箕輪心中 / 岡本綺堂
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「遠い甲州へ追いやられるのだ。つまり山流しの格だ」
ない。外記はそれすらも敢えて恐れなかったが、万一遠い甲州へ追いやられたら、しょせん綾衣に逢うすべはない。二人を結び合わせた堅いきずなも
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上野の森は酔ったように薄紅く霞んで、龍泉寺から金杉の村々には、小さな凧が風のない空に二つ三つかかってい
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が、くるわに育った自分の眼から見れば、五百石や千石はおはぐろ溝へ流す白粉の水も同じことである。百万石でも買わ
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「番町のお屋敷へ行ったの」
お時は番町のお屋敷へあがるたびに、いろいろのお土産を頂いて帰るのが例であった
「番町さまのありがたい御恩を忘れちゃ済まないぞ」と、お時は口癖のよう
とはいわゆる乳兄弟のちなみもあるので、お時が番町の屋敷へ行くたびに、外記の方からも常に十吉の安否をたずねて
のお家が亡びるようにも感じられたので、彼女は番町の屋敷を出ると、さらに市ヶ谷までとぼとぼと辿って行った。
「番町の殿様お待ちかねでござります」と、女房は笑顔を粧った。「すぐ
あるだけに、綾衣の客の素姓も容易に知れた。番町の旗本藤枝外記とすぐに判った。外記は同役に誘われて、今夜初めて
この頃のお時の胸をいっぱいに埋めているのは、番町の殿様の問題であった。箕輪と山の手と懸け離れていては、そうたびたび
蔓ばかり無暗に伸びて来たのが眼に立った。番町の藤枝の屋敷もひっそりと門を閉じて、塀の中からは蝉の声
甥を殺す余儀ない事情を訴えて、その足ですぐに番町へ廻って来たのである。彼は初めに甥を説得して詰め腹を
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は蔵びらきという十一日もきのうと過ぎた。おととしの浅間山の噴火以来、世の中が何となくさわがしくなって、江戸でも強いあらしが続く。諸国
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金龍山の明け六つが鳴るのを待ち兼ねていたように、藤枝の屋敷から
ながら、さっきまで他愛もなく笑ってしゃべっていたが、金龍山の四つの鐘が雪に沈んできこえる頃からそろそろ鎮まって、禿の声
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の浅間山の噴火以来、世の中が何となくさわがしくなって、江戸でも強いあらしが続く。諸国ではおそろしい飢饉の噂がある。この二、
連れのひとりは此の時代の江戸の侍にありがちな粋な男であった。相方の玉琴にも面白がら
も、その年々の取米は決まっている。まして今の江戸の世界では武家よりも町人の方が富貴であることは、客商売の廓
ば子細はない。男の家さえ繁昌していれば、江戸のどこかの隅に囲われて、一生をあわれな日蔭者で過そうとも、
あるが、まず一種の島流し同様で、大抵は生きて再び江戸へ帰られる目当てはない。一生を暗い山奥に終らなければならないので、
無名の詩人が二人の恋を唄い出して、その声は江戸の町々に広く伝えられた。
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売りに出る。遊女もそぞろ歩きを許されて、今夜ばかりは武蔵野に変ったような廓の草の露を踏み分けながら、思い思いに連れ立ってゆく。
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は赤裸にして手足を縛って、荒菰に巻いて浄閑寺へ投げ込むという犬猫以上の怖ろしい仕置きを加えても、それはいわゆる「亡八の
堤下の浄閑寺で夕の勤めの鉦が途切れとぎれに聞えた。
きざんでゆく鉦の音は胸に沁みるようであった。浄閑寺は廓の女の捨て場所であるということも、今更のように考えられ
哀れな亡骸は粗末な早桶を禿ひとりに送られて、浄閑寺の暗い墓穴に投げ込まれる。そうした悲惨な例は彼女も今までにしばしば見
いい。心中してわれから命を縮めた者は、同じ浄閑寺の土に埋められながらも、手足を縛って荒菰に巻かれて、犬猫
へ招かれて行くであろう。自分のからだも、やがては浄閑寺へ送られて、土の下からあの鉦の音を聴くようになるのか
、今まで何を考えていたかも忘れてしまった。浄閑寺の鉦も耳へははいらなくなった。彼女はついと起って襖を明けて
二人は黙って顔を見合せた。浄閑寺の鉦がまたきこえた。
の死骸は藤枝家に引き取られたが、綾衣の死骸は浄閑寺に埋められた。新造の綾浪も綾鶴も一応の吟味を受けたが
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、殿様も奥様もお時に泣く泣く送られて、いずれも赤坂の菩提寺へ葬られてしまった。家督を嗣いだ嫡子の外記は十六歳で
