夫婦善哉 / 織田作之助
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ですよって」と眼をしばたいた。弟の信一は京都下鴨の質屋へ年期奉公していたが、いざという時が来るまで、戻れと言わぬ
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の芸を出し切って一座を浚い、土地の芸者から「大阪の芸者衆にはかなわんわ」と言われて、わずかに心が慰まっ
柳吉と一緒に大阪へ帰って、日本橋の御蔵跡公園裏に二階借りした。相変らず
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行き当りばったりに関東煮屋の暖簾をくぐって、味加減や銚子の中身の工合、商売のやり口などを調べた。関東煮屋をやると聴い
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痩せて行った。診立て違いということもあるからと、天王寺の市民病院で診てもらうと、果して違っていた。レントゲンをかけ腎臓結核
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化粧品のマークに気をつけるようになった。ある日、梅田新道にある柳吉の店の前を通り掛ると、厚子を着た柳吉が丁稚
あくる日、柳吉が梅田の駅で待っていると、蝶子はカンカン日の当っている駅前の広場を
避難列車の中でろくろく物も言わなかった。やっと梅田の駅に着くと、真すぐ上塩町の種吉の家へ行った。途々
間にこれだけのことを柳吉は話した。この十日間梅田の家へいりびたっていたのは外やない、むろん思うところあってのこと
いるが、それで泣寝入りしろとは余りの仕打やと、梅田の家へ駆け込むなり、毎日膝詰の談判をやったところ、一向に効目が
苦労人だった。おきんは、維康が最初蝶子に内緒で梅田へ行ったと聴いて、これはうっかり芝居に乗れぬと思った。柳吉の
と言ってしまえば、それでまんまと帰参がかない、そのまま梅田の家へ坐り込んでしまうつもりかも知れぬ。とそうまではっきりと悪くとらず
と何か考えごとしているらしい容子を見ると、やはり、梅田の家のこと考えてるのと違うやろか、そう思って気が気でなかっ
」柳吉は乗気にならなかった。いよいよ食うに困れば、梅田へ行って無心すれば良しと考えていたのだ。
ある日、どうやら梅田へ出掛けたらしかった。帰って来ての話に、無心したところ妹の
と逃げて行き、それきり戻って来なかった。種吉が梅田へ訊ねに行くと、そこにもいないらしかった。起きられるようになって
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新世界に二軒、千日前に一軒、道頓堀に中座の向いと、相合橋東詰にそれぞれ一軒ずつある
顔をピシャリと撲って、何となく外へ出た。千日前の愛進館で京山小円の浪花節を聴いたが、一人では面白いとも
千日前「いろは牛肉店」の隣にある剃刀屋の通い店員で、朝十時から
て、結局下寺町電停前の店が二ツ井戸から道頓堀、千日前へかけての盛り場に遠くない割に値段も手頃で、店の構えも小ぢんまり
境内の「めおとぜんざい」へ行った。道頓堀からの通路と千日前からの通路の角に当っているところに古びた阿多福人形が据えられ、その
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」行くと、無論一流の店へははいらず、よくて高津の湯豆腐屋、下は夜店のドテ焼、粕饅頭から、戎橋筋そごう横
をしていたおきんという年増芸者が、今は高津に一軒構えてヤトナの周旋屋みたいなことをしていた。ヤトナと
あくる日、二人で改めて自由軒へ行き、帰りに高津のおきんの所へ仲の良い夫婦の顔を出した。ことを知って
翌朝、高津のおきんを訪れた。話を聴くと、おきんは「蝶子はん、あんた
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そう永くも生きられまい。娘の愛にも惹かされる。九州の土地でたとえ職工をしてでも自活し、娘を引き取って余生を暮し
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「出雲屋」のまむし、日本橋「たこ梅」のたこ、法善寺境内「正弁丹吾亭」の関東煮、千日前常盤座横「寿司捨」の
をフーフー口とがらせて食べ、仲良く腹がふくれてから、法善寺の「花月」へ春団治の落語を聴きに行くと、ゲラゲラ笑い合って、握り合ってる
、肺で死んだという噂を聴くと、蝶子はこっそり法善寺の「縁結び」に詣って蝋燭など思い切った寄進をした。その代り、寝覚め
なり飛びついて手を打ったのだ。新規開店に先立ち、法善寺境内の正弁丹吾亭や道頓堀のたこ梅をはじめ、行き当りばったりに関東煮屋
う、うまいもん食いに行こか」と蝶子を誘った。法善寺境内の「めおとぜんざい」へ行った。道頓堀からの通路と千日前からの通路の
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戎橋筋そごう横「しる市」のどじょう汁と皮鯨汁、道頓堀相合橋東詰「出雲屋」のまむし、日本橋「たこ梅」のたこ、法善寺境内
新世界に二軒、千日前に一軒、道頓堀に中座の向いと、相合橋東詰にそれぞれ一軒ずつある都合五軒の出雲
だ。新規開店に先立ち、法善寺境内の正弁丹吾亭や道頓堀のたこ梅をはじめ、行き当りばったりに関東煮屋の暖簾をくぐって、味加減
てみて、結局下寺町電停前の店が二ツ井戸から道頓堀、千日前へかけての盛り場に遠くない割に値段も手頃で、店の構え
を誘った。法善寺境内の「めおとぜんざい」へ行った。道頓堀からの通路と千日前からの通路の角に当っているところに古びた阿多福人形
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。立て込んだ客の隙間へ腰を割り込んで行くのも、北新地の売れっ妓の沽券に関わるほどではなかった。第一、そんな安物ばかり食わせ
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体ですよって」と眼をしばたいた。弟の信一は京都下鴨の質屋へ年期奉公していたが、いざという時が来るまで、戻れと
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にしろとの肚が読めて父親はうんと言わず、日本橋三丁目の古着屋へばかに悪い条件で女中奉公させた。河童横町
日本橋の古着屋で半年余り辛抱が続いた。冬の朝、黒門市場への
皮鯨汁、道頓堀相合橋東詰「出雲屋」のまむし、日本橋「たこ梅」のたこ、法善寺境内「正弁丹吾亭」の関東煮、
ひとごとではなかった。夜更けて赤電車で帰った。日本橋一丁目で降りて、野良犬や拾い屋(バタ屋)が芥箱をあさっている
柳吉と一緒に大阪へ帰って、日本橋の御蔵跡公園裏に二階借りした。相変らずヤトナに出た
ある夕方、三味線のトランクを提げて日本橋一丁目の交叉点で乗換えの電車を待っていると、「蝶子はんと
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ば収まりがつかなかった。家を出た途端に、ふと東京で集金すべき金がまだ残っていることを思い出した。ざっと勘定し
して、柳吉はふいといやな気がした。すぐ東京行きの汽車に乗った。
八月の末で馬鹿に蒸し暑い東京の町を駆けずり廻り、月末にはまだ二三日間があるというのを拝み倒し
来た旨蝶子が言うと、種吉は「そら大変や、東京は大地震や」吃驚してしまったので、それで話の糸口はつい
入れて持ち帰り、皆は黙々とそれをすすった。やがて、東京へ行って来た旨蝶子が言うと、種吉は「そら大変や、東京