放浪 / 織田作之助
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に覚えないとは言わさぬ、言うならば言うてみよ、大阪は二ツ井戸「まからんや」呉服店の番頭は現糞のわるい男、言うちゃ
十歳の順平はおみよ叔母に連れられて大阪へ行った。村から岸和田の駅まで二里の途は途中に池があっ
難波に着くと、心に一寸した張りがついた。大阪へ行ったらしっかりせんと田舎者やと笑われるぞと兄らしくいましめてくれた
叔父は生れ故郷の四日市から大阪へ流れて来た時の所持金が僅か十六銭、下寺町の坂で立ちん坊を
帳場などしながら苦学していたが、大震災に逢い、大阪へ逃げて来たと言った。汚い身装りで雇われて来た日、一緒
、順平は訳もなく惹き付けられ、好きになった。大阪も随分揺れたことだろうなと、長い髪の毛にシャボンをつけながら木下が問うと
。難波の終点についたのは正午頃だったが、大阪の町ははじめてのこと故、小一里もない生国魂神社前の丸亀の料理場
継母)の連子の浜子さんは高等科を卒業して今は大阪の大学病院で看護婦をしているそうでえらい出世であるが、順平さんのお
そのようにした。ふと、之だけの金があれば大阪へ行ってまむしや鮒の刺身がくえると思うと、足が震えた。空
の音がした。車を駅前の電柱にしばりつけて、大阪までの切符を買い、プラットフォームに出た。電車が来るまで少し間があった
に勘定してみたら、まだ二十六円八十銭あった。大阪には遊廓があるといつか聴いたことを想出した。そこでは女
、弁償いたしますと大人なしく出て、すご/\と大阪へ戻って来ると丁度その日は婚礼料理の註文があって目出度い/\と
た。天満京阪裏の古着屋で一円二十銭出して大阪××新聞の法被を仕込み、売るものはサンデー毎日や週刊朝日の月おくれ
の汽車に乗った。美津子が聟をとるときいては大阪の土地がまるで怖いものゝように思われたのと、一つには、
消毒薬の臭気が異様に漂うていて、夜が更けると大阪ではきゝ馴れぬあんまの笛が物悲しく、月の冴えた晩人通りがまばら
人通りがまばらになると殺気が漲っているようだった。大阪のでん公と比べものにならぬほど歯切れの良い土地者が暖簾をくゞると、
はじめて主人が、身寄りの者はないのかと訪ねた。大阪にありますと答えると、大阪までの汽車賃にしろと十円呉れた。
ないのかと訪ねた。大阪にありますと答えると、大阪までの汽車賃にしろと十円呉れた。押しいたゞき、出世したらきっと御
、きっとした顔に覚悟の色も見せて、そして、大阪行きの汽車に乗った。
の近くの飯屋へはいって、牛丼を注文した。さすが大阪の牛丼は真物の牛肉を使っていると思った。木下の屋台店で売って
いう小料理屋へ世話してくれた。都亭の主人から、大阪の会席料理屋で修業し、浅草の寿司屋にも暫くいたそうだが、家
読み上げられた時、泣いて喜んだ。刑務所を出る時、大阪で働くというと、大阪までの汽車賃と弁当代、ほかに労働の報酬だ
喜んだ。刑務所を出る時、大阪で働くというと、大阪までの汽車賃と弁当代、ほかに労働の報酬だと二十一円戴いた。仙台
てみたいと思ったが、何かせきたてられる想いで直ぐ大阪行きの汽車に乗り、着くと夜だった。電力節約のためとは知らず
とは知らず、ネオンや外灯の消されている夜の大阪の暗さは勝手の違う感じがした。何はともあれ千日前へ行き、木村
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で駐在さんにきびしい注意をうけた。道頓堀から戎橋を渡り心斎橋筋を歩いた。一軒々々飾窓を覗きまわったので疲れ、ひきかえして戎橋の
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北田と山分けし、北田に見送られて梅田の駅から東京行の汽車に乗った。美津子が聟をとるときいては
夕方、梅田の駅につきその足で「リヽアン」へ行った。女給の顔触れも変って
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て行った。源聖寺坂を降りて黒門市場を抜け、千日前へ行き出雲屋へはいった。また腹痛になるとことだと思ったが、
