探偵夜話 / 岡本綺堂
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思われないこともありません。警察でも築地河岸から芝浦、品川沖のあたりまでも捜索してくれたのですが、それらしい死体は
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後、久住は無禄移住をねがい出て、旧主君にしたがって駿府(静岡)へ行ったので、陪臣の箕部もまたその主君にしたがって駿府
行ったので、陪臣の箕部もまたその主君にしたがって駿府へ移ったが、もとより無禄というのであるから、どの人もなにかの
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溝口医師はそのころ麹町の番町で開業していた。今でも番町の一部はあまり賑かではないが
そのころ麹町の番町で開業していた。今でも番町の一部はあまり賑かではないが、明治初年の番町辺はさらにさびしかった。
も番町の一部はあまり賑かではないが、明治初年の番町辺はさらにさびしかった。元来がほとんど武家屋敷ばかりであった所へ、維新の
した。それにつけても父がむかし住んでいた番町の屋敷というのはどんな所であるか、一度は見たいような気も
雨がふり出して来た。前にもいった通り、番町辺は殊に暗いので、お銀は家から用意して行った提灯のひかり
たっきりで、その後の便りを聞かない。久住の屋敷は番町のしかじかというところだということで、総てがいちいち符号していますから
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被害は和泉屋だけに過ぎなかった。その二分の金は宇田川町で捕えられたときに振り落としてしまったのか、それとも誰かの手
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にこういう雑報が掲載されていた。京橋築地の土佐堀では小鯔が多く捕れるというので、ある大工が夜網に行くと
や書翰を得るは稗史野乗の核子なれど茲に築地の土佐堀は小鯔の多く捕れる処ゆゑ一昨夜も雨上りに北鞘町の大工喜三郎が築地橋
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方にいたとの話であった。修行のために奥州の方角を廻るつもりで、この街道を托鉢しながら通る途中、かのありがたい石地蔵
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「いや、同類じゃない。それは高崎のやはり糸商人で、小間使のように見えた若い女は彼の妾であっ
、すきを見てその紙入れを掏り取ってしまった。男は高崎の家へ帰ってからそれを発見して、すぐに警察へ告訴すればいい
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開け切って、ほとんど昔のおもかげを失ってしまったが、江戸の絵図を見ればすぐにわかる通り、江戸時代から明治の初年にかけて高輪
は維新の際に脱走して越後へ行った。官軍が江戸へはいった時におとなしく帰順した者は、その家屋敷もすべて無事であった
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米国から買って来たというのは嘘で、実は横浜の米国人から貰ったのであるが、どっちにしてもそれが剣魚の
ない。この事件が解決すると同時に、水沢は早々に横浜へ帰ったので、僕はお島さんから預かっていたハンカチーフを返して
よく知っている者はなかったが、神奈川の生まれで、横浜でも少しばかり稼いでいたことがあると本人自身は言っていた。
「ええ。なんでも横浜にも神戸にも久しくいたことがあるとかいって、日本の言葉も
とのあいだに生まれた女であったんです。ダルトンが横浜に住んでいた時に、小鉄のおふくろを妾同様にしていて、
してしまって、小鉄が小学校を卒業すると同時に、横浜のある芸妓屋へ半玉にやった。小鉄もこのおふくろのためには随分苦しめ
かのダルトンという老人が突然にあらわれた。ダルトンは久し振りで横浜へ帰ってくると、小鉄のおふくろはもう死んでしまった。娘のゆくえは
ても、もうジャワの方へは渡らないで、ここから横浜へ辞表を送って、すぐに本国へ帰ってしまったということです。」
ていたのだ。今度も汽車のなかで心安くなった横浜の糸商人をうまく引っ掛けて、越後の宿屋へくわえ込んだのだが、仕事が
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を退転してしまって、そのゆくさきも判らなかった。さらに四谷をたずねると、これも行くえ不明であるので、お筆は実にがっかりし
出て、正規の手続きを済ませてお蝶のなきがらを四谷の寺に葬った。溝口家からは警察にたのんで、事件を秘密に済まし
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なにしろ信越地方の二月の雪を衝いて、けさの一番汽車で発って来たので
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も散りはじめた頃である。定刻の午後六時までに小石川の青蛙堂へ着到すると、今夜の顔ぶれはこの間の怪談会とはよほど
こころ細くも身ひとつで東京へ出て来て、まず小石川へたずねて行くと、その人はとうにそこを退転してしまって、その
