半七捕物帳 26 女行者 / 岡本綺堂
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明治三十二年の秋とおぼえている。わたしが久松町の明治座を見物にゆくと、廊下で半七老人に出逢った。
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二人の美しい娘を連れて、今後のたつきを求めるために関東へ下って来た。その途中でふと思い付いたのが祈祷所の仕事であっ
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で、つまりこんにちの偽華族というたぐいでしたろう。それが江戸じゅうの噂になったので、狂言作者の名人南北がそれを清玄桜姫の
の軍用費調達というほどの大仕掛けではなくとも、江戸をあばれ廻る浪士どもの運動費調達ぐらいのことは無いともいわれない。岡崎
いた。それらを世渡りの手段として、かれは江戸のまん中に祈祷所の看板をかけたのであるが、自分では諸人の
この大胆な計画が予想以上に成功して、迷信の強い江戸の人々を見事に瞞着しているうちに、ここに一つの障碍が起っ
をうしなって久しく独身の生活をつづけていた彼は、江戸へくる途中からすでにお万を自分の物にしていたのであった
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八丁堀同心の岡崎からときどきに催促されて、半七も気が気でなかった。こうなったら
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いたんですが、ついその儘にして置いて、八丁堀の旦那に先手をうたれてしまいました。こいつは大しくじり、あやまりました
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で別れたが、それから二、三日過ぎてわたしは赤坂の家をたずねた。半七老人の劇評を聞こうと思ったからである。
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奉行所の方でも大事を取って、一応念のために京都へ問いあわせたのですが、日野家では一切知らぬという返事であっ
貸座敷の娼妓ですね。その娼妓のお琴という女が京都の日野中納言家の息女だと云って、世間の評判になったこと
腑に落ちねえ。いや、まだ怪しからねえのは、そいつが京都の公家の娘だと云っているそうだ。冷泉為清卿の息女で、
そうですねえ」と、半七は再び首をかしげた。「京都へお聞きあわせになりましたか」
議論が沸騰している今の時節では、仮りにも京都の公家にゆかりがあるという者、それは厳重に詮議しなければなら
相手が京都の公家の娘で、問題が勤王とか討幕とかいう重大事件である
であるが、かの怪しい行者は勤王とか討幕とか、京都の公家の娘とかいう、大きな背景を持っているらしいだけに、半七
はないので、一万両の金を儲け出したらば、京都へ帰って田地でも買って、安楽に一生を暮らすつもりであったと
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(例)品川宿
。なぜそんな偽りを云い触らしたのか判りませんが、おそらく品川の借金をふみ倒した上で、なにか山仕事を目論もうとして失敗した
の申渡書では品川宿旅籠屋安右衛門抱とありますから、品川の貸座敷の娼妓ですね。その娼妓のお琴という女が京都の日
申渡しとおぼえていますが、町奉行所の申渡書では品川宿旅籠屋安右衛門抱とありますから、品川の貸座敷の娼妓ですね。その娼妓
その日の夕方に、久次郎の死骸が品川沖に漂っているのを漁師船が発見した。
ていたのか判らない。かれは水死の浅ましい亡骸を品川の海に浮かべたのであった。
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を清玄桜姫のことに仕組んで、吉田家の息女桜姫が千住の女郎になるという筋で大変当てたそうです。その劇場は木挽町の
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ん。お琴は奉公中に主人の店をぬけだして、浅草源空寺門前の善兵衛というものを家来に仕立て、例の日野家息女を
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かれは神田の家へ帰って、子分の多吉を呼んだ。多吉はその話を聞かさ
伊勢屋の方へ出て行った。半七が身支度をして神田の家を出たのは朝の四ツ(午前十時)過ぎで、