青春の逆説 / 織田作之助
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の発言で早速受持の教授を訪問することにした。下鴨にある教授の家の玄関で待っていると、教授が和服のまま出て
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日本が勝ち、ロシヤが負けたという意味の唄が未だ大阪を風靡していたときのことだった。その年、軽部は五円昇給
その日、大阪は十一月末というに珍らしくちらちら粉雪が舞うていた。孫の成長と
大阪の路地にはたいてい石地蔵が祀られていて、毎年八月の末に
の中田が塾長の格で塾生を監督し、時々行状を大阪の「出資者」(――と豹一は呼んでいた――)に報告
「大阪だ」とにがにがしく答えた。体を動かすと、また吐きそうだったからである
「まあ大阪どっか。あてかて大阪で生れたんどっせ。さあ唄っておみやすな
「まあ大阪どっか。あてかて大阪で生れたんどっせ。さあ唄っておみやすな」
。中田は無論豹一が掟を破ったことに就て、大阪の塾主へ報告すべきであると思った。が、その破り方が余りに
俺は出えへんのや。練習せえへんかってん」と未だ大阪訛の抜け切らぬ口調で言って、黒い顔をちょっと赧くした。ああ、
に一度である。その都度、気の毒そうに、「君も大阪やろ? 大阪へ帰るんやったらわいの定期貸したるぜ」というのだっ
。その都度、気の毒そうに、「君も大阪やろ? 大阪へ帰るんやったらわいの定期貸したるぜ」というのだった。彼は
の定期貸したるぜ」というのだった。彼は毎日大阪から通学していたのである。
「わいは京都で待ってるさかい、大阪へ着いたら直ぐ定期を速達で送ってくれたらええのや」
てやった。ところが野崎はそのことを機縁として大阪からの通学を止めて、赤井と同じ下宿に移った。おまけに気の良い
の前へ出すのは恥じられた。質草もなかった。大阪まで京阪で帰って、家で貰って直ぐ引きかえして来ようかと思ったが、
、二人に見送られて、四条大橋から京阪電車に乗って、大阪へ帰った。
「表へ出くされ!」柄のわるい妙な大阪訛で男がいった。これは聴き洩さなかった。聴き洩すと、恥に
じつは、その日の大阪の新聞が一斉にデカデカと書き立てている記事を、よりによって、東洋新報
、佐古は多鶴子の記事を読むために、一つ残らず大阪の新聞へ眼を通した。一つだけ、全然多鶴子のことを書いてい
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なかにあるホットケーキの見本が眼にちらついてならなかった。三条の「リプトン」で十銭の珈琲を飲むか、うどんをたべるかどっちかに
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た金助が、お君に五十銭貰い、孫の手をひっぱって千日前の楽天地へ都築文男一派の連鎖劇を見に行った帰り、日本橋一丁目の交叉
行く電車を待っているうち、ふと気が変って足は千日前の方へ向いた。なんとなく家へ帰るための電車を待つ気がし
帰るための電車を待つ気がしなかったのである。千日前から法善寺境内にはいると、いきなり地面がずり落ちたような薄暗さであった。
六だが、浅草にいた頃の電気ブラン、浅草から千日前へ崩れて来てからの泡盛のために頭髪がすっかり禿げあがって、爺むさかった。
とき、北山は不覚にも泡盛に足をとられて、千日前の金刀比羅の境内で打っ倒れていた。その隙に、銀子は誰かに女
千日前へ出た。活動小屋の看板を見あげて歩きながら、土門は片っ端から演し物を
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に積んだアら、どこまで行きやアる、木津や難波アの橋のしイたア……
心は朝から興奮に駆られ易い状態にあった。いきなり難波の方へ引き返した。(紀代子の顔を撲ってやる義務がある)こんな野蛮
南海電車で難波まで来た。そこから、心斎橋筋の雑閙のなかを北の方へ歩いて行っ
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ことだが、仕事を与えられた喜びにすっかり興奮して淀屋橋の方へ歩いて行った。編輯長の前で随分へまなことを言った
果さねばならぬ。豹一はひどく落着きがなかった。淀屋橋まで来たが、足は止まらず、一気に肥後橋まで来てしまった。
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ぶらりと秀英塾を出た。塾を出ると道は直ぐ神楽坂だが、豹一は神楽坂を避けて、途中で吉田山の山道へ折れて行っ
。塾を出ると道は直ぐ神楽坂だが、豹一は神楽坂を避けて、途中で吉田山の山道へ折れて行った。神楽坂の上にある
