半七捕物帳 47 金の蝋燭 / 岡本綺堂

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地名一覧

大井川

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いいえ、なんでも東海道の方に長くいたそうで、大井川の話なんぞをした事があります。江戸へは一昨年の春頃から出

どなたも御承知でしょうが、東海道の大井川、あの川は江戸から行けば島田の宿、上方から来れば金谷の宿、

箱根

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。旦那の話では、おかみさんは体が悪いので箱根へ湯治にやったということでした」

へ出るような支度をしていて、おれもこれから箱根まで行って、十日ばかりすると帰って来ると云い置いて出ました」

江戸城

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藤岡藤十郎、野州無宿の富蔵、この二人が共謀して、江戸城本丸の御金蔵を破って、小判四千両をぬすみ出しました。この御金蔵破り

のことであって、その当時は全く目星が付かない。江戸城内の勝手を知っている番士またはその家来どもの仕業であるか、或いは

見逃がすことは出来ないのである。いずれにしても、江戸城内に忍び入って金蔵を破るほどの大胆者である以上、彼らにも相当

絡んだ一種の秘密は五年以前の出来事であるらしい。江戸城本丸の金蔵破りは先々月の六日であるから、五年以前の出来事と

松戸

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お由は下総の松戸の生まれで、去年の三月からこの家に奉公して、今まで長年して

江戸

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そうで、大井川の話なんぞをした事があります。江戸へは一昨年の春頃から出て来たということです」

山出しの女中と三人暮らしである。他国者だけに、江戸には身寄りも無いらしく、かつて親類の噂などを聞いたことも無いと云っ

どなたも御承知でしょうが、東海道の大井川、あの川は江戸から行けば島田の宿、上方から来れば金谷の宿、この二つの宿

で足が付きそうになったのか、京都を立ちのいて江戸へ出て来て、浅草の田町で金貸しを始めることになったんです。

が、相手が相手だから貸し倒れも多い。おまけに宗兵衛は江戸の水に浸みて、奥山の茶屋女に熱くなるという始末だから、夫婦

に因って判断すると、その蝋燭は何処かの大名から江戸の役人たちへ贈る品で、その当時は『権門』なぞと云いましたが

のだろうと思われます。そこで、その進物を国許から江戸へ送って来るには、もちろん相当の侍も付いているに相違ありません

があったかどうだか知りませんが、その男は江戸へむかって逃げるのは危険だと思って、上方へむかって引っ返す途中、金谷

でどんな事があろうとも、表向きの詮議は出来ません。江戸の幕府の役人たちに蝋燭を贈ったなぞということが世間へ知れては

八丁堀

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、わたくしばかりじゃあない、江戸じゅうの御用聞きは総がかりです。八丁堀の旦那衆もわたくし共を呼びつけて、みんなも一生懸命に働けという命令です。

弁天山

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「弁天山の四ツがきこえる前でした」

本所

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からか、早く云えば日本橋の方から来たのか、本所の方から来たのか、それも判らねえかね」

「おかみさんは駕籠に乗って、本所のどこへ行ったか知らねえか」

「本所と聞いたばかりで、どこへ行ったか存じません」

「本所に親類か知人でもあるのか」

にここのおかみさんを担いで行った駕籠屋を調べて、本所のどこまで送ったか訊きただして来るのだ」

訊いたら、ここのおかみさんを乗せて行った先は、本所のももんじい屋の近所の錺屋だそうですよ」

しているように云い聞かせて置いて、半七と幸次郎は更に本所へむかった。駒止橋の近所で錺屋の増さんと訊くと、すぐに知れ

わたくしが本所の錺屋へ出張ったのは七日の午過ぎで、宗兵衛はその前夜に飛んで

奥山

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「なに、奥山の茶屋女が慾得ずくで世話になっている旦那だ。心から惚れて

大阪

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「おまえは知るまいが、京大阪の金持は泥坊の用心に、こういう物をこしらえて置く。どんな泥坊が徒党

両国

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に当って、人の飛び込んだような水音が響いたので、西両国の橋番小屋から橋番のおやじが提灯をつけて出た。両国橋は天保十年四月に

「お早うございます。早速ですが、親分、両国の一件を聴きましたかえ」

「両国の一件……。四、五日前の晩に誰か落ちたというじゃあねえか。あの長げえ

柳原堤の夏柳を横に見ながら、二人は西両国へ行き着くと、橋の修繕はなかなかの大工事であるらしく、その混雑のため

の名で、占い者にお手の筋を見て貰って……。それから両国の川へ行ってお念仏を唱えて……。これから何処へかお寺参りにでも行くの

二人は両国を出て浅草の方角にむかった。

「また両国と同じ芝居を打たにゃあならねえ。女を嚇かすのはおめえに限る。まあ、頼

きのうの今日であるから、お由はまだ両国の噂を聞いていないのであった。正直者の彼女は旦那のいうことを一途に信

「まことに恐れ入りました。実はきのう両国の仮橋の下から女の死骸が揚がって、それが金の蝋燭をかかえていたという

。たぶん帰り路で二度の喧嘩をはじめて、おかみさんは両国の仮橋から飛び込んだのだろうと思います。宗兵衛はどうしたのか、田町へ

帰ったんですが、さてどうも気にかかるので、その後も両国へ毎日通って、橋の上から大川を眺めているうちに、とうとうお竹の死骸が

。そのうちに橋番のおやじが出て来たので、あわてて東両国の方へ引っ返して、河岸伝いに吾妻橋へ出て、無事に田町の家へ逃げ帰った

「宗兵衛は女房をなだめて、一緒に増蔵の家を出て、両国まで帰って来ると、お竹はかねて覚悟をしていたものか、仮橋の中ほどを過

へ飛び込むことも出来なかったと見えて、引っ返して西両国の方へ逃げて行く。二人は追っかけて行く……。逃げる奴は何分にも素人の

たものかと思案しながら、幸次郎と一緒に錺屋を出て、両国の方へぶらぶら引っ返して来ると、仮橋の中ほどに一人の男が突っ立って、

ても無しに其処らをうろ付いているうちに、又なんだか両国の方へ行って見たくなった。多分お竹の魂に引き寄せられたのでしょうと、

京都

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何かのことで足が付きそうになったのか、京都を立ちのいて江戸へ出て来て、浅草の田町で金貸しを始めることに

それからひと先ず京都へ行って、どういうふうに誤魔化したか、ともかくも一本の蝋燭の

深川

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、柳橋の方角から来たというのに対して、本所深川の方角へ向うわけには行かない。たとい何の当てが無くとも、ともかく

東京

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の停電は長かった。時には三十分も一時間も東京の一部を闇にして、諸人を困らせることがあった。今夜の

両をぬすみ出しました。この御金蔵破りの一件は、東京になってから芝居に仕組まれて、明治十八年の十一月、浜町の

浜町

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てから芝居に仕組まれて、明治十八年の十一月、浜町の千歳座で九蔵の藤十郎、菊五郎の富蔵という役割でしたが、その

神田

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それから六日目の朝である。神田三河町の半七の家の裏口から、子分の幸次郎が眼をひからせながらはいっ

から来るようですから、あの辺の人か、それとも神田か浅草でしょうね」

日本橋

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。「その男は西からか東からか、早く云えば日本橋の方から来たのか、本所の方から来たのか、それも

浅草

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ようですから、あの辺の人か、それとも神田か浅草でしょうね」

「浅草の田町だな」

二人は両国を出て浅草の方角にむかった。

たのか、京都を立ちのいて江戸へ出て来て、浅草の田町で金貸しを始めることになったんです。吉原に近いところですから

千住

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四年二月二十六日に召し捕られ、五月十三日に千住の小塚ッ原で磔刑になりました。わたくしも随分これには頭を痛めた

両国橋

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の橋番小屋から橋番のおやじが提灯をつけて出た。両国橋は天保十年四月に架け換えたのであるが、何分にも九十六

、やがて四ツ(午後十時)に近い頃である。両国橋の西寄りに当って、人の飛び込んだような水音が響いたので、

、おれ達の商売も暑くなると楽じゃあねえ。一体、両国橋の繕いというのは、いつ頃までに出来上がるのだ」

あたりを一応見まわった後に、西の橋番をたずねた。両国橋は東西に橋番の小屋があるが、金の蝋燭の一件は橋の

て彼女のうしろ姿を暫く眺めていると、お光は更に両国橋に向って辿って行った。彼女は島田髷の頭を重そうに垂れて

「ほほ、御冗談でしょう。両国橋が御普請だというので、どんな様子か拝見に出て来たん