに孤芳をせき立てて、夜逃げ同様に新宿を立ち退かせて、淀橋の街はずれに引っ越させました。そこには大津屋の
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ので、半七は暖か過ぎるのを我慢して出ると、神田から山の手へのぼる途中でもう汗ばんで来た。羽織をぬいで肩に
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戦争を始めるかも知れないというので、江戸近在の目黒、淀橋、板橋、そのほか数カ所に火薬製造所をこしらえて、盛んに大筒小筒
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は淀橋にある自分の家作を見まわりに行って、それから千駄ヶ谷の又助という建具屋へ寄って、雨戸一枚と障子二枚をあつらえ
その一軒は空家になっていたんです。重兵衛が千駄ヶ谷の建具屋に雨戸や障子を頼んだのも、孤芳をここへ引っ越さ
が、そのあいだに亀吉は又こんなことを聞き出しました。千駄ヶ谷の建具屋の又助が重兵衛の註文をうけて、淀橋の家作に雨戸を