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。小鉄の身許をよく知っている者はなかったが、神奈川の生まれで、横浜でも少しばかり稼いでいたことがあると本人自身は
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れてしまったが、その古い屋敷の土塀のなかには武蔵野以来の建物で、今日ならば差しづめ古樹保存の札でも立てられそう
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それは五兵衛という六十ぐらいの百姓で、惣領のむすめは宇都宮の方に縁付いていて、長男は白河の町に奉公している。
五兵衛には宇都宮に縁付いている惣領娘のほかに、おげんという妹娘があって、それ
僕の郷里――君も知っている通り、宇都宮から五里ほども北へ寄っている寂しい村だ。それでも人家は
入れたのは今から三年ほど前で、それまでは宇都宮の方にいたとの話であった。修行のために奥州の方角
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「ええ。なんでも横浜にも神戸にも久しくいたことがあるとかいって、日本の言葉もなかなかよく
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を、いろいろになだめてすかして詮議すると、女は上州前橋の好子という若い芸妓であった。土地の糸商の上原という客
は女を連れて養家を飛び出した。男も女も再び前橋へは帰らない覚悟であった。男は二百円ほどの金を持って
男が果たして帰らなかったらば、女に旅費を持たせて前橋へ送り返してやろう。深田君は二つに一つの料簡をきめて、
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久住は無禄移住をねがい出て、旧主君にしたがって駿府(静岡)へ行ったので、陪臣の箕部もまたその主君にしたがって駿府へ
か、それも結局判らずに終ったわけです。警察から静岡の方へも照会してくれましたが、そこには今でも久住
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名は無蔵尼というのだそうである。生まれは京都だとか聞いているが、その優しい音声に幾らかの京なまりをとどめて
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は少なかったが、その頭に立っているお島さんは深川の生まれだというだけに、からだはいやにでぶでぶ肥っていたが
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ばかりで、その住所番地は書いてなかったが、消印が東京であることだけは確かに判った。佐山君はその郵便物を支店長の部屋
「向田大尉殿は東京へ行ったのですか。」と、佐山君は訊いた。
「それがあたしの性分ですから。それがために東京にもいられなくなって、上総三界までうろ付いているんですから。
の方でも少し迷っているらしいんです。なんでも東京から博士を呼んで、その魚をしらべて貰うんだとか言ってい
どうも取り留めた材料を見付け出さないらしかった。そのうちに東京から高名の理学博士が出張して来た。
翌月のなかばに僕も東京へ帰った。宿を発つときにお島さんは停車場まで送って来て
音はまだ止まない。わたしは炉の前で姉夫婦と東京の話などをしていると、突然に外からおばんの声を聞いた
「いいえ、構いません。東京の弟が参っているのですから。」と、姉は言った。
炉のまわりを賑わした。わたしが土産に持って行った東京の菓子を彼はよろこんで食った。
。今夜は非番で遊びに来たのである。彼は東京から来たという私に対しては、おばん式の土地訛りを聞かせなかっ
ているマレー・ストリートの日本人町へ自動車を向けさせて、東京式の屋号を付けてある或る料理店へわたしを誘い込んだのであった。
お約束が取りかわされていて、卒業すると間もなく東京で結婚式をあげて、すぐにそのかたの勤め先きへ一緒に連れてゆか
出ました翌年の夏の事でございました。わたくしは東京から五時間ばかりの汽車旅行をして、お友達の吉川三津子さんをお
を書いて、この月の廿五日の午前何時には東京を出発するといって、汽車の時間までも報らせてやりました。
。いくらお連合いと一緒に暮らしているとはいいながら、東京のまんなかで不自由なしに育って来た三津子さんが、こんなところに新しい家庭
に老けたようにも思われました。去年の夏、東京で新婚の御披露のあった時に、わたくしも御招待をうけて、
にして、どうぞいつまでも御逗留ください。草花には東京で見られないような、なかなか美しいのがあります。秋になると紅葉
それから東京の噂などが二つ三つ出た頃に、一人の男が庭さきから
の夫婦はすぐに元の晴れやかな顔色に戻って、再び東京の噂や、ここらの山住居の話などを始めて、それからそれ
近所の森の中や川端へ案内してくれました。東京より十度以上は違うと三津子さんのいったのも嘘ではありませ
の御飯の支度にかかりました。その間に、わたくしは東京の家やお友達にあてた手紙を書き始めました。あしたの午後に
電報を遅くうけ取って、気が気でないわたくしは慌てて東京へ帰ることにしました。ほかの事と違いますから、三津子さん夫婦
早々立ち去ることになりました。というのは、わたくしが東京を発ちました翌日から、母が急病でどっと倒れまして、初めはほんの
関井さんはその転勤のことについて、突然東京へ出て来ることになったので、二、三日の後には
「千葉県へ移るについては、どうしても東京を通過しなければなりませんから、三津子もその節にお伺い申すか
死骸は火葬にして、わたくし共はその遺骨を護って東京へ帰りました。
糸商の上原という客に連れられて、きのうの夕方東京に着いて、ゆうべは上野近所の宿屋に泊まって、きょうは浅草から向島
偏僻や邪推の出るのも無理はなかった。知らない東京のまんなかへ突き出されて、一緒に死のうとまで思いつめている男に振り捨てられ
を路用の金にかえて、こころ細くも身ひとつで東京へ出て来て、まず小石川へたずねて行くと、その人はとうに
父が遺言に、東京の四谷見付外と小石川伝通院前とに遠縁の者がいる。それを
小野はことし十九で、東京へ出てから足かけ四年になるのであるが、元来が薄ぼんやりした
、五兵衛の娘のお筆というのは親類をたずねて東京へ出たっきりで、その後の便りを聞かない。久住の屋敷は番町の
のひらめくかんざしをさして、高座にあらわれた肩衣姿は、東京の若い男達の渇仰のまととなっていた。容貌は富子の方
あるのではなかったが、その噂は雛吉がまだ東京にいる時から広まっていたので、その耳にもはいっていた
こういう悲惨な運命をになって東京を立ち退くことになった竹本雛吉に対して、世間の同情はおのずと集まっ
名を洗い去って、今ではそんな不運な女芸人が曽て東京の人気を湧き立たせたことを思い出す人さえも少なくなった。それに引きかえ
に土地の料理屋の養女に貰われたとかいう噂が東京へもきこえたが、去るものは日々にうとしで、足かけ六年の
ことにしましょうよ。ここらは田舎ですから、どうで東京のような器用なものは出来ませんけれど、唯ほんの景気づけに……
なって堀江屋から大きい見事な花環をとどけて来た。なるほど東京とは少し拵え方が違っているが、百合や菖蒲の季節物が大きい花
察するに余りありともいうべきであるが、その当時は東京市中にもこんな化物屋敷のような家がたくさんに見いだされたので
、それからそれへと流れ渡った末に、去年の春頃から東京へ出て来て、片門前に小さい古道具屋をはじめたのである。
見ただけでもううんざりしてしまった。いっそきのう真っ直ぐに東京へ帰ってしまえばよかったと悔みながら、彼はどてらの袖をかき合わせて
なかばのことで、その当時十三の兄貴は修行のために東京の親類へあずけられていて、家にいる者は祖母と作男二人と
ようになった。ある年の夏休みに、僕の兄が東京から帰省したとき、一緒にそこらを散歩していると、二人は
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はその晩、地方から出京した親戚のむすめを連れて向島のある料理店兼旅館へ行って、芋と蜆汁を食っていたのだ
、ゆうべは上野近所の宿屋に泊まって、きょうは浅草から向島の方面を見物して、午後三時頃にこの料理店にはいった。風呂
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着いて、ゆうべは上野近所の宿屋に泊まって、きょうは浅草から向島の方面を見物して、午後三時頃にこの料理店にはいった
彼はその夜のうちに召し捕られてしまった。賊は浅草観音のそばに住んでいる錺り職人で、家には母もあり、
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に連れられて、きのうの夕方東京に着いて、ゆうべは上野近所の宿屋に泊まって、きょうは浅草から向島の方面を見物して、
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八時ごろ、三番町から中六番町をぬけて麹町の大通り付近までくるあいだに、ひとりの人にも出逢わないで、ずいぶん怖い
溝口医師はそのころ麹町の番町で開業していた。今でも番町の一部はあまり賑かで
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ないこともありません。警察でも築地河岸から芝浦、品川沖のあたりまでも捜索してくれたのですが、それらしい死体は勿論
からいよいよはげしくなって、暁け方まであれた。殊にここらは品川の海に近いので、東南の風はいっそう強く吹きあてて、わたしの
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同様のところもある。わたしの父も殆んど無銭同様で、泉岳寺に近い古屋敷を買い取った。
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梶沢君は医師で、神田の大きい病院の副院長を勤めている。快活な性質で、ふだんから洒落
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もひっそりして、明かるい月の下に冷々とながれている隅田川の水を眺めているのは、この家じゅうで深田君一人かと思わ
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有喜世新聞にこういう雑報が掲載されていた。京橋築地の土佐堀では小鯔が多く捕れるというので、ある大工が夜
医師がある。その医師がこの新聞をみると、すぐに京橋の警察署へ出頭して、秘密に某事件の捜査を依頼したので
の書いたものらしく思われたので、念のために京橋の警察へ行って聞きあわせたのですが、肝腎の状袋は寿美屋の