半七捕物帳 65 夜叉神堂 / 岡本綺堂
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勘太はすぐに女のあとを尾けて行くと、女は普陀山の額をかけた大きい門をはいって、並木を横に見ながら急ぎ足にたどって
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「明石という鮨屋で……」
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、江戸時代にはこの辺一帯を笄と呼び慣わして、江戸の切絵図にも渋谷の部に編入してあります。そんなわけですから、ここ
京の清水といえば昔から有名であり、長谷寺も江戸では有名であり、しかも時候は三月の桜どきで、郊外散歩ながらの
承知のお請けをしましたが、元来この造り物は、江戸の講中からの奉納ではなく、京都の講中の供え物でした。その前年、
、その土地ならば早速に何とかなるのでしょうが、江戸にそんな職人があるかどうかが問題です。
日の猶予では京都から職人を呼び寄せることは出来ない。江戸にそんな細工をするような職人が無いとすれば、金銀の穴は銅か
西の宮の時には盗難もなかったそうです。それでも江戸は生馬の眼をさえ抜く所だからと云うので、寺男がひと晩の
江戸の部ではないのですが、こういう場合には江戸の町方が踏み込んで活動するほか無い。兼松は委細承知して帰りました」
訳にゃあいかねえが、なにしろなかなか念入りの細工で……。江戸にあんな職人はありますめえ」
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「親分、御苦労でした。八丁堀の御用は長谷寺の一件じゃあありませんかえ」
兼松は長火鉢の前で一服吸いながら云った。「今も八丁堀の旦那と話して来たのだが、おめえはあの兜を見たか」
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文化九申年の三月三日から渋谷の長谷寺に、京都の清水観音の出開帳がありました。今のお若い方々からお叱言
取りのけて、小銭でその穴埋めをするというのがむずかしい。京都の職人の細工ですから、その土地ならば早速に何とかなるのでしょう
元来この造り物は、江戸の講中からの奉納ではなく、京都の講中の供え物でした。その前年、即ち文化八年の春、大阪西の宮
三日の猶予では京都から職人を呼び寄せることは出来ない。江戸にそんな細工をするような職人が
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でございます」と、女も笑いながら答えた。「本所深川や浅草の遠方からも随分お詣りがあるようです」
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に編入してあります。そんなわけですから、ここでは渋谷としてお話をいたします。長谷寺が麻布にあることを知らねえか
この辺一帯を笄と呼び慣わして、江戸の切絵図にも渋谷の部に編入してあります。そんなわけですから、ここでは渋谷と
文化九申年の三月三日から渋谷の長谷寺に、京都の清水観音の出開帳がありました。今のお
はあるが、若い時から腕利きで知られた男です。渋谷といえば、もうお江戸の部ではないのですが、こういう場合
百姓地もまじっていた。笄橋を渡って、いわゆる渋谷へ踏み込むと、普陀山長谷寺の表門が眼の前にそびえていた。寺
の名物である。夜叉神は石の立像で、そのむかし渋谷の長者の井戸の底から現われたと伝えられている。腫れものに効験あり
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ます」と、女も笑いながら答えた。「本所深川や浅草の遠方からも随分お詣りがあるようです」
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にして、吟味のひと幕を開かれた。彼女は品川の女郎あがりで、年明きの後に六本木の明石鮨へ身を落ちつけた
が、いわゆる女犯の破戒僧で、長袖の医者に化けて品川通いに現をぬかしていた。誰も考えることであるが、あの兜
彼はおぎんが品川に勤めている頃の馴染であった。