玉藻の前 / 岡本綺堂
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俊成がある。清輔がある。隆季がある。女には堀川がある。安芸がある。小大進がある。国歌はあたかも再興の全盛時代で
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叡山と三井寺の不和は多年の宿題で、戒壇建立の争いのためには三井寺の
しょせんは三井寺の僧徒を煽動して叡山に敵対させ、かれらを執念く啖い合わせて、仏法の乱れ、あわせて王法
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ながら、疲れた足を引き摺ってとぼとぼと戻ろうとすると、六条の橋の袂で呼び止められた。
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祈祷の壇にのぼった者は、一人も残さずに遠い鬼界ヶ島へ流せと仰せられたを、わたしが縋ってなだめ申したは、お前という
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いつまでも捨てて置かれた。そのうちに寒い冬が奥州の北から押し寄せて来て、那須野ヶ原も一面の雪の底に埋められ
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「では、一七日のあいだ身を浄めまして、加茂の河原に壇を築かせ、雨乞いの祈祷を試みまする」
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幼いころから父に教えられて経文を読み習った。それから清水寺の或る僧に就いて少しばかりは学んだ。そのほかには、別にこうと
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「七条じゃ。時どきに来て見やれ」
七条へ行って、三浦の宿所を探していると、きのうの家来に丁度出逢った
思い立った。祈祷から三日目の午すぎに、千枝太郎は七条へ忍んで行って三浦の宿所の門前に立つと、彼は小源二から思い
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清輔がある。隆季がある。女には堀川がある。安芸がある。小大進がある。国歌はあたかも再興の全盛時代であった。その
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「宇治の左大臣殿ももう戻られたとやら」と、その枕もとになまめかしく膝を
に詮議の仕様もないのであるが、実雅は武人で宇治の左大臣頼長に愛せられていた。兼輔はむしろ関白忠通の昵懇であっ
も容赦もならぬ。衛府の侍どもを召しあつめて、宇治へ差し向けようと思う」
「宇治へ……」と、玉藻は眉をよせた。
左大臣殿もおそらく同じ心であろう。あすにも直ぐに宇治へまいって、播磨守の願意は確かにそれがしが取次いでやる。さものうて
遠光は頼長が腹心の侍で、宇治と京とのあいだを絶えず往来して、およそ眼に入るもの、聞こゆるも
「唯今は宇治の左大臣殿御参詣でござる。誰人にもあれ、山門の内へ罷り通ること
こうあきらめて頼長も宇治へ帰った。さきの雨乞いといい、きょうの待ち伏せといい、一度ならず二
捨て置かれぬ。おのれ、おのれ、兄の足もとに踏みにじって、宇治の屋形を草原にしてみしょうぞ」と、忠通は自分も狂ったよう
「もう夜が明けたぞ。泰忠は早く支度して宇治へまいれ。早う行け」
この時代の人が京から宇治まで徒歩で往き戻りするのであるから、帰りの遅いのは判り切っているの
帰ると、泰忠はもう先きに戻っていた。彼は宇治へゆく途中の頼長に逢って、ひとつ牛車に乗せられて来たので
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に加えなかった。ややもすれば神輿を振り立てて暴れ出す延暦寺の山法師どもも、この頃はおとなしく斎の味噌汁をすすって経を読んでいるらしい。
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未の刻(午後二時)をすこし過ぎた頃、比叡の頂上に蹴鞠ほどの小さい黒雲が浮かび出した。と思う間もなしに、
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は庭伝いにばらばらと駈けあつまって来た。そのなかでも近ごろ筑紫から召しのぼされた熊武という強力の侍が、大きい鉞を掻い込ん
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大六は店あきないをしているのでない。京伏見から大津のあたりを毎日めぐり歩いて、呼び込まれた家の烏帽子を折っているので
広くつづいて、その畑と岸とのあいだの広い往来を大津牛が柴車をひいてのろのろと通った。時どきに鵙も啼いて通った
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は説明した。三浦介は上総介平広常と共に京都の守護として、このごろ坂東から召しのぼられたのであった。