修禅寺物語 / 岡本綺堂
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かつら 馴れてはさほどにもおぼえませぬが、鎌倉山の星月夜とは事変りて、伊豆の山家の秋の夜は、さぞお寂しゅう
かつら 鎌倉山に時めいておわしなば、日本一の将軍家、山家そだちのわれわれは下司にもお
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(伊豆の修禅寺に頼家の面というあり。作人も知れず。由来もしれず
伊豆の国狩野の庄、修禅寺村(今の修善寺)桂川のほとり、夜叉王の住家。
あるまいものを、名聞を好まれぬ職人気質とて、この伊豆の山家に隠れ栖、親につれて子供までも鄙にそだち、しょうことなしに
て春彦は控える。楓は起って蒲簾をまけば、伊豆の夜叉王、五十余歳、烏帽子、筒袖、小袴にて、鑿と槌とを
出来ぬことがあろう。面作師も多くあるなかで、伊豆の夜叉王といえば、京鎌倉までも聞えた者じゃに……。
さあ、それゆえに出来ぬと言うのじゃ。わしも伊豆の夜叉王と言えば、人にも少しは知られたもの。たといお咎め
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(例)修禅寺
(伊豆の修禅寺に頼家の面というあり。作人も知れず。由来もしれず。木彫の
修禅寺の僧
(春彦は出てゆく。楓は門にたちて見送る。修禅寺の僧一人、燈籠を持ちて先に立ち、つづいて源の頼家卿、二十三
たちて、芒と芦とみだれ生いたり。橋を隔てて修禅寺の山門みゆ。同じ日の宵。
のわれわれは一足先へまいれとの御意であったが、修禅寺の御座所ももはや眼のまえじゃ。この橋の袂にたたずみて、お帰りを
の立木ありて、その根よりおのずから清水を噴き、末は修禅寺にながれて入れば、川の名を桂とよび、またその樹を女夫の
と思え。叔父の蒲殿は罪のうして、この修禅寺の土となられた。わが運命も遅かれ速かれ、おなじ路をたどろうも知れ
見せたまわねば、無念ながらも仕損じた。この上は修禅寺の御座所へ寄せかけ、多人数一度にこみ入って本意を遂ぎょうぞ。上様は
の夜叉王の住家。夜叉王は門にたちて望む。修禅寺にて早鐘を撞く音きこゆ。
敵は誰やらわからぬが、人数はおよそ二三百人、修禅寺の御座所へ夜討ちをかけましたぞ。
にきこゆる人馬の物音は、何事かと思うたに、修禅寺へ夜討ちとは……。平家の残党か、鎌倉の討手か。こりゃ容易なら
立聴きして、その由を御注進申し上ぎょうと、修禅寺までは駈けつけたが、前後の門はみな囲まれ、翼なければ入ることかなわ
。蒲殿といい、上様と言い、いかなる因縁かこの修禅寺には、土の底まで源氏の血が沁みるのう。
す。夜叉王は仮面をみつめて物言わず。以前の修禅寺の僧、頭より袈裟をかぶりて逃げ来たる。)
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巷、悪魔の巣ぞ。人間の住むべきところでない。鎌倉などへは夢も通わぬ。(月を仰ぎて言う)
詮議するは、合点がゆかぬと思うたが、さては鎌倉の下知によって、上様を失いたてまつる結構な。さりとは大事じゃ。
、修禅寺へ夜討ちとは……。平家の残党か、鎌倉の討手か。こりゃ容易ならぬ大変じゃのう。
春彦 寄せ手は鎌倉の北条方、しかも夜討ちの相談を、測らず木かげで立聴きして、その