半七捕物帳 56 河豚太鼓 / 岡本綺堂

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地名一覧

雷門

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ですが、その時に根岸の家で河豚太鼓を貰い、雷門で菓子を買って、坊ちゃんのおみやげに持って行った……。よくよく

湯島

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の初めです。神田明神下の菊園という葉茶屋の家族が湯島へ参詣に出かけました。この葉茶屋は諸大名の屋敷へもお出入りをし

から午過ぎから出かけると、前にも云う通りの評判で、湯島の近辺は押し返されないような混雑、そのなかを潜って社前に参詣して

江戸

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ことが追いおいに認められて来て、大阪の方が江戸よりも早く植疱瘡を始めることになりました。江戸では安政六年の

が江戸よりも早く植疱瘡を始めることになりました。江戸では安政六年の九月、神田のお玉ヶ池(松枝町)に種痘所という

十年ほど前から、誰が考え出したか知らないが、江戸には河豚太鼓がはやった。素焼の茶碗のような泥鉢の一方に河豚

もすぐに家を出た。寒い風はいよいよ吹き募って、江戸の町の砂はひどい。北へむかってゆく半七は、上野の広小路あたりで

「そうです。前にも云う通り、江戸では安政六年から種痘所というものが出来て、植疱瘡を始めました

本郷

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て、とかくに火事沙汰の多いのに困りましたが、本郷湯島の天神の社殿改築が落成して、正月二十五日の御縁日から十六日間

八丁堀

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へも手を着けることは出来ない。又その出前には八丁堀の旦那のところへも顔出しをしなければならない。半七は忙がしい体であっ

八丁堀から葬式へまわると、寺は橋場であった。八ツ(午後二時)

外神田

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一旦実家へ戻ったが、乳の出るのを幸いに、外神田の菊園へ乳母奉公に出て、あしかけ七年も勤めている。

役割を決めて、半七は一旦ここを引き揚げた。帰り途に外神田へさしかかって、菊園の前を通り過ぎながら、横眼に店をちらりと覗くと、

根岸

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、若いおかみさんと同い年でございます。お福の宿は根岸の魚八という魚屋で、おやじは代々の八兵衛、おふくろはお政、ほかに

する料簡か、二つに一つだろう。おめえはこれから根岸へ行って、乳母のお福の宿をしらべて来てくれ。お福の

それがために、くれ竹の根岸の里も俄かにさびれた。春来れば、鶯は昔ながらにさえずりながら、

次郎吉と白雲堂に気をつけてくれ。弥助の受け持ちは根岸の魚八だ。その魚屋にどんな奴らが出這入りをするか油断なく見張って

お福は正直に勤める女といい、その宿も遠くない根岸にあるので、月に一度くらいは実家へ立ち寄ることを許してある。もちろん

「白雲堂に知恵をつけられて、その後で根岸へまわって、その一件を打ち明けると、魚八の夫婦も無論にむかし者

とうとう我慢が出来なくなって、日の暮れるのを待って根岸の家へ出て行くと、白雲堂がたった今帰ったというところでした

しているわけにも行かないので、暇を取って根岸の実家へ帰りました。

大阪

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植疱瘡ということが追いおいに認められて来て、大阪の方が江戸よりも早く植疱瘡を始めることになりました。江戸では

佐賀

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文政頃から始まったとか云うことで、弘化四年に佐賀の鍋島侯がその御子息に植疱瘡をしたというのが大評判

下谷

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根岸が下谷区に編入されたのは明治以後のことで、その以前は豊島郡

神田

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になりました。江戸では安政六年の九月、神田のお玉ヶ池(松枝町)に種痘所というものが官許の看板をかけました

は忘れましたが、なんでも二月の初めです。神田明神下の菊園という葉茶屋の家族が湯島へ参詣に出かけました。この

の通りへ出ると、急ぎ足の庄太に出逢った。庄太は神田の家へゆくと、半七はもう根岸へ出向いたというので、更に

浅草

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「なんでも浅草の方へ縁付きましたのですが、その亭主が道楽者で……。生まれ

て来てくれ。お福の先の亭主は道楽者で、浅草に住んでいると云うから、これもついでに洗って来てくれ」

「浅草の方は庄太の手を借りてもいい。なるべく早くやってくれ」

な若い者である。娘のお福は十八の年に浅草田町の美濃屋という玩具屋へ縁付いたが、亭主の次郎吉が道楽者であるため

お福の先の亭主は次郎吉という男で、今は浅草の聖天下にくすぶっているのだが、お福は時々そこへたずねて行く

。そのほかには殆ど外出したことは無いから、恐らく浅草の先夫をたずねたことはあるまいと云うのである。

「浅草へ行こう」

のか。そんなことを考えながら、半七は二人と共に浅草へ急いだ。

にはなれない。そこで、まず相談に行ったのが浅草馬道の白雲堂です。相談じゃあない、占いを見て貰いに行ったん

れて、お福はいよいよ不安心になって、すぐに浅草へ廻ったんですが、その時に根岸の家で河豚太鼓を貰い、

上野

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の町の砂はひどい。北へむかってゆく半七は、上野の広小路あたりで幾たびか顔をおおって立ちすくんだ。

ずに、家の手伝いなぞをしていましたが、上野の彰義隊の戦争のときに、流れ弾にあたって死んだそうで、どこ