を避けて、途中で吉田山の山道へ折れて行った。神楽坂の上にあるカフェの女が、二、三日前変な眼付で彼を
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三七日の夜、あらたまって親族会議があった。四国の田舎から来た軽部の父が、お君の身の振り方に就て、
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「行こうか京極、戻ろか吉田、ここは四条のアスファルトだな」と、赤井は歌うように
くれる唯一の男だと思っていたのである。丁度京極の端まで来ていた。赤井は先に立って、花遊小路の方へ
小路の玩具箱みたいな感じが好きなんだ。僕はいつも京極へ来ると、さくら井屋の中と花遊小路を通り抜けることにしているん
、酔っぱらいが反吐を吐きながら電柱により掛っていたりする京極裏の小路を突き当って、「正宗ホール」へはいった。
を想い出していると、急にホットケーキが食べたくなった。京極の真中で、財布をあけて勘定してみたら三十銭あった。「スター
金が無いことが、嘘みたいに悲しく、腹立たしかった。再び京極を抜け、寺町通の古本屋を軒並み覗いて廻った。「京屋」という古本屋
として坐っていた。午後二時半になった。京極で活動を見た。出ると、午後五時だった。もうあたりは黄昏の
た。阿呆らしい気持で早々に辞すと、足は自然に京極の方を向いた。途々、赤井はひとりで興奮していた。豹
日目の試験が済むと、彼等は例によって京極へ出て、三条通の「リプトン」で翌日の試験の秘策を練った。
待たされた。いつもの伝だと思ったから、諦めて京極で酒を飲んで帰って来たんだ」
京極へ出ると、先ず「リプトン」へはいった。それから「ヴィクター」へはいった
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無我夢中で食傷横町の狭くるしい路次を抜け、法善寺の境内にぽかりと出た。凍てついた石畳の上にぽつんとベンチが置かれ
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そして芸者は、テナモンヤナイカナイカ、道頓堀よ――と唄った。むろん豹一は唄わなかった。
てけつかんのか、おれを誰や思てけつかんのや、道頓堀の勝いうたら、お前みたいな、へなちょこの軟派とちょっと違うネやぞ。―
しかし、道頓堀の勝の手が伸びて来るまで、少し間があった。そのため豹一
。そのため豹一はすっかり焦れていたので、いよいよ道頓堀の勝の拳骨が飛んで来た時、待ってましたと思ったぐらいだっ
豹一はしょんぼり立ち上って、すごすご路次を出て行った。道頓堀の勝はとっくに姿を消していた。
、今日失業したばかりの豹一が帰って来た。道頓堀の勝に撲り倒された屈辱をもて余して、当もなく夜更の街をさまよい歩き
を敲きはじめた。しかし、その動作が豹一にふと、道頓堀の勝に撲られたことを聯想させた。すると、豹一ははじめて
新社員のみじめさといったものが寒々と来た。道頓堀の赤玉のムーラン・ルージュが漸くまわり出して、あたりの空を赤く染めた。
した豹一を押しのけるようになかからきこえて来て、道頓堀のアスファルトを寒く乾かしていた。
何ものも眼にはいらぬような興奮した状態になって道頓堀に面した窓側のテーブルへ連れて行かれた。
来た。肩をすくめた拍子にぐらぐら目まいがして、道頓堀の灯が急に真っ白にぼやけて、視線になだれこんで来た。かと思う
なる)そこで、佐古はかねがね「オリンピア」と縁のある道頓堀の勝に依頼することにした。
道頓堀の勝は頼まれたことを、簡単にやってのけた。わざわざ喧嘩を売る
わざわざ喧嘩を売るきっかけを求める必要もなかったのである。道頓堀の勝は「オリンピア」が閉店になって、豹一が多鶴子より一足先
という道頓堀の勝の鼻声をきいた途端に、意識を失った。
一応当然ではあったが、じつはその記事は撲った道頓堀の勝の友人の記者が書いたのだった。佐古のためにここで弁解
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心を明るい町の方へ誘うようだった。その左手の叡山には、ケーブルの点々と続いた灯が大学の時計台の灯よりもキラキラと
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南海電車で難波まで来た。そこから、心斎橋筋の雑閙のなかを北の方へ歩いて行った。ついぞこれまでなかったこと
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やがて五月一日の記念祭の当日になった。熊野神社から百万遍迄の舗道には到るところにポスターが貼られていた。校庭
