半七捕物帳 19 お照の父 / 岡本綺堂
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。家のお父っさんが柳橋を引き払って、沼津とか駿府とか遠いところへ引っ越してしまおうというのを、姉さんが忌だと云って
新兵衛が住み馴れた柳橋の土地を立ち退いて、沼津とか駿府とかの遠い国へ引っ込もうというのか。半七はその仔細を知りたかった
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その一つで、葛西の源兵衛堀で生け捕ったとか、筑後の柳川から連れて来たとか、子供だましのような口上を列べ立てている
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陸でも身が軽いので、あれあれといううちに吾妻橋の方へ飛んで行ってしまった。そこへ幸次郎が帰って来た。
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つで、葛西の源兵衛堀で生け捕ったとか、筑後の柳川から連れて来たとか、子供だましのような口上を列べ立てているが、
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た。つまり世の中がそうぞうしくなったせいで、もうその頃から江戸も末になりましたよ」
土地を売って他国へ行こうという。娘のお照は江戸を離れるのが忌なのと、もう一つには情夫と別れるのが辛い
雪を踏みわけて中仙道へ出た。それから諸国をめぐりあるいて江戸へはいって来たのは、ことしの花ももう散りかかる三月のなかばで
彼がふた月あまり江戸に足をとどめている間に、殆ど同時に敵と味方とにめぐりあったの
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「なんでもこの一座が四、五年前に信州の善光寺へ乗り込んだ時に連れて来ましたので、お察しの通り両親はござい
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は。いや、冗談はおいて話しましょう。御承知の通り、両国の川開きは毎年五月の二十八日ときまっていたんですが、慶応の元年の五月
でした。いつもの年ならわたくしも子分どもを連れて、両国界隈を見廻らなければならないんですが、今年は川開きも見あわせになった
所の人達がみんな能く知っている。月の四日にはきっと両国の橋番の小屋へ行って、放し鰻をして帰るのを例としている。神まいりにも
「向う両国に河童は何軒ある」
の四日のところに釈寂幽信士と戒名が見えた。新兵衛が両国の川へ毎月放し鰻をするというのは四日である。この四日の仏が新兵衛にな
)がきこえたので、半七はともかくもここを出て、向う両国へまわって幸次郎の模様を見て来ようと、居あわせた人達に挨拶して門を出
その頃の向う両国にはお化けや因果物のいろいろの奇怪な観世物が小屋をならべていた。河太
ないが、それは河童の長吉に相違ないと半七は思った。両国の河童は真っ黒に塗った尻の右と左に金紙や銀紙を丸く貼りつけて、大きい
郷へ又帰ってくると、嫂はもう死んでいた。甥の長吉は両国の河童に売られたという噂も聞いた。かさねがさねの一家の悲運を見て、長
ていることが判った。甥の長吉はやはり河童になって、両国の観世物小屋に晒されていることが判った。長平は甥にも逢った。偶然の機
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「なんでも下谷の方にいるということですが、宿の名は存じません」
花ももう散りかかる三月のなかばであった。彼は下谷辺のある安宿を仮の宿として、江戸市中を毎日遍歴し
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雨はもう止んだが、葉桜の堤は暗かった。水戸の屋敷の門前で、幸次郎のぼんやりと引っ返して来るのに出逢った。
ます。わたくしが業平の方までまいりまして、その帰りに水戸様前からもう少しこっちへまいりますと、堤の上は薄暗くなって居り
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「いつか向島でお約束をしたことがありましたっけね」
「そら、向島で河童と蛇の捕物の話。あれをきょう是非うかがいたいんです」
小梅の方角へ行ったというのを頼りに、半七は向島の方へまた急いだ。
していたかも知れませんよ。まったくその頃の向島は今とはまるで違っていて、いつかもお話し申した通り、狸
、それはどこの人だか判りません。その人は向島で河童を退治したなどと一生の手柄話にしていたかも
んですね。まあ、そのつもりで聴いてください。場所は向島の寮で、当世の詞でいえば、その秘密の扉をわたくしが開い
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になったというので、まあ楽ができると思って神田の家に寝ころんでいますと、一人の若い女が駈け込んで来たん
いるのを幸いに、お浪は着のみ着のままで神田まで駈け付けたのであった。
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そのうちに浅草の七ツ(午後四時)がきこえたので、半七はともかくもここ
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をかぶって、尻を端折って、ぬかるみを飛び飛びに渡りながら両国橋を越えた。
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たのは此処らであろうと見当をつけて、二人は隅田川に沿うた堤下に降りると、岸と杭とのあいだに挟まって何か