深見夫人の死 / 岡本綺堂
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いろいろのお世話になったことがある。その住宅は本郷の根津権現に近いところに在って、門を掩うている桜の大樹が昔ながらに白く
御承知でしょうが、多代子さんの所へしばしば手紙をよこして、根津権現の門前まで出て来い、さもなければ、いつまでも蛇をもっておまえを
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れるというのは……。学校を出たときに、北海道と台湾とに奉職口があって、桐沢さんは北海道の方へ行ったら好かろう
、北海道と台湾とに奉職口があって、桐沢さんは北海道の方へ行ったら好かろうと勧めたのだそうですが、本人はどうして
も台湾へ行くと言って出かけたので……。もし北海道へ行っていれば、そんな事にもならなかったのでしょうに……。どう
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在学中はいろいろのお世話になったことがある。その住宅は本郷の根津権現に近いところに在って、門を掩うている桜の大樹が昔
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そこに居据わっていろいろの話をはじめた。日露戦争後の満洲の噂も出た。そのうちに、奥さんはこんなことを言い出した。
「満洲と台湾とは、まるで土地も気候も違うでしょうけれど、知らない国へ行くと
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を見合せて、先生のお嬢さんと一緒に、桐沢氏の鎌倉の別荘へ転地することになったというのである。それはまことに穏当
「ええ、そうですよ。鎌倉の別荘ならば、桐沢さんの家の人たちもみんな行くのですから、多代子
「妹は東京に残って、鎌倉へ行くことになりました。」と、彼は答えた。
しかし、かの桐沢氏は、その当時あたかも鎌倉の別荘に在った為に、無残の圧死を遂げたという。わたしは桐沢
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わたしはその賑わいを後ろにして池の端から根津の方角へ急いだ。その頃はまだ動坂行きの電車が開通してい
動坂行きの電車が開通していなかったので、根津の通りも暗い寂しい町であった。路ばたには広い空地などもあって、
巡査の取調べに対して、お嬢さんは答えた。二人は根津の通りへ買物に出て、帰り路にここまで来かかると、空地の暗いなかから
た。「御存じの通り、先月なかばに多代子さんと娘が根津へ買物に出て、その帰りに多代子さんが蛇をほうり付けられたことが
犯人――それは佐倉という者で、この五月に根津の往来で多代子さんに玩具の蛇を投げたことがある。それだけは本人
は翌朝、会社の方へちょっと顔出しをして、すぐに根津へ廻ろうと思っていたのであるが、会社へ出るとやはり何かの
だか気が急くので、わたしは人車に乗って根津へ駈けつけると、先生はもう学校へ出た留守であった。それは最初から
して其の形式を改めなかったが、いつの間にか根津の大通りには電車が開通して、周囲の姿はまったく変ってしまった。
われたのは、亡き先生一家の消息であったが、根津の辺はすべて無事ということを知り、さらに奥さんもお嬢さん夫婦もみな無事
詰めとなって大連を引揚げて来た。そうして、根津とは余り遠くない本郷台に住居を定めたので、先生の旧宅へも毎月
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神戸行きの上り列車に乗っていた。社用でゆうべは広島に一泊して、きょうは早朝に広島駅を出発したのである。
が又不思議で……。その蛇の騒ぎはいつでも広島とFの駅とのあいだに起るのです。そうして、きょうと同じ
。「そうすると、何か子細がありそうだな。広島とFの町とのあいだに限っているのは不思議だ。」
再び神戸へ行かなければならない事になったので、広島に暑苦しい一夜をすごして、その明くる日の午前には又もや神戸行きの列車に
晩は一泊して、あくる日の午前の汽車に乗込んで広島まで引っ返した。商売上のことはここで説明する必要もないが、私
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勤めていて、八月下旬の暑い日の午前に、神戸行きの上り列車に乗っていた。社用でゆうべは広島に一泊し
鉄道がまだ国有にならない時代で、神戸―下関間は山陽鉄道会社の経営に属していた。この鉄道は乗客の
広島に暑苦しい一夜をすごして、その明くる日の午前には又もや神戸行きの列車に乗込んだ。残暑のきびしい折柄、同じところを往ったり来たり
説明する必要もないが、私はその商売の都合で再び神戸へ行かなければならない事になったので、広島に暑苦しい一夜をすごし
を買って食った。そうして、その日の夕方に神戸に着いた。そこで社用を済ませて、その晩は一泊して
に残っているようなことはなかった。私はきょうも神戸で降りた。兄妹も下車した。かれらはおそらく新橋行きの列車に
ある。汽車ちゅうには別に語ることもなく、わたしは神戸にいったん下車して、会社の支店に立寄った。そうして、その翌朝
なっていたが、大正三年の十一月、社用で神戸へ戻って来たので、そのついでに上京して、久しぶりで先生の
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予定の通りに、わたしは岡山で弁当を買って食った。そうして、その日の夕方に神戸に
岡山でわたしは例のごとくに弁当を買った。かの兄妹も買った。その
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、京都の親戚をたずねるために途中下車したと言って、京都見物の話などをして聞かせた。元来が温順の性質らしいが、
二、三日前に東京を去ったのであるが、京都の親戚をたずねるために途中下車したと言って、京都見物の話などを
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会社の門司支店や大連支店に勤めていて、震災以後東京へ帰って来たのである。その西島君が今度の深見夫人の一
いや、どうも飛んだお茶番でしたね。」と、東京の商人らしい乗客の一人が笑いながら言った。
ばかりでなく他の乗客にも怪しまれたと見えて、東京の商人は笑いながら私に言った。
わたしは社用を帯びて上京して、約三ヵ月ばかりは東京の本社の方に詰めていることになった。
からも見物の団体が続々上京する。天下の春はほとんど東京にあつまっているかと思われるような賑わいのなかに、わたしも愉快な
なにしろ久し振りで東京へ帰って来たのである。時は四月の花盛りで、上野に
いられない。わたしは毎日一度はかならず出社する以外に、東京にある親戚や先輩や友人をたずねて、平素の無沙汰ほどきをしなけれ
思いながら、いろいろの都合で私はとうとう先生に逢わずに東京を去ることになった。勿論、その事情を手紙にかいて先生宛に
彼はやはり二、三日前に東京を去ったのであるが、京都の親戚をたずねるために途中下車したと
「妹は東京に残って、鎌倉へ行くことになりました。」と、彼は答え
。わたしの知人でその災厄に罹かった者も多かった。東京の本社も焼かれた。その際にもまず気配われたのは、亡き
震災の翌年、すなわち大正十三年の夏から、わたしは東京の本社詰めとなって大連を引揚げて来た。そうして、根津と
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神戸で降りた。兄妹も下車した。かれらはおそらく新橋行きの列車に乗換えたのであろう。その後のことは勿論わたしに判ろう筈
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て来たのである。時は四月の花盛りで、上野には内国勧業博覧会が開かれている。地方からも見物の団体が続々
五月のなかばの日曜日で、わたしは午後七時ごろに上野行きの電車を降りると、博覧会は夜間開場をおこなっているので、広小路
本郷台の裾に低く沈んでいた。わずかの距離で、上野と此処とはこんなにも違うものかと思いながら、わたしは宵闇の路