平造とお鶴 / 岡本綺堂
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十石取りの旗本でございましたが、元年の四月に江戸を脱走して奥州へまいりました。その時に用人の黒木百助と、
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ございましたが、元年の四月に江戸を脱走して奥州へまいりました。その時に用人の黒木百助と、若党の村田平造も
ましたのでございます。平造は案の通り、無事に奥州から落ちてまいりまして、それから横浜へ行って外国商館に雇われている
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ていた若党の村田平造という者で、維新後は横浜の外国商館に勤めている。この六月、両国の広小路で偶然かれにめぐり逢っ
の通り、無事に奥州から落ちてまいりまして、それから横浜へ行って外国商館に雇われていると申すことで、四年のあいだに
はひどく気の毒がりまして、その後は毎月二、三度ずつ横浜から尋ねて来て、いろいろの面倒を見てくれますばかりか、来るたびごと
や勤め先を明らかにしていないことであった。単に横浜の外国商館に勤めているというだけで、かれはその以外のことをなんに
あるが、それがどうも疑わしいので、念のために横浜の外国商館を取調べてみたが、どこにも村田平造という雇人はなかっ
かの平造が横浜の商館に勤めているというのは嘘で、彼はある女盗賊の手下
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で、維新後は横浜の外国商館に勤めている。この六月、両国の広小路で偶然かれにめぐり逢ったのが始まりで、その後親切にたびたび尋
延びたものであろうと存じておりますと、昨年の六月、両国の広小路でふとめぐり逢いましたのでございます。平造は案の通り、無事に
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明治四年の冬ごろから深川富岡門前の裏長屋にひとつの問題が起った。それは去年の春から
も村田平造という雇人はなかった。彼はその後、深川の旧主人の店に再びその姿をみせなかった。
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その四月の花見に、ここの町内のひと群れが向島へ繰出すと、群集のなかに年ごろ三十二、三の盛装した婦人と二十六