小坂部姫 / 岡本綺堂
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京の堀川にある高師直の館では、姫のゆくえが俄かに知れなくなったの
もう一町ばかりで堀川の館へ帰り着くというところで、足早に来る若侍に出逢った。彼は本庄
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前にも明国の都の燕京を出発して、九州の平戸に到着したことがあったが、その当時この眇目の男もその一
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足利兄弟を征伐に下って来たもので、新田義貞が箱根を攻め、弟の義助が竹の下を攻めた時に、塩冶は義助の
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と思っていると、二月廿五日の夜半に、甲斐国から使いが来て、思いもよらない報告をもたらした。師冬は上野に蜂起
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た。澄んだ空は一日ましに高くなって、比叡も愛宕も秋の光りの中に沈んで見えた。堀川から西へ西へと辿っ
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がいる。そのほかにも奥州の北畠、九州の菊池、四国の土居得能、それらはいずれも南朝に忠節を尽くそうとして、思い思いに
、まず九州一円をさまよいあるいた。それから海を越えて四国へも渡ったが、彼の求むるものは何処の山にも浦にも見当たら
。しかも師直の説明によると、塩冶は西国の菊池、四国の土居得能、北国の新田と内密に謀し合わせて一度に都へ攻めのぼらせる
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をまっとうすることは出来ないと覚って、師直師泰は兵庫から船路で鎌倉へ落ちようと相談した。そこには三河守師冬が東国の
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付いて足利の味方になった。そうして九州に、関東に、その居所を移しているので、城はふたたび空城同様になってしまっ
、かの塩冶の滅亡以来まったく父を見限って、無断同様に関東へ下ってしまって、この頃は音信も絶え勝ちになってはいるが、それ
師冬が亡びてしまっては、関東に頼むべき味方もない。さりとて西国には師直の敵が多い。足利将軍の
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ござって尋ねられた。はは、ここは双ヶ岡じゃ、嵯峨野ではござらぬ。横笛どのが門ちがいせられたのではござらぬかな。
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へ落ち延びて、洲沢の城へ引き籠っていると、そこへ諏訪の方から敵が押し寄せて来て、三日の後に城はほろび、師冬は
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謀叛であった。塩冶はその初め、官方にしたがって鎌倉の足利兄弟を征伐に下って来たもので、新田義貞が箱根を攻め、
で、われわれの味方は、この国に渡来して、まず鎌倉の北条を呪うた。呪われた高時入道の魂には天狗が棲んで、
は出来ないと覚って、師直師泰は兵庫から船路で鎌倉へ落ちようと相談した。そこには三河守師冬が東国の管領として
。師冬は上野に蜂起した敵共を追い散らすために、鎌倉を出発してゆく途中で、味方の多くは心変わりして同士撃ちが始まった
。都に近い泉州堺では大内義弘の謀叛がある。鎌倉には管領持氏の乱が起こる。赤松満祐は将軍義教を弑して、播州に
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はほろびてもその子の正行がいる。そのほかにも奥州の北畠、九州の菊池、四国の土居得能、それらはいずれも南朝に忠節
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その子の正行がいる。そのほかにも奥州の北畠、九州の菊池、四国の土居得能、それらはいずれも南朝に忠節を尽くそうとし
年か前にも明国の都の燕京を出発して、九州の平戸に到着したことがあったが、その当時この眇目の男も
は武家に付いて足利の味方になった。そうして九州に、関東に、その居所を移しているので、城はふたたび空城同様に
以来六十余年の兵乱もようやく鎮まるかと思うと、遠い九州には菊池の一族がふたたび旗をあげる。都に近い泉州堺では大内義弘
、寛永十四年の冬から十五年の春にかけて、九州ではかの嶋原一揆の騒動が起こった。それもようやく鎮まると、あくる寛永十六
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赤穂郡赤松村に住んでいる藤次郎と雉六の兄弟が、白旗山へ小鳥狩に登って行った。かれらは百姓の子であったが、
野山を猟り暮らして、十二月初旬の陰った日に白旗山へ分けのぼると、きょうはどうしたものか小雀一羽もかれらの眼
白旗山はかの姫山と同じく、赤松の一族が楯籠っていた城址である。
しょせん生きられないと自分でも覚悟した時に、はじめて白旗山の秘密を明かした。
古城の址を調べさせた。その選に入ったのが白旗山と姫山とで、どちらも古い歴史をもっているだけに、秀吉も一旦
したがって、浅野弥兵衛は大勢の家来や人夫を引き連れて、白旗山の城址を取り毀しにかかった。藤次郎兄弟の伝説があるだけに、土地の者
と、かれは嘲るように笑った。「この姫山と白旗山とはわたしの年久しい棲家で、たとえて言わばこの姫山は本丸、白旗山
の年久しい棲家で、たとえて言わばこの姫山は本丸、白旗山は出丸じゃ。その白旗山をいっさい取り頽して、さらにこの姫山をも
て言わばこの姫山は本丸、白旗山は出丸じゃ。その白旗山をいっさい取り頽して、さらにこの姫山をも奪おうとするは、あまりの
も奪おうとするは、あまりの無礼、あまりの狼藉じゃ。白旗山はともかくも、この姫山は決してお身たちに渡すまい。好んで禍いを
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その草の戸にまで舞い込んで来るのを避けて、さらに伊賀国へ引き移って、国見山の麓にかくれていた。そうして、師直一門
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入城することになった。忠明がそのおん礼として江戸に登城すると、将軍家光はそっと言い聞かせた。
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に立ってその行きさきを評議した。侍従はともかくも難波津へ逃げ下ろうと言った。采女は伯耆の大山の霊験者のもとへひとまず落ち着こうと
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を持って出なかったのを悔んだ。塩冶の屋敷は七条のはずれにある。その門前までゆき着いた時には、侍従の額からは汗
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織田信長が本能寺で明智光秀に攻めほろぼされた時に、秀吉は備中高松から引っ返して来て、
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中もその数には洩れないで、かれらが生い立った武蔵野の芒をそのままという髭面をそらせて、坂東声を遠慮会釈もなし
と聞いて二人もうろたえた。かれらは伊勢物語に見る武蔵野の落人のように、そこらの高い草むらをかき分けて身を忍ばせていると
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「あれは塩冶の奥方じゃ。丹波越しに本国の出雲へ落つるのじゃ。」
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妖女の噂もだんだんに忘れられて、その翌月に秀吉は鳥取にむけて出陣した。
鎮まると、あくる寛永十六年に姫路の城主本多政朝は因州鳥取に移されて、松平忠明が代って姫路に入城することになった。
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本能寺で明智光秀に攻めほろぼされた時に、秀吉は備中高松から引っ返して来て、まずこの姫山の城で軍議を開いて、亡君
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が来て、思いもよらない報告をもたらした。師冬は上野に蜂起した敵共を追い散らすために、鎌倉を出発してゆく途中で