半七捕物帳 40 異人の首 / 岡本綺堂
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があるばかりで、アメリカは麻布の善福寺、フランスは三田の済海寺、オランダは伊皿子の長応寺、プロシャは赤羽の接遇所、ロシアは三田の
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を話す前に、実はね、兄さん。この二十一日に飛鳥山へお花見に行こうと思っているんです。なんだか世間がそうぞうしいから、
の浪人の素破抜きが多いというから、すこし遠くっても飛鳥山の方がよかろうというので、子供たちや何かで三十人ばかりは揃った
粂のところへ時々に遊びにくるので、お粂は飛鳥山の花見に加入のことを頼むと、初蔵は一旦承知して帰ったが、
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長応寺、プロシャは赤羽の接遇所、ロシアは三田の大中寺に、公使館または領事館を置いてあるが、これらは幕府に届け出での
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町家をあらし廻るのは此の頃の流行で、麻疹と浪士は江戸の禁物であった。勿論、そのなかにはほんとうの浪士もあったであろう
神田と深川の出来事を報告した。世の中のみだれている江戸の末であるから、それがほん者の攘夷家か偽浪士か、八丁堀の
かれも更にかんがえ直さなければならなかった。しかしこの当時、江戸に在住の異人は甚だ少数である。公使領事のほかには二、三の
て、奉行所の許可をうけて、その月の二十一日に江戸を出発することになったので、お粂は兄嫁を花見に誘い出すどころで
頃では横浜見物も一つの流行ものになって、江戸から一夜泊まりで見物に出かける者もなかなか多かった。
松吉は御用の旅で横浜見物が出来るのをよろこんで、江戸をたつ時から威勢がよかった。半七は去年も一度行ったことがあるの
行った。かれは高輪の弥平という岡っ引の子分で、江戸から出役の与力に付いて、去年から横浜に来ているのであった。
付いて、去年から横浜に来ているのであった。江戸にいるときに半七の世話になったこともあるので、かれは今夜久しぶり
た。「なにしろ、ここもむやみに開けてくるらしいね。江戸より面白いことがあるだろう」
ほんとうに遊びですかえ。ひょっとすると今の一件が江戸の方へも響いて、その様子を見とどけに来たんじゃありませんか
「いい智恵と云ってもねえが、見込みをつけて江戸から乗り込んで来た以上、ただ手ぶらでも引き揚げられねえ。そこで、三五郎。
。どうで異人館奉公するような奴ですから、なんでも江戸の食いつめ者で、こいつがロイドを案内して行って、面白い味を教えた
。異人館をお払い箱になって、それからどうしたか。江戸へ帰ったか、こっちにいるか、よく突きとめて来てくれ。たいしてむずかしいこと
付いていましたが、なんでも小半月ばかり前に江戸へ帰ったそうです」
半七は胸算で日数をかぞえた。そして、江戸には勝蔵の身寄りか友達でもあるのかと訊くと、かれは江戸の
の身寄りか友達でもあるのかと訊くと、かれは江戸の深川に寅吉という友達がある。さしあたりはそれを頼って行ったらしいと
勝蔵とその友達の寅吉であった。食いつめ者の勝蔵は江戸から横浜へ流れ込んで、トムソンの商館のボーイに雇われているうちに、日本
さりとてロイドを連れてゆくことが出来ないので、かれは江戸へ行って友達の寅吉をよんで来た。寅吉は深川に住んで、おもて向き
で商売道具の蝋人形を持って行ってしまったのである。江戸ではまだこの新手を知るまいと思ったので、かれらはその首を
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頃は高島町の埋立てもなかったので、ふたりは先ず神奈川の宿にゆき着いて、宮の渡しから十六文の渡し船に乗って、平野間
この間もロシアの水兵が二人づれで、神奈川の近在へ散歩に出て、ある百姓家で葱を見つけて十本ほど買うこと
の浪士という奴が異人を狙ってはいり込んでくる。尤も神奈川の関門で大抵くいとめている筈なんですが、どこをどうくぐるのか、
繰り込んだが、そこの遊びがどうも面白くなかった。やっぱり神奈川がいいと勝蔵が云い出すと、寅吉も同感であった。神奈川の遊びの
いいと勝蔵が云い出すと、寅吉も同感であった。神奈川の遊びの味をわすれられない彼等は、からだのあやういのを知りながら又もや
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「なんでもイギリスのロンドンの生まれで、年は二十七だそうですが、日本語もちょいと器用に出来て、
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あるから、それがほん者の攘夷家か偽浪士か、八丁堀の役人たちにも容易に判断をくだすことが出来なかった。いずれにして
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「それじゃあ横浜かな」
の兄の家へ見送りに来なければならなくなった。横浜までわずかに七里と云っても、その頃ではやはり一種の旅であっ
一昨年(安政六年)の六月二日に横浜の港が開かれると、すぐに海岸通り、北仲通り、本町通り、弁天通り
それからそれへと目ざましく発展するので、この頃では横浜見物も一つの流行ものになって、江戸から一夜泊まりで見物に出かける者
年の若い松吉は御用の旅で横浜見物が出来るのをよろこんで、江戸をたつ時から威勢がよかった。半七は
