修禅寺物語 / 岡本綺堂

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地名一覧

鎌倉山

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かつら 馴れては左程にもおぼえませぬが、鎌倉山の星月夜とは事變りて、伊豆の山家の秋の夜は、さぞお寂し

かつら 鎌倉山に時めいておはしなば、日本一の將軍家、山家そだちの我々は下司に

桂川

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おなじく桂川のほとり、虎溪橋の袂。川邊には柳幾本たちて、芒と蘆

鎌倉

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巷、惡魔の巣ぞ。人間の住むべきところで無い。鎌倉などへは夢も通はぬ。(月を仰ぎて云ふ)

するは、合點がゆかぬと思うたが、さては鎌倉の下知によつて、上樣を失ひたてまつる結構な。さりとは大事ぢや。

、修禪寺へ夜討とは……。平家の殘黨か、鎌倉の討手か。こりや容易ならぬ大變ぢやなう。

春彦 寄手は鎌倉の北條方、しかも夜討の相談を、測らず木かげで立聽きして、其

伊豆

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(例)伊豆

(伊豆の修禪寺に頼家の面といふあり。作人も知れず。由來もしれず

伊豆の國狩野の庄、修禪寺村(今の修善寺)桂川のほとり、夜叉王の住家

あるまいものを、名聞を好まれぬ職人氣質とて、この伊豆の山家に隱れ栖、親につれて子供までも鄙にそだち、詮事無し

春彦は控へる。楓は起つて蒲簾をまけば、伊豆の夜叉王、五十餘歳、烏帽子、筒袖、小袴にて、鑿と槌とを持ち

出來ぬことがあらう。面作師も多くあるなかで、伊豆の夜叉王といへば、京鎌倉までも聞えた者ぢやに……。

 さあ、それゆゑに出來ぬと云ふのぢや。わしも伊豆の夜叉王と云へば、人にも少しは知られたもの。たとひお

やうな面が將軍家のおん手に渡りて、これぞ伊豆の住人夜叉王が作と寶物帳にも記されて、百千年の後

自然の妙、技藝神に入るとはこの事よ。伊豆の夜叉王、われながら天晴れ天下一ぢやなう。(快げに笑ふ)