御堀端三題 / 岡本綺堂

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地名一覧

半蔵門

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堀ばたの柳は半蔵門から日比谷まで続いているが、ここの柳はその反対の側に立っている

。坂上の道は二筋に分れて、隼町の大通りと半蔵門方面とに通じている。今夜の私は、灯の多い隼町の方角へ、

今夜の私は、灯の多い隼町の方角へ、女は半蔵門の方角へ、ここで初めて分れ分れになった。

三宅坂

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らから道路が爪先あがりになる。殊に眼の前には三宅坂がある。この坂も今よりは嶮しかった。そこで、下町から重い荷車を

日比谷公園

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それにつづく日比谷公園は長州屋敷の跡で、俗に長州原と呼ばれ、一面の広い草原

を破る時が遂に来った。彼の長州原がいよいよ日比谷公園と改名する時代が近づいて、先ずその周囲の整理が行われることになっ

それから三年目の夏に日比谷公園は開かれた。その冬には半蔵門から数寄屋橋に至る市内電車が開通

麹町

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(例)麹町

時代の思い出である。今日の人はもちろん知るまいが、麹町の桜田門外、地方裁判所の横手、後に府立第一中学の正門前に

四、五人ぐらいは常に集まっていた。下町から麹町四谷方面の山の手へ上るには、ここらから道路が爪先あがりになる。

河岸、今日の東京劇場所在地に移っていたので、麹町に住んでいる私は毎日この堀ばたを往来しなければならなかった。

の九月はじめである。夜の九時ごろに銀座から麹町の自宅へ帰る途中、日比谷の堀端にさしかかった。その頃は日比谷にも

桜田門

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思い出である。今日の人はもちろん知るまいが、麹町の桜田門外、地方裁判所の横手、後に府立第一中学の正門前になった

毎日おなじ顔が出ているのである。直ぐ傍には桜田門外の派出所もある。したがって、彼らは他の人々に対して、

時代であるから、このあたりに灯の影の見えるのは桜田門外の派出所だけで、他は真暗である。夜に入っては往来も

この場合、唯一の救いは桜田門外の派出所である。そこまで行き着けば灯の光があるから、私の

日比谷

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堀ばたの柳は半蔵門から日比谷まで続いているが、ここの柳はその反対の側に立っているの

自宅へ帰る途中、日比谷の堀端にさしかかった。その頃は日比谷にも昔の見附の跡があって、今日の公園は一面の草原で

夜の九時ごろに銀座から麹町の自宅へ帰る途中、日比谷の堀端にさしかかった。その頃は日比谷にも昔の見附の跡があっ

殆ど人通りがない。私は重い雨傘をかたむけて、有楽町から日比谷見附を過ぎて堀端へ来かかると、俄にうしろから足音がきこえた。足駄

有楽町

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ので、築地から銀座を横ぎり、数寄屋橋見附を這入って有楽町を通り抜けて来ると、ここらが丁度休み場所である。

過ぎると殆ど人通りがない。私は重い雨傘をかたむけて、有楽町から日比谷見附を過ぎて堀端へ来かかると、俄にうしろから足音がきこえた

銀座

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たが、帰り路は午後の日盛りになるので、築地から銀座を横ぎり、数寄屋橋見附を這入って有楽町を通り抜けて来ると、ここらが

少年時代を通り過ぎて、私は銀座辺の新聞社に勤めるようになっても、やはりこの堀ばたを毎日往復し

が二十歳の九月はじめである。夜の九時ごろに銀座から麹町の自宅へ帰る途中、日比谷の堀端にさしかかった。その頃は日比谷

投げ出されて、金太郎も飾り馬もメチャメチャに毀れた。よんどころなく銀座へ行って、再び同じような物を買って持参したが、先方へ

東京

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その当時、府立の一中は築地の河岸、今日の東京劇場所在地に移っていたので、麹町に住んでいる私は毎日この

功徳を施していようとは、交通機関の発達した現代の東京人には思いも及ばぬことであるに相違ない。その昔の江戸時代

京橋

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乗って、半蔵門外の堀端を通った。去年の秋、京橋に住む知人の家に男の児が生まれて、この五月は初の