半七捕物帳 17 三河万歳 / 岡本綺堂
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は決して立ち入らないことになっていました。幾日か江戸に逗留して、自分の出入り屋敷だけをひと廻りして、そのままずっと帰っ
た。他国者の才蔵が赤児をかかえて、寒い夜なかに江戸の町なかをさまよい歩いていたという、その理窟が呑み込めなかった。殊に赤児
して別れる。そうして、その年の暮に万歳が重ねて江戸へ下ると、主に安房上総下総から出て来る才蔵は約束の通りその定宿へ
は約束の通りその定宿へたずねて行って、再び連れ立って江戸の春を祝ってあるく。それが此の頃の例になっているので、万歳
帰った。寒い風は夜通し吹きつづけたので、火事早い江戸に住んでいる人達はその晩おちおち眠られなかった。とりわけて御用を持っ
彼は一昨年の春からお津賀に関係して、毎年江戸へ出るたびに彼女のところへ訪ねて来て、松の内に稼ぎためた金の
すぐに宿を引き払って故郷へ帰った。それから後の江戸の春に市丸太夫の万歳すがたはもう見えなくなった。
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工夫はあるまいかと考えながら、師走の忙がしい往来を、本郷の方角へぶらぶらあるいて来ると、橋の袂で二十四五の男に
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半七は受け合って八丁堀を出たが、どこから手をつけていいかちょっと見当が決まらなかった。
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は下町で酔いつぶれてしまうが、下戸は酔わないから正直に四谷赤坂麹町まで回礼をしてあるくわけで、春早々から麹町や赤坂などの年始
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ある年の正月、門松のまだ取れないうちに赤坂の家をたずねると、半七老人は格子の前に突っ立って、初春の巷
「そうでしょうね」と、老人はうなずいた。「以前は赤坂よりも麹町の方が繁昌だったんですが、今ではあべこべになった
ですが、今ではあべこべになったようです。麹町も赤坂も、昔は山の手あつかいにされていた土地で、下町にくらべるとお
麹町まで回礼をしてあるくわけで、春早々から麹町や赤坂などの年始廻りをしているのは野暮な奴だというようなことに
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つばかり大きく残っているのが眼についた。彼は下谷の稲荷町に住んでいる富蔵と名乗った。
善八を出してやって、ふたりは下谷の稲荷町へ足を向けた。朝からの空っ風が白い砂けむりを吹き巻いている
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「麹町辺よりこちらの方が賑やかですね」と、わたしは云った。
四谷赤坂麹町まで回礼をしてあるくわけで、春早々から麹町や赤坂などの年始廻りをしているのは野暮な奴だというよう
で酔いつぶれてしまうが、下戸は酔わないから正直に四谷赤坂麹町まで回礼をしてあるくわけで、春早々から麹町や赤坂などの年始廻り
薄かったものです。川柳にも『下戸の礼、赤坂四谷麹町』などとある。つまり上戸は下町で酔いつぶれてしまうが、下戸は酔わない
たんですが、今ではあべこべになったようです。麹町も赤坂も、昔は山の手あつかいにされていた土地で、下町に
ね」と、老人はうなずいた。「以前は赤坂よりも麹町の方が繁昌だったんですが、今ではあべこべになったようです
「どうも面白い見付け物はありません。御存知の通り、麹町の三河屋は屋敷万歳の定宿で、毎年五、六人はきっと巣を作っ
鴉の影が御堀の松の上に迷っていた。麹町五丁目の三河屋へたずねてゆくと、筋向うの煙草屋の店さきに善八が腰かけて
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大きく残っているのが眼についた。彼は下谷の稲荷町に住んでいる富蔵と名乗った。
善八を出してやって、ふたりは下谷の稲荷町へ足を向けた。朝からの空っ風が白い砂けむりを吹き巻いている広徳寺
てみると、果たして火事には相違なかったが、それは稲荷町の長屋の一軒焼けで鎮まった。
た。ふたりは眼口をふさいで転げるようにあるいた。稲荷町へ行き着いてみると、富蔵の家は半焼けのままで頽れ落ちて、咽せる
で買いました小刀をふところに入れて、昨晩の夜ふけに稲荷町へそっと忍んでまいりますと、案の通りお津賀は隣りの家へはいり込ん
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以前は日本橋の四日市に才蔵市というものが開かれて、三河から出てくる万歳
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お津賀の家は小綺麗に住まっているらしく、軒には亀戸の雷除けの御札が貼ってあった。表の戸は相変らず錠を
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ふたりは連れ立って神田へ帰った。寒い風は夜通し吹きつづけたので、火事早い江戸に住ん
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なって来たので、この七月に暇を取って新宿の宿許へ帰って、十月のはじめに女の児を無事に生み落しまし