に学校の方へ向いた。丸太町の電車通りに添うて熊野神社まで来ると、大学の時計台が見えた。近衛町まで来ると、もう時計の文字
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気持がほかの二人にも乗り移って、結局わざわざ疏水伝いに銀閣寺の停留所附近まで出掛けて、珈琲をのんだりし、ろくに勉強も出来なかった。豹
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、平安神社の方へ暗い坂道を降りて行った。そして岡崎の公園堂の横から聖護院へ出て、神楽坂を登って秀英塾へ帰った
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答えた。赤井の行くところは大体分っていた。たぶん宮川町の遊廓だろう。いやだと答えたのは本能的なものだった。先刻の
野崎は赤井の誘いを断り切れず、ある夜赤井と一緒に宮川町で泊ってしまった。
は赤井や豹一と一緒に四条通へ出ると、もう宮川町へ行かなければならぬと思い込んでいるらしかった。宮川町が見える「八尾政」
もう宮川町へ行かなければならぬと思い込んでいるらしかった。宮川町が見える「八尾政」へビールをのみにはいったりすると、もうそれは決定的
行方不明になった。その前の晩野崎と赤井と一緒に宮川町で泊ったのだが、金無しで泊ったので、野崎は赤井を人質
も知れないと思ったが、行く前の顔はともかく、宮川町からの帰りの顔をどうして会わされようか。眼が充血し、黒い皮膚
京都の町を歩きまわった。その挙句、赤井と野崎は宮川町へ行くことになり、豹一は南座の横の暗い道を折れて、
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そのため赤井は寮費を滞納して、寄宿舎を追い出され、鹿ヶ谷の下宿へ移ったが、下宿料が後払いだったのに油断して、家
顔をして、夜の町を逍遙い歩いた。まさか鹿ヶ谷の下宿へ寝れまいと思ったのである。赤井を人質に残して置いて
と思ったのと、一つには寒い夜道をひとりで鹿ヶ谷まで帰るのが淋しかったので、いつまでも待っていたのである。
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出て、京極通を三条へ出て、河原町通を四条の方へ引きかえした。四条河原町の手前にある小路を左へ折れて、「
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公会堂二階別室ニテ面会ス」という広告を見て、中之島の中央公会堂へ出掛けたところ、調査係とは体の良い口調で、実は
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した。営業部からの抗議があってみれば、とにかく「オリンピア」のためにその記事をのせる必要がある。といって今からでは手遅れ
娘の身辺が心配で心配でたまらなくなった。ことにオリンピアへ出る昨日今日がそうだった。事件が一段落すんで、やれやれと骨身を
、撲った男は豹一に、「二度と再び『オリンピア』……」云々といったそうである。だから、運転手の想像による
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楽天地の地下室で、八十二歳の高齢で死んだという讃岐国某尼寺のミイラが陳列されていた。「女性の特徴たる乳房その他
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説明したのはこうだった。ある篤志家があって、大阪府下の貧しい家の子弟に学資を出してやりたい。無論、条件がある。
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二高と三高だけに限り、合格した者は東京、京都のそれぞれの塾へ合宿させる。そんな条件に適いそうな生徒があったら
京都の三高へ行くことに決めた。翌日校長先生に呼ばれると、
そう思いつくと、彼ははじめて決然として来た。京都特有の春霞のなかに、キラキラと澄んだ光で輝いている四条通の
もたぬとは、彼も相当変ったのである。しかも京都では三高の生徒位、「もてる」人種はいないのではない
「実は此の間僕の妹も修学旅行に京都へ来たんだよ。ところが、妹の奴さくら井屋の封筒が
旅情というものかも知れなかった。妹が兄のいる京都へ修学旅行に来るというそのことが、妹をもたぬ豹一の心を
たが、その時教授の息子である級長の根室が、京都人らしい陰険な眼を眼鏡の奥にぎょろりと光らせながら、ねちねちとし
根室の反