鷲 / 岡本綺堂
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の秋から冬にかけて、遠くは奥州、あるいは信州、甲州、近くは武州、相州または向う地の房総の山々から大きい鷲が江戸附近
鷲は上総の山から海を越えて来るともいい、あるいは甲州の方角から来るともいう。いずれにしても、これほどの大きい鳥は
に、又次郎はふと考えた。かれの指さす空は武州か甲州の方角である。前にもいう通り、その眼はただの人間の眼で
角蔵夫婦の子で、お島の妹である。武州や甲州の山奥から飛んでくる鷲の子――それが人間の形となって自分
秘密をあかした。今から十六年前の秋、彼は甲州の親類をたずねて帰る途中、笹子峠の麓の小さい宿屋に泊ると、となりの
抱いていた。その話によると、かれが信州と甲州の境の山中を通りかかると、どこかで赤児の泣く声がきこえる。不思議に
女であるので、その妹として養育した。甲州の親類からよんどころなく引取ってきたと世間には披露して、その名をお蝶
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母のお豊と妹のお蝶が連れだって、日ごろ信仰する川崎大師へ参詣に出て来たのも、それがためであった。お松と
。現に先月もそれがために、お蝶は母と共に川崎大師へ参詣したくらいである。その時のおみくじに凶が出たとかいう
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与力、和田弥太郎の妻のお松で、和田の屋敷は小石川の白山前町にあった。弥太郎は二百俵取りで、夫婦のあいだにお藤
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今もむかしも川崎の大師は二十一日が縁日で、殊に正五九の三月は参詣人が多い
軒をならべて往来の人々を呼んでいた。最初は川崎の宿まで出て、万年屋で昼食という予定であったが、思いがけ
たときよりも寒いようだ。このあいだはお母さまと久助が川崎でお豊に逢ったそうだな。」
に恐れ入りますが……。実は先日、このお豊が川崎の大師さまへ御参詣をいたしまして、お神鬮をいただきましたところが
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縁日で、殊に正五九の三月は参詣人が多い。江戸から少しく路程は離れているが、足弱は高輪あたりから駕籠に乗ってゆく。
高輪あたりから駕籠に乗ってゆく。達者な者は早朝から江戸を出て草履か草鞋ばきで日帰りの短い旅をする。それやこれやで、
便利のない時代にも、大師詣での七、八分は江戸の信心者であった。
この主従は七つ(午前四時)起きをして江戸の屋敷を出て、往きの片道を徒で歩いて、戻りを駕籠に乗る
にもいう通りきょうは九月の縁日にあたるので、江戸や近在の参詣人が群集して、門内の石だたみの道には参下向の
説明しておく必要がある。御新造と呼ばれる女は、江戸の御鉄砲方井上左太夫の組下の与力、和田弥太郎の妻のお松で、
そこで、地勢の関係かどうか知らないが、江戸へ飛んでくる鷲の類は、深川洲崎の方面、または大森羽田の方面
出張る関係から、双方が自然知合いになって、お島は江戸の屋敷へ奉公することになったのである。父は角蔵、母はお
も、それがためであった。お松と久助が遠い江戸からここへ参詣に来たのも、やはりそれがためであった。同じ縁日
「ゆうべは強い風だったな。江戸もこの頃は風が多いが、こっちもなかなか強い風が吹く。ここらは海
風が吹く。ここらは海にむかっているので、江戸よりは暖かそうに思われるが、けさなどは随分寒い。」と、又次郎は
すこしく言いしぶった。お豊にたずねられるままに、彼は江戸の噂などをして、結局肝腎の問題には触れないで立ち帰ることになっ
江戸の屋敷にいるはずのお島がどうしてここらを歩いているのか
「そうか。親孝行だな。江戸を出てから、まだ十日ばかりだが、このごろはおまえが恋しくなって、
いい心持になってここらをぶらついていると、急に江戸が恋しくなって……。お前が恋しくなって……。そこへ丁度にお前
を駕籠に乗せて、あくる朝のまだ明けきらないうちに江戸へ送った。駕籠の脇には久助が力なげに附添って行った。
か。二人のあいだにどういう関係があるのか。彼は江戸から引っ返して来て、その詮議のために角蔵の家をたずねると、彼は
のぼったので、父の弥太郎もおなじく病気と披露して江戸へ帰ることになった。
江戸へ帰って五日目に、弥太郎もまた急病死去という届け出でがあった。
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あるいは信州、甲州、近くは武州、相州または向う地の房総の山々から大きい鷲が江戸附近へ舞いあつまって来る。鷲は猛鳥であるから
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鷲撃ち――毎年の秋から冬にかけて、遠くは奥州、あるいは信州、甲州、近くは武州、相州または向う地の房総の山々から
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のは、多くは鷲の仕業で奥州岩木山の鷲が薩摩の少年をさらって行ったというような、長距離飛行の記録もある。
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か知らないが、江戸へ飛んでくる鷲の類は、深川洲崎の方面、または大森羽田の方面に多く、おそらく安房上総の山々から
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お島のおっかあ、何をぼんやりしているんだな。市ヶ谷の御新造さまがお出でになっているんだよ。」
市ヶ谷という声におどろかされたように、二人の女は急に顔をあげ
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。」と、久助はまた笑った。「おっかあ、おめえは浅草の観音さまへ行ったことがあるかえ。」
「なんぼ私らのような田舎者でも、浅草の観音さまぐらいは知っていますのさ。」