半七捕物帳 60 青山の仇討 / 岡本綺堂

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青山

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目からは勝手に出あるく事になる。金右衛門と為吉は四谷と青山に親類があるので、江戸へ出た以上、そこを尋ねなければならない

ない。その日の八ツ半(午後三時)頃に青山六道の辻にさしかかりました。

もある。下総屋では小僧に提灯を持たせて、青山の大通りまで送って行かせた。

谷町を出て、例の六道の辻を通りぬけて、やがて青山の大通りへ出ようとすると、そこらは道幅が一間半に足らない狭い

半七はすぐに子分の庄太を連れて青山へ出張った。云うまでもなく、この事件は六道の辻の若党殺しと、

、例の一件が気になるので、その帰り道に青山へ足を向けた。なんと云っても此の事件は、六道の辻の

江戸

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いるので、佐倉領のお百姓たちも見物のために江戸へ続々出て来るというわけで、芝居はいよいよ繁昌しました。もちろん芝居

は忘れましたが、金右衛門、為吉という二人の百姓が江戸へ出て来ました。これも中村座見物の連中で、十五人づれで馬喰町

、為吉は妹のお種を連れていましたが、江戸へ着いた翌日は先ず中村座見物、あとの二日は思い思いに江戸見物を

た翌日は先ず中村座見物、あとの二日は思い思いに江戸見物をして、それからみんな一緒に帰国するという約束。そこで、第

。金右衛門と為吉は四谷と青山に親類があるので、江戸へ出た以上、そこを尋ねなければならないと、二人は他の一行に

へ行くも徒歩きですから埓は明きません。おまけに江戸の勝手をよく知らない人たちが道を訊きながら歩くのですから、いよいよ捗取ら

が、更に手がかりが無いので、東海道の宿々を探しながら江戸へ下って来て、去年の夏から一年あまりも江戸市中を徘徊し

江戸の人達はさびしいと云うが、佐倉の在所に住み馴れた金右衛門らは、

、茂兵衛ははっきり答えた。「八年ほど前に一度、江戸へ出て来たことがありまして、今度が二度目でございます。そんな

まして、今度が二度目でございます。そんなわけで、江戸には碌々に知りびともない位でございますから、恨みを受けるなぞという事

が、気は確かであった。彼も茂兵衛と同様、江戸には殆ど知りびともない位であるから、恨みをうける覚えなどは更に無いと

兄妹もおなじ返事であった。殊に為吉らは生まれて初めて江戸へ出たと云うのであるから、何が何やら殆ど夢中で、この不意

「米屋の茂兵衛はいつ頃から江戸へ出て来たのだね」

「十年ほど前に江戸へ出まして、最初は深川で米屋をして居りました。それから唯今

「金右衛門は八年ほど前に江戸へ出たことがあるそうだね」

もおどろいたが、表向きに訴えることも出来ません。なにしろ江戸へ出る約束になっていたのですから、郡兵衛も大かた江戸へ行ったろう

出る約束になっていたのですから、郡兵衛も大かた江戸へ行ったろうという想像で、武助はそのあとを追って江戸へ出て来

へ行ったろうという想像で、武助はそのあとを追って江戸へ出て来ましたが、一万石の故郷とは違って江戸は広い。

出て来ましたが、一万石の故郷とは違って江戸は広い。いかに根よく探し歩いたところで、容易に知れる筈はありません。

取らず、茂兵衛の家に小半月ほども泊まって、ゆっくり江戸見物をして帰りましたが、ここに一つの面倒がおこった。と

江戸と佐倉と距れていますから、そんな捫著のおこったことを金右衛門はちっとも

でした。佐倉宗吾の芝居が飛んだ災難の基で、江戸へ死にに来たようなものでした。

武蔵野

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頃の権田原は広い野原で、まだ枯れ切らない冬草が、武蔵野の名残りをとどめたように生い茂って、そのあいだには細い溝川が流れてい

四谷

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二日目からは勝手に出あるく事になる。金右衛門と為吉は四谷と青山に親類があるので、江戸へ出た以上、そこを尋ねなければ

赤坂

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月の二十日過ぎである。例のごとく日曜日の朝から赤坂の宅へ推参すると、老人はきのう新富座を見物したと云った。

二人は赤坂の方から行きむかったので、まず道順として青山下野守屋敷の辻番

松山

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。そこで、千右衛門の申し立てによると、自分は備中松山五万石板倉周防守の藩中であると云うので、辻番所からは

た時に、水野家の辻番へ行って、自分は備中松山五万石板倉周防守の藩中と名乗りましたが、それは出たらめで、

深川

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「十年ほど前に江戸へ出まして、最初は深川で米屋をして居りました。それから唯今の千駄ヶ谷へ引っ越したので

「はい。茂兵衛がまだ深川にいる時でございまして」

見物に出て来たことがあります。そのころ茂兵衛は深川に住んでいて、やはり米屋をしていました。金右衛門は一人で

千駄ヶ谷

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たずねて、ここで午飯を馳走などになって、それから千駄ヶ谷谷町に住んでいる親類をたずねることになりました。その親類もやはり下総

これで先ずほっとして、金右衛門の一行は千駄ヶ谷谷町の下総屋へ尋ねて行って、今の話などをしていると

それから千駄ヶ谷の谷町へ引っ返して、米屋の下総屋をたずねると、手負いの金右衛門は奥

は深川で米屋をして居りました。それから唯今の千駄ヶ谷へ引っ越したのでございます」

辺の旗本屋敷の若党に住み込んでいて、その日は千駄ヶ谷辺の知りびとのところへ尋ねて行く途中、子供のみやげに柿を買って

浅草

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られたのであるが、あしたは他の一行と共に浅草辺を見物する約束になっているので、今夜のうちに馬喰町の宿

神田

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目の朝である。青山へ見張りに出してある庄太が神田の家へ駈け込んで来た。

新宿

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から如才もあるめえが、亀吉とでも相談して、新宿あたりの山女衒をあさってみろ。このごろ宿場の玉を売り込みに行った奴

たのは、二十一二の町人風の男と、新宿あたりの女郎らしい二十歳前後の仇めいた女であった。

代々木の多聞院門前に住む経師屋のせがれ徳次郎、女は内藤新宿甲州屋の抱え女お若で、ままならぬ恋の果ては死神に誘われ

「茂兵衛も女房に死に別れて、当時は独り身ですから、新宿なぞへ遊びに行く。しかし多くは昼遊びで、決して家を明けたこと

よくない。酒の勢いを借りて威勢よくやる積りで、新宿あたりで一杯のんで来て、榛の木の下の暗やみに待っていると、

日本橋

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日はほかによんどころない義理があって、半七は午頃から日本橋辺へ出かけたが、例の一件が気になるので、その帰り道

代々木

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かれらが恐るおそる申し立てるところによると、男は代々木の多聞院門前に住む経師屋のせがれ徳次郎、女は内藤新宿甲州屋の抱え女

品川

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ないので、何処をどう歩いたのか、迷い迷って品川から大森の海岸へ出てしまったのです。もう夜は更けて、眼