順平は千日前金刀比羅裏の安宿に泊った。どういう気持で丸亀を飛び出したのか自分でも
みたいにぶら/\何の当てもなく遊びまわった。昼は千日前や道頓堀の活動小屋へ行った。夜は宿の近くの喫茶バー「リヽアン」
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といったので、順平は難波まで送って行った。源聖寺坂を降りて黒門市場を抜け、千日前へ行き出雲屋へはいった。また腹痛に
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している順平は、碌々耳にはいらなかった。電車が難波に着くと、心に一寸した張りがついた。大阪へ行ったらしっかりせ
二里の道歩いて、岸和田から南海電車に乗った。難波の終点についたのは正午頃だったが、大阪の町ははじめてのこと
帰らんと金造に叱られるといったので、順平は難波まで送って行った。源聖寺坂を降りて黒門市場を抜け、千日前へ行き
で夜更けて女給の帰りを当てこむのだ。仕入先きは難波の元屋で、そこで屑値で買い集めた古本をはがして、連絡もなく
身に沁みて、鼻が痛んだ。暖いところを求めて難波の駅から地下鉄の方へ降りて行き、南海高島屋地階の鉄扉の前にうずくまっ
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天保山の大阪商船待合所で別府までの切符を買うと、八十銭残ったので、
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の絵看板を見上げて歩いた。首筋が痛くなった。道頓堀の方へ渡るゴーストップで駐在さんにきびしい注意をうけた。道頓堀から戎橋を
方へ渡るゴーストップで駐在さんにきびしい注意をうけた。道頓堀から戎橋を渡り心斎橋筋を歩いた。一軒々々飾窓を覗きまわったので疲れ
酒の酔いも手伝って、いきなり引き返えし、坂道を降りて道頓堀へ出ると、足は芝居裏の遊廓へ向いた。殆んど表戸を閉めている
ぶら/\何の当てもなく遊びまわった。昼は千日前や道頓堀の活動小屋へ行った。夜は宿の近くの喫茶バー「リヽアン」で遊ん
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、到頭禁を犯したところを見つけられ、懲罰のため、仙台の刑務所へ転送されることになった。
懲罰のためというだけあって、仙台刑務所での作業は辛かった。土を運んだり木を組んだり、仕事の
と弁当代、ほかに労働の報酬だと二十一円戴いた。仙台の町で十四円出して、人絹の大島の古着帯、シャツ、足袋、
仙台の駅から汽車に乗った。汽車弁はうまかった。東京駅で乗換える時、
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徳島の刑務所へ送られた。こゝでは河豚料理をさせる訳ではない
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板場の木下は、東京で牛乳配達、新聞配達、料理屋の帳場などしながら苦学していたが
といや気がさしていたのだ。馴染の女給がちかごろ東京へ行った由きいたので、後を追うて行きたいと思ってい
しなければならぬという想にせき立てられたのだ。東京には木下がいる筈で、丸亀にいた頃、一度遊びに来いと
北田と山分けし、北田に見送られて梅田の駅から東京行の汽車に乗った。美津子が聟をとるときいては大阪の土地
本当の涙になりシク/\泣いた。出世する気で東京へ来たというものゝ、末の見込みが立とう筈もなかった。
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しかし、結局は居辛くて、浅草の寿司屋へ住込みで雇われた。やらせて見ると一人前の腕をもっ
。都亭の主人から、大阪の会席料理屋で修業し、浅草の寿司屋にも暫くいたそうだが、家は御覧の通り腰掛け店で
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探し出すのを見て同情し、震災の時火の手を逃れて隅田川に飛び込んで泳いだ、袴をはいた女学生も並んで泳いでいたが