半七捕物帳 68 二人女房 / 岡本綺堂

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地名一覧

甲州

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子供であったのを、母のおみのが引き連れて、甲州の身寄りの方へ立ちのいた。もちろん和泉屋では相当の扶助をしてやった

小金井

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「小金井です」

「はあ、小金井……。汽車はずいぶん込むそうですね」

ぼくや横町、石橋、吉祥寺、関前……これが江戸から小金井へゆく近道ということになっていましたが、歩いてみるとなかなか遠い

「ありますよ」と、老人は笑った。「小金井の桜のいいことは、かねて聞いていましたが、今も申す通り、

月の十九日に子分の幸次郎と善八をつれて、初めて小金井へ遠出を試みたと云う訳です。武家ならば陣笠でもかぶって、馬上

出あるくと不思議に何かにぶつかるのですね。その時も小金井までは道中無事、小金井橋の近所で午飯を食ってそこらの花をゆっくり

で、畑のあいだの道を縫って甲州街道へ出て、小金井からおよそ一里半、府中の宿へ行き着いて、宿の中ほどの柏屋という

「いいえ、小金井には学校時代に一度遠足に行った事があるだけで、府中は知り

雨はあしたの日曜まで降りつづいて、わたしの小金井行きはとうとうお流れになった。その翌年の五月なかばに、半七老人

老人の去年の話を思い出して、晴れた日曜日の朝から小金井へ出てゆくと、堤の桜はもう青葉になっていた。その帰り道

大木戸

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た。新宿で遅い午飯を食って一と休みして、大木戸を越して四谷通りへさしかかると、塩町の中ほどで幸次郎は急に半七の袖

府中

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てしまえば、まあ無事だったわけですが、どうせ泊まるなら府中の宿まで伸そうと云うことになって、いずれも足の達者な奴らが

を縫って甲州街道へ出て、小金井からおよそ一里半、府中の宿へ行き着いて、宿の中ほどの柏屋という宿屋にはいりましたが、

学校時代に一度遠足に行った事があるだけで、府中は知りません」

宿で多摩川の漁師をしていました。布田は府中よりも一里二十三丁の手前で、こんにちでは調布という方が一般に

調布という方が一般に知られているようです。なにしろ府中と布田とは直ぐ近所で、土地の者は毎日往来していると云うこと

で、土地の漁師仲間からも追いのけられて、今では府中の宿へ流れ込んで、これという商売も無しにぶらぶらしている。女房に

は調布の女郎屋へ売ってしまい、妹のお三は府中の喜多屋という穀屋へ子守奉公に出しているのだそうです」

ので、半七も忘れていたが、五月はじめは府中の祭りである。六所明神の例祭は三日に始まって、六日の朝

はこの五日のことでございますが、御承知の通り、府中の六所明神の御祭礼、その名物の闇祭りを一度見物いたしたいと申し

「わたしもこの三月、府中に泊まりましたが、ふだんの時だから至ってひっそりしていました」と

たが、なんにも手がかりがございません。その晩はとうとう府中に泊まりましたが、おかみさんは帰って参りません。店の方でも

と存じまして、三人相談の上で、孫太郎だけが府中に残り、若旦那とわたくしは早駕籠で江戸へ戻りました。

、半七は請け合った。「おい、幸。この春、初めて府中へ行ったのも、何かの因縁かも知れねえ」

ございません。そんな一件がありますので、今度の府中行きも、主人は少し考えて居りました。わたくしも何だか気が進ま

「和泉屋の奉公人で、息子と一緒に府中へ行った者がありましたね」と、半七はまた訊いた。

「こうなると此の春、府中へ行って来て好うござんしたね」

「本来はおとなしい、手堅い人間だったそうですが、府中へ行った帰りに一と晩遊んだのが病み付きで、飛んだ事になっ

半七も眼をひからせた。「節句の晩といえば府中の闇祭りの晩だ。その同じ晩に、伊豆屋の女房は府中で姿

祭りの晩だ。その同じ晩に、伊豆屋の女房は府中で姿をかくし、和泉屋の女房は江戸で姿を隠す。いかに両方が知合いの

た上で、朝の四ツ(午前十時)頃に府中をさして出発した。幸次郎も善八も一緒に出た。

「お大は家出をして、府中へ行ったんですか」

無い。そのうちに一昨年の五月、幾次郎は清七を府中の闇祭りに連れ出して、その帰りに調布の甲州屋へ誘い込んだ。こうして

お大は男にだまされて府中へ行き、友蔵の家で待ち合わせていたが、幾次郎は来ない。その翌日

して、暗くなってから又引っ返して来たのです。府中から日野まで一里二十七丁という事になっていますが、女の足弱

。一方のしん吉はお八重を置き去りにして、又もや府中に引っ返して来て、吉野屋という女郎屋に隠れていた。と云うの

堤の桜はもう青葉になっていた。その帰り道に府中へまわると、町のはずれに鵜を売っている男を見た。かの友蔵

烏山

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いた。道順も先度とは少し違って、上高井戸から烏山、金子、下布田、上布田、下石原、上石原、車返し、染屋と甲州街道を真っ直ぐにたどっ

江戸

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遅野井、ぼくや横町、石橋、吉祥寺、関前……これが江戸から小金井へゆく近道ということになっていましたが、歩いてみると

になるのですが、料理屋といっても田舎茶屋で、江戸から行った者にはずいぶん難儀でした」

調布の女郎屋に売られた娘のお国、男は江戸の若い男だというのです」

の五月、六所明神の闇祭りを見物に来た江戸の二人連れがあった。それは四谷の和泉屋という呉服屋の息子清七と、

寝床にはいって午過ぎに起きた。これでは明るいうちに江戸へはいれまいと云うので、八ツ(午後二時)過ぎにここを出

の売れっ妓であったが、見すみす一夜泊まりと判っている江戸の若い客を特別に取り扱ったらしく、その明くる朝は互いに名残りを惜しんで

江戸には遊び場所もたくさんある。殊に眼のさきには、新宿をも控えて

。こうして一年あまりを過ごしたが、何分にも江戸の四谷と甲州街道の調布ではその通い路が隔たり過ぎているので、二人の

呼んで相談すると、友蔵はよろこんで承知した。しかし江戸の客が身請けをするなぞと云えば、主人も足もとを見て高いことを

「それだからひやかしだと云うのだ。江戸の人間が鵜を買って行って、どうするのだ。それとも此の頃の

買って行って、どうするのだ。それとも此の頃の江戸じゃあ、鵜を煮て喰うのが流行るのか。朝っぱらからばかばかしい。帰れ、帰れ

三人はその日の午過ぎに江戸へ帰り着いた。新宿で遅い午飯を食って一と休みして、大木戸を越し

、六、七の五日間は初夏らしい日の光りが、江戸の濡れた町をきらきらと照らした。

で、孫太郎だけが府中に残り、若旦那とわたくしは早駕籠で江戸へ戻りました。

に云った。「わっし一人で請け合うわけにゃあ行かねえ。まして江戸から五里七里と踏み出す仕事だから、親分にすがって何とかして

時に、恐らく前々からの約束があったのであろう。江戸へ出て来て旧主人の和泉屋に奉公することになった。表向きは遠縁

伊豆屋の女房は府中で姿をかくし、和泉屋の女房は江戸で姿を隠す。いかに両方が知合いの仲だと云っても、まさかに女

で、男前は悪くないが芸が未熟であるために、江戸のまん中の良い席へは顔を出されず、場末や近在廻りなどをし

から甲州街道の方角へ稼ぎに行って、月ずえには江戸へ帰る筈のところが、今月になっても便りがない。おっかさんも毎日

へ顔を出して、かくかくの次第で四、五日は江戸を明けると云うことを届けた上で、朝の四ツ(午前十時)

た。文右衛門は四十五、六の篤実らしい男であった。江戸の御用聞きに呼び付けられて、彼は恐るおそる挨拶した。

「はい。泊まって居りました。しん吉という江戸の落語家でございます」「いつ頃から泊まったね」

で居ります。これも先月の晦日ごろでございましょうか、江戸の方へ二、三日遊びに行ったとか申して居りましたが、

逗留でしたが、いつまでも手がかりが無いので、いったん江戸へ帰ると云って、今朝ほどお立ちになりました」

だ。不意に踏み込んで調べてやろう。先月の晦日ごろに江戸へ出たといい、景気よく銭を遣っているといい、なにか曰くが

「おい、しん吉、いくら江戸を離れていると云って、往来なかで見っともねえぜ」

「ええ、静かにしろ。おれは江戸から御用で来たのだ」と、半七は云った。

瞞してお大を出してやる。闇祭りの日には江戸や近在の参詣人が大勢集まって来るから、却っていいと云うので、五

、どうにか宿屋の払いをして出たが、今さら江戸へも帰られず、男にだまされたくやしさと、身の振り方に

淀橋

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があるから、楽に日帰りが出来ます。むかしは新宿から淀橋、中野、高円寺、馬橋、荻窪、遅野井、ぼくや横町、石橋、吉祥寺、関前

