東京文壇に与う / 織田作之助
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この神田八段は大阪のピカ一棋師であるが、かつてしみじみ述懐して、――もし、自分が名人
いや、挑戦者になりそうな形勢が見えれば、名人位を大阪にもって行かせるなと、全東京方棋師は協力し、全智を集注し
東京の大阪に対する反感はかくの如きものであるか。しかし、私はこれはあくまで将棋界のみ
「夫婦善哉は、何故か、評判がよくなかったが、大阪のああいう世界を描いた限り、私は傑作だと思った。唯、不幸
風潮に反していたことと、それに、あの中の大阪的なものが、東京の評家の神経にふれて、その点が妙な
のは量見がせまいことになるが、東京の感情と大阪の感情の対立が、あの作品を中心として、無意識に争われなかった
無意識に争われなかったとは云い切れぬと思う。東京と大阪の感情は、永遠に氷炭相容れざるものと思う。だから、東京中心の
感じたことは、織田氏にとっては、それだけに大阪的であったということにもなるのであって、逆にいえば名誉
て、逆にいえば名誉である。おそらく、あの作品は大阪の読者にとっては、全々別な味がしたのではないか、
が、要するに、これをもって見れば、すくなくとも、大阪的な作品は東京文壇の理解するところとならぬのではあるまいか。
、まかりまちがっても有り得ないのであるから、なにも大阪的な作品が東京文壇に理解されないといって、悲しむにも当らない
いって、悲しむにも当らないのであるが、しかし、大阪に対するある種の感情が理解を阻んでいるとすれば、いや、そう言わ
故郷の大阪へ帰った私は、しかしお園のように、
まつたなら」などと、女々しくならずに、いそいそと新しい大阪という夫のふところに抱かれた。既に、私は文五郎のあやつる三勝半
そして、ここに、大阪の感覚があると思った。物事をいやに複雑化してやに下ったり、
、遂に何ごとをも信ずることを教えられなかった私は、大阪の感覚だけは、信じた。私はそこに私の青春の逆説的な表現を
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東京人でありながら、早くから東京に見切りをつけて、関西を第二の故郷としておられる谷崎氏の実感の前には、東京
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東京文壇に与う
ば、名人位を大阪にもって行かせるなと、全東京方棋師は協力し、全智を集注して自分に向って来るだろうと、
東京の大阪に対する反感はかくの如きものであるか。しかし、私はこれは
は、永遠に氷炭相容れざるものと思う。だから、東京中心の今日の文学感情が、織田氏に反感を感じたことは、織田
て、無意識に争われなかったとは云い切れぬと思う。東京と大阪の感情は、永遠に氷炭相容れざるものと思う。だから、
評家というのは量見がせまいことになるが、東京の感情と大阪の感情の対立が、あの作品を中心として、無意識
氏にとっては単なる不幸として片附け得ると思う。東京の評家というのは量見がせまいことになるが、東京の感情
ことと、それに、あの中の大阪的なものが、東京の評家の神経にふれて、その点が妙な反感となったの
これをもって見れば、すくなくとも、大阪的な作品は東京文壇の理解するところとならぬのではあるまいか。
有り得ないのであるから、なにも大阪的な作品が東京文壇に理解されないといって、悲しむにも当らないのであるが
にも拘らず、あの作品を書き送ったということは、東京文壇に対する一種の反逆と見られないことはないと思う」
織田氏の勇敢さを感ずる。織田氏程の人が、東京の感情に合うような細工が出来ない訳はないだろうし、そういう細工
、東京にいる間に、愛想をつかしたのである。東京の標準の感覚で見た標準人を標準語で描くような文学に愛想を
だ。東京の標準文化なぞ、御免だと、三年間、東京にいる間に、愛想をつかしたのである。東京の標準の感覚で
と、宮内氏も書いて居られる通りだ。東京の標準文化なぞ、御免だと、三年間、東京にいる間に、愛想
是まで居たのがお身の仇」と呟いて、東京にさよならしたのである。反感をもたれても、致し方ない。
なぞあると思ったのは、間ちがいだったと、私は東京の心理主義文化に歪められた自分の青春を抱いて、三勝半七
東京に自分の青春なぞあると思ったのは、間ちがいだったと、私は
逆説的な表現を見つけたのである。すくなくとも、私は東京のもっている青春のいかものさ加減に、反抗したのである。
、お前の不安がりようが足りないなぞと言っていた東京の心理主義にわずらいされて、遂に何ごとをも信ずることを教えられなかっ
を書くのはおかしいと言うが、しかし、それでは、東京に現在いかなる二十八歳の青春の文学があるというのか。すくなくとも私
十年前にこのことを言っておられる。すなわち、「東京をおもう」というエッセイの最後の章がそれだ。
だ。なつかしくなれば、さっさと東京をはなれると良い。何も東京にいなければ、文学生活がやれぬわけでも、文学の志が達せ
の感覚がなつかしくなって来る筈だ。なつかしくなれば、さっさと東京をはなれると良い。何も東京にいなければ、文学生活がやれぬわけ
がることを、若き知識人の特権だと思っているような東京に三年も居れば、いい加減、故郷の感覚がなつかしくなって来る筈だ
文学青年がああ云う勿体ないことをする暇があったら、東京へ出て互いに似たり寄ったりの党派を作ることを止め、故郷に
れている。彼等の関心は、東京の文化と、東京を通じて輸入される外来思想とのみに存して、自分たちの故郷の
インテリゲンチャ臭味に統一されている。彼等の関心は、東京の文化と、東京を通じて輸入される外来思想とのみに存して、
ではあろうが、私なんぞから見ると、彼等は悉く東京のインテリゲンチャ臭味に統一されている。彼等の関心は、東京の文化
が東京の出版であり、熟れも此れも皆同じように東京人の感覚を以て物を見たり書いたりしている。彼等の
(中略)扨それらの雑誌を見ると、殆んど大部分が東京の出版であり、熟れも此れも皆同じように東京人の感覚を以
東京以外に文壇なしと云う先入主から、あらゆる文学青年が東京に於ける一流の作家や文学雑誌の模倣を事とするからであって
が軽佻で薄っぺらなのは一に東京を中心とし、東京以外に文壇なしと云う先入主から、あらゆる文学青年が東京に於ける一流
大体われ/\の文学が軽佻で薄っぺらなのは一に東京を中心とし、東京以外に文壇なしと云う先入主から、あらゆる文学青年
、東京よりも却って諸君の郷土に於て発見される。東京にあるものは、根柢の浅い外来の文化と、たかだか三百年来の江戸
ならない。われわれの国の固有の伝統と文明とは、東京よりも却って諸君の郷土に於て発見される。東京にあるものは、
故郷としておられる谷崎氏の実感の前には、東京文壇の空虚な地方文学論なぞ束になっても、かなわぬのである
私はいまだかつて知らない。東京人でありながら、早くから東京に見切りをつけて、関西を第二の故郷としておられる谷崎氏
文章にまさる地方文学論を、私はいまだかつて知らない。東京人でありながら、早くから東京に見切りをつけて、関西を第二の
故郷を捨てて東京に走り、その職業的有利さから東京に定住している作家、批評家が、両三日地方に出かけて、地方
故郷を捨てて東京に走り、その職業的有利さから東京に定住している作家、批評家が、
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にしてかつあくまで不敵な面だましいを日頃もっていた神田八段であったが、こんどの名人位挑戦試合では、折柄大患後
、折角名人位挑戦者になりながら、病身ゆえに惨敗した神田八段の胸中を想って、暗然とした。
この神田八段は大阪のピカ一棋師であるが、かつてしみじみ述懐して、――