、平野間(今の平沼)の西をまわって、初めて横浜の土を踏んだのは、その日の夕七ツ半(午後五時)
の子分で、江戸から出役の与力に付いて、去年から横浜に来ているのであった。江戸にいるときに半七の世話になった
かれの話によると、横浜でも去年の暮ごろから軍用金押借りの一と組が横行する。勿論、
「ばかに早えな。横浜の人間は違ったものだ」と、半七は寝床のうえに起き直った。
その友達の寅吉であった。食いつめ者の勝蔵は江戸から横浜へ流れ込んで、トムソンの商館のボーイに雇われているうちに、日本の事情
て来た金も残らず港崎町へ運んでしまった。横浜に来ている同国人のあいだにも義理のわるい負債が嵩んだ。それで
かれは寅吉と相談して、四月のはじめにひと先ず横浜を立ち退くことにしたが、その時ロイドには無断で商売道具の蝋人形を持っ
人形ではないかとふと考えたんです。その前の年に横浜に行って、実によく出来ている舶来の人形を見せられたことがあり
を見せられたことがありますから、この種はどうも横浜から出ているらしいと思って、乗り出してみると案の通りでした。勝蔵
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粂は文字房という常磐津の師匠で、母と共に外神田の明神下に暮らしていることはすでに紹介した。
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の橋が架けられる。あくる万延元年の四月には、太田屋新田の沼地をうずめて港崎町の遊廓が開かれる。外国の商人館が出来る。それ
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あった。品川の海の空はうららかに晴れ渡って、御殿山のおそい桜も散りかかっていた。
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、三の書記官や通辞があるばかりで、アメリカは麻布の善福寺、フランスは三田の済海寺、オランダは伊皿子の長応寺、プロシャは赤羽
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家へ帰ると、子分の松吉が待っていて、ゆうべ深川富岡門前の近江屋という質屋へ二人づれの浪人が押借りに来て、
いい見付け物だ。おめえにしちゃあ大出来だ。そこで、深川へ押し込んだのはゆうべの何どきだ」
半七はあくる朝、八丁堀同心の屋敷をたずねて、神田と深川の出来事を報告した。世の中のみだれている江戸の末であるから、
か友達でもあるのかと訊くと、かれは江戸の深川に寅吉という友達がある。さしあたりはそれを頼って行ったらしいと、
江戸へ行って友達の寅吉をよんで来た。寅吉は深川に住んで、おもて向きは鋳掛け錠前直しと市中を呼びあるいているが、
たので、かれらはその首をかかえ出して神田や深川で例の軍用金を徴収した。そうして、ひと晩のうちに首尾
聞いて、ピストルで自殺したそうです。人形の首は深川の寅吉の家の床下に隠してあったのを探し出して、丸井と近江屋
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、お粂は少しまじめになった。「兄さん、ゆうべの末広町の一件をもう知っているの」
「末広町……。なんだ、ぼやか」
と初めっから云っているじゃあねえか。それよりも、その末広町の一件というのは何だよ」
置いて、お粂はこういう出来事を報告した。ゆうべ末広町の丸井という質屋へ恐ろしい押借りが来たというのである。丸井
半七は夕飯を早々にすませて、すぐに末広町の丸井の店をたずねた。丸のなかに井の字の暖簾を染め出し
と、半七は舌打ちした。「実は今もそれで末広町まで足を運んで来たんだ」
「じゃあ、末広町にもそんなことがあったんですかえ」
「まだ宵だな。それから末広町へまわったのか。ひと晩のうちによく稼ぎゃあがる」と、半七は
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ないので、いつもの通り押し出すことになったんです。向島はこのごろ酔っ払いの浪人の素破抜きが多いというから、すこし遠くっても飛鳥山
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内から答えると、外ではやはり叩きつづけていた。銀座の山口屋から急用で来たと云った。山口屋は嫁の里方であるの
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「そりゃあ神田の半七の血を分けた妹ですもの」
半七はあくる朝、八丁堀同心の屋敷をたずねて、神田と深川の出来事を報告した。世の中のみだれている江戸の末である
は兄嫁を花見に誘い出すどころではなかった。却って自分が神田三河町の兄の家へ見送りに来なければならなくなった。横浜までわずか
をつれて朝の六ツ半(午前七時)頃に神田三河町の家を出た。ほかの子分たちも高輪まで送って来た。
と思ったので、かれらはその首をかかえ出して神田や深川で例の軍用金を徴収した。そうして、ひと晩のうち
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の済海寺、オランダは伊皿子の長応寺、プロシャは赤羽の接遇所、ロシアは三田の大中寺に、公使館または領事館を置いて
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つづきで、綿入れの旅はもう暖か過ぎるくらいであった。品川の海の空はうららかに晴れ渡って、御殿山のおそい桜も散りかかって