きょうは盂蘭盆というので、五郎三郎は赤坂の菩提寺に参詣した。墓場には昼でも虫が鳴いていた。
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「しかし甲府勝手と来ると、少しむずかしい」と、男はまた投げ出すように言った。
「甲府勝手とは何でありんすえ」
暗い山奥に終らなければならないので、さすがの道楽者も甲府勝手と聞くとふるえあがって、余儀なく兜を脱ぐのが習いであった。
、支配頭から甲府勝手というのを申し渡される。表向きは甲府の城に在番という名儀ではあるが、まず一種の島流し同様で
どうしても手に負えないと見ると、支配頭から甲府勝手というのを申し渡される。表向きは甲府の城に在番という名儀
一間住居から甲府勝手、こうだんだんに運命を畳み込んで来れば、その身の滅亡は決まって
万々一いよいよ甲府勝手でも仰せ付けられたら、藤枝のお家はつぶれたも同様である。お
て来た。しかし放埒の噂はやはり消えないで、いよいよ甲府勝手を仰せ付けられるかも知れないなどという風説がお縫や三左衛門の胸
、外記はいよいよ募る放埒のたたりで、近いうちにかの甲府勝手を仰せ付けられることになった。本人はまだ知らないが、支配頭から
「おれはいよいよ甲府勝手になりそうだ」
「いよいよ甲府勝手とやらに決まりなんしたら、ぬしに再び逢う瀬はありんせんね
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ながら、悠々と腰を据えて話し込んでいた。寺は下谷にあるが、今どきに珍らしい無欲の僧で、ここらは閑静でいいと
汲んで来た番茶を飲みながら、きょうは朝から湯島神田下谷浅草の檀家を七、八軒、それから廓を五、六軒まわって来
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「いやじゃないけれども詰まらない。初午ならば向島へ行って、三囲りさまへでも一緒にお詣りをした方が
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雪が藁屋根の上に高くふわりと浮かんでいた。遠い上野の森は酔ったように薄紅く霞んで、龍泉寺から金杉の村々には
まだ上野か、と外記は案外に捗の行かないのを不思議に思った。と
自分が上野まで往復している間に、ほかの客が来たのではあるまい
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この母子がお屋敷というのは、麹町番町の藤枝外記の屋敷であった。藤枝の家は五百石の旗本で
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様、どうぞ末長く御出世遊ばすようにと、お時は浅草の観音さまへ願をかけて、月の朔日と十五日には必ず参詣
秋のすがたが白じろと見えて、十日の四万六千日に浅草から青ほおずきを買って帰る仲の町芸妓の袂にも、夜露がしっとり
ひときわ浮きあがって白かった。傘のかげは一つも見えない浅草田圃の果てに、千束の大池ばかりが薄墨色にどんよりとよどんで、まわり
、また気がかりであった。綾衣はすぐに遣手のお金を浅草の観音さまへ病気平癒の代参にやった。その帰りに田町の占い者
雪どけのぬかるみをふんで、お金は浅草へ参詣に行った。田町には名高い占い者があって、人相も観る
で来た番茶を飲みながら、きょうは朝から湯島神田下谷浅草の檀家を七、八軒、それから廓を五、六軒まわって来た
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られたので、彼女は番町の屋敷を出ると、さらに市ヶ谷までとぼとぼと辿って行った。
叔父の吉田の屋敷は市ヶ谷にあった。彼は三百五十石で、藤枝にくらべると小身ではあるが
が仲の町の駿河屋へ迎いに来た。ゆうべあいにく市ヶ谷の叔父さまがお屋敷へお越しなされて、また留守かときつい御
どもには相当遠慮もしなければならない。外には市ヶ谷の叔父を始めとして大勢のうるさい親類縁者が取り巻いている。これら
「それは当分沙汰止みになったらしい、市ヶ谷の叔父が不承知で……。叔父はずいぶん口喧ましいのでうるさいが、又やさしい
お縫がはいって来て、市ヶ谷の叔父さまがお出でになりましたと言った。外記は又かと
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の夕雛に逢った。夕雛は起請を取りかわしている日本橋辺のあきんどの若い息子と、睦まじそうに手をひかれて歩いてい
もならなかった。吉原で心中を仕損じた者は、日本橋へ三日晒した上で非人の手下へ引き渡すと定めても、それは
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だ。今は両親とも死に絶えてしまったが、綾衣は神田の生まれで、そこには遠縁の者があるとか聞いているので
が汲んで来た番茶を飲みながら、きょうは朝から湯島神田下谷浅草の檀家を七、八軒、それから廓を五、六軒まわって