指輪一つ / 岡本綺堂
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なんといっても木曽の宿です。殊に中央線の汽車が開通してからは、ここらの宿も
「やっぱり木曽ですね。九月でもふけると冷えますよ。」
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も圧し潰されるかと思うような苦しみを忍びながら、どうやら名古屋まで運ばれて来ましたが、神奈川県にはまだ徒歩連絡のところがあると
かいうことを聞いたので、さらに方角をかえて、名古屋から中央線に乗ることにしました。さて、これからがお話です。
となりに立っている男が話しかけたのです。この人も名古屋から一緒に乗換えて来たらしい。煎餅のように潰されるとは本当のこと
乗客も無我夢中で運ばれて行くのでしたが、午後に名古屋を出た列車が木曽路へ入る頃にはもう暮れかかっていました。僕
よんどころなく下車してここに一泊して、あくる朝早々に名古屋行きの汽車に乗って行った。女は真っ蒼な顔をしていて
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間接に今度の震災に関係のある人たちばかりですから、本所と聞き、さらにその男の話をきいて、かれに注意と同情の眼を
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てみると、ここにも誰もいない。では、大阪へ行ったかとまた追っかけて行くと、ここにも来ていない。仕方
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てみたいという料簡が勝を占めたので、とうとう岐阜で道連れに別れて、一騎駈けて飛騨の高山まで踏み込みました。その道中
、詳細のことが早く判らないので、町の青年団は岐阜まで出張して、刻々に新しい報告をもたらしてくる。こうして五、
東海道線を取ることにして、元来た道を引っ返して岐阜へ出ました。そうして、ともかくも汽車に乗ったのですが、
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から真っ直ぐに帰ってくればよかったのですが、僕は大津にいるあいだに飛騨へ行った人の話を聞かされて、なんだか
ふたりと三人づれで京都へ遊びに行って、それから大津のあたりにぶらぶらしていて、八月の二十日過ぎに東京へ帰る
、八日の朝東京を発って、苦しい目をして大津へ行ってみると、ここにも誰もいない。では、大阪へ
日たっても、どこからも一人も出て来ない。大津に親類があるので、もしやそこへ行っているのではないか
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あの年の夏は友人ふたりと三人づれで京都へ遊びに行って、それから大津のあたりにぶらぶらしていて、八
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その混雑は大変、とてもお話にもならない始末で、富山から北陸線を取らなかったことを今更悔んで追っ付かない。別に荷物らしい
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の夜に投宿した夫婦連れがある。これは東京から長野の方をまわって来たらしく、男は三十七八の商人体で
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いたということです。当人の話では、自分は下谷辺の宝石商で家財はみんな灰にしたが、わずかにこれだけの品
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「あなたは本所ですか。わたしは深川です。家財はもちろん型なしで、塵一っ葉残りませんけれど、それで
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あたりにぶらぶらしていて、八月の二十日過ぎに東京へ帰ることになったのです。それから真っ直ぐに帰ってくればよかった
も引っくり返るような騒ぎです。飛騨の高山――ここらは東京とそれほど密接の関係もなさそうに思っていましたが、実地を
も関東方面の人ではないのですが、それでも東京の大震災だというと、みな顔の色を変えておどろきました。町
ばかりのあいだはほとんど一睡もしない、食い物も旨くない。東京の大部分が一朝にして灰燼に帰したかと思うと、ただむやみに
僕の郷里は中国で今度の震災にはほとんど無関係です。東京に親戚が二軒ありますが、いずれも山の手の郊外に住んでいるの
の十七日にここを発つことにしました。飛騨から東京へのぼるには、北陸線か、東海道線か、二つにひとつです。
身ごしらえといい、その口ぶりによって察しると、震災後に東京からどこへか一旦立退いて、ふたたび引っ返して来たらしいのです。僕は
「あなたは東京ですか。」
「ああ。」と、僕は思わず叫びました。東京のうちでも本所の被害が最もはなはだしく、被服厰跡だけでも何万人
も来ていない。仕方がないので、また引っ返して東京へ帰るんですが、今まで何処へも沙汰のないのをみると、もう
ているのではないかと思って、八日の朝東京を発って、苦しい目をして大津へ行ってみると、ここにも
ませんよ。家の者ばかりが死んだわけじゃあない、東京じゅうで何万人という人間が一度に死んだんですから、世間一統の
知れない。それも短い時間ならば格別ですが、これから東京まではどうしても十時間ぐらいはかかると思うと、僕にはもう
案内してくる人たちを泊めるだけでした。それはみな東京の罹災者で、男女あわせて十組の宿泊客があったが、宿帳に記さ
九日の夜に投宿した夫婦連れがある。これは東京から長野の方をまわって来たらしく、男は三十七八の商
われわれは翌日東京に着いて、新宿駅で西田さんに別れました。僕の宿は知らせ
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に出っ食わしたという一件で。仕方がなしに赤羽から歩いて帰ると、あの通りの始末で何がどうなったのかちっとも