こしらえで、三人は早朝から山の手へのぼって、新宿、淀橋、中野と道順をおって徒あるきです。旧暦の三月ですから、日中

四谷坂町

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「この人は四谷坂町の伊豆屋という酒屋さんの番頭さんですが、少し親分にお願い申してえ

治兵衛は半七の問いに対して、伊豆屋は四谷坂町に五代も暖簾をかけている旧い店で、屋敷方の得意さきも多く

「四谷坂町の伊豆屋のおかみさんが見えなくなりまして、手前共でも心配して

四谷

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を見物に来た江戸の二人連れがあった。それは四谷の和泉屋という呉服屋の息子清七と、その手代の幾次郎で、この柏屋に泊まっ

して一年あまりを過ごしたが、何分にも江戸の四谷と甲州街道の調布ではその通い路が隔たり過ぎているので、二人のあいだに

坂町

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「やい、しん吉、てめえは太てえ奴だ。坂町の伊豆屋の女房をかどわかして何処へやった。さあ、云え。てめえは伊豆

調布

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は府中よりも一里二十三丁の手前で、こんにちでは調布という方が一般に知られているようです。なにしろ府中と布田とは直ぐ

から年頃の娘を唯は置かない。姉のお国は調布の女郎屋へ売ってしまい、妹のお三は府中の喜多屋という穀屋

と男の幽霊がでるという噂で……。女は調布の女郎屋に売られた娘のお国、男は江戸の若い男だと

ツ(午後二時)過ぎにここを出て、二人は調布に泊まることになった。いずれも二十二、三の若い同士であるので、

から下高井戸まで二里三丁、上高井戸まで十一丁、調布まで一里二十四丁、あわせて四里の道を通って来るのであるから

あまりを過ごしたが、何分にも江戸の四谷と甲州街道の調布ではその通い路が隔たり過ぎているので、二人のあいだに身請けの相談が

は答えた。「これがちっと道楽者で、主人の息子を調布の女郎屋へ誘い込みましたのが間違いのもとで、それからあんな事になり

貰って、二十二の年まで育てて来ると、その清七は調布のお国と心中してしまったという訳です」

幾次郎は清七を府中の闇祭りに連れ出して、その帰りに調布の甲州屋へ誘い込んだ。こうして道楽の味をおぼえさせて、だんだんに清七

をうろついていたか知りませんが、その死骸が、調布の河原へ流れ着きました」

下谷

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その八日の午後である。半七は下谷まで用達しに行って帰ると、幸次郎が一人の客を連れて来て

甲府

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てもいよいよ駈け落ちの相談を始めました。自分の育った甲府には、おふくろがまだ達者でいる。ひとまず其処へ身を隠そうと云うこと

吉祥寺

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、高円寺、馬橋、荻窪、遅野井、ぼくや横町、石橋、吉祥寺、関前……これが江戸から小金井へゆく近道ということになってい

荻窪

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出来ます。むかしは新宿から淀橋、中野、高円寺、馬橋、荻窪、遅野井、ぼくや横町、石橋、吉祥寺、関前……これが江戸から小金井

高円寺

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楽に日帰りが出来ます。むかしは新宿から淀橋、中野、高円寺、馬橋、荻窪、遅野井、ぼくや横町、石橋、吉祥寺、関前……これ

新宿

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の便利があるから、楽に日帰りが出来ます。むかしは新宿から淀橋、中野、高円寺、馬橋、荻窪、遅野井、ぼくや横町、石橋、

遠足のこしらえで、三人は早朝から山の手へのぼって、新宿、淀橋、中野と道順をおって徒あるきです。旧暦の三月です

甲州屋へ通って来た。その当時の甲州街道でいえば、新宿から下高井戸まで二里三丁、上高井戸まで十一丁、調布まで一里

には遊び場所もたくさんある。殊に眼のさきには、新宿をも控えていながら、清七はお国のことを忘れ兼ねて、店

三人はその日の午過ぎに江戸へ帰り着いた。新宿で遅い午飯を食って一と休みして、大木戸を越して四谷通りへ

に似合わず、稽古所ばいりをしたり、折りおりには新宿の遊女屋遊びをしたりするのを主人が大目に見ているのも、

浅草

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おくれていましたが、忘れもしない嘉永二年、浅草の源空寺で幡随院長兵衛の三百回忌の法事があった年でした。長兵衛

品川

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と云われています。そこで、その鷺や鵜は品川の海や多摩川のあたりまで飛んで行って、いろいろの魚をくわえて

八王子

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で三晩ほど打ちました。一座の五人はそれから八王子の方へ行きましたが、しん吉さんは体が少し悪いと云うの