蛍 / 織田作之助
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は酒の名所、寺田屋は伏見の船宿で、そこから大阪へ下る淀船の名が三十石だとは、もとよりその席の誰ひとり知ら
そのころ、西国より京・江戸へ上るには、大阪の八軒屋から淀川を上って伏見へ着き、そこから京へはいるという道が
という道が普通で、下りも同様、自然伏見は京大阪を結ぶ要衝として奉行所のほかに藩屋敷が置かれ、荷船問屋の繁昌
。おちりにあんぽんたんはどうどす……。京のどすが大阪のだすと擦れ違うのは山崎あたりゆえ、伏見はなお京言葉である。自然彦根育ち
になめている者もあった。ところがある日登勢が大阪へ下って行き、あくる日帰ってくると、もう誰も登勢をなめることはでき
一艘二十八人の乗合で船頭は六人、半日半夜で大阪の八丁堀へ着いていたのだが、登勢が帰ってからの寺田屋の
を真蒼にしてきけば、五十吉のあとを追うて大阪へ下った椙は、やがて五十吉の子を生んだが、もうそのころは長町
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た。ところが、ある年の初夏、八十人あまりのおもに薩摩の士が二階と階下とに別れて勢揃いしているところへ駈けつけてき
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登勢は坂本遭難の噂を聴いた。おりから伏見には伊勢のお札がどこからともなく舞い降って、ええじゃないか、ええじゃない
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なく舞い降って、ええじゃないか、ええじゃないか、淀川の水に流せばええじゃないかと人々の浮かれた声が戸外を白く走る風
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にあるまじい振舞いだったが、仲人はさすがに苦労人で、宇治の螢までが伏見の酒にあくがれて三十石で上ってきよった。船
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薩摩屋敷から頼まれたのは坂本龍馬だった。伊助は有馬の時の騒ぎで畳といわず壁といわず、柱といわず、そこ
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そのころ、西国より京・江戸へ上るには、大阪の八軒屋から淀川を上って伏見へ着き、そこから京
の手一つで育てて四つになった夏、ちょうど江戸の黒船さわぎのなかで登勢は千代を生んだ。千代が生まれるとお光は
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二十八人の乗合で船頭は六人、半日半夜で大阪の八丁堀へ着いていたのだが、登勢が帰ってからの寺田屋の船は
のだが、登勢が帰ってからの寺田屋の船は八丁堀の堺屋と組合うて船頭八人の八挺艪で、どこの船よりも半刻
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を伏見の薩摩屋敷にのがれた坂本がやがてお良を娶って長崎へ下る時、あんたはんもしこの娘を不仕合せにおしやしたらあてが怖
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、乗合の三十石船が朝昼晩の三度伏見の京橋を出るころは、番頭女中のほかに物売りの声が喧しかった。あんさん
けれども、お良と坂本を乗せた三十石の夜船が京橋をはなれて、とまの灯が蘆の落かげを縫うて下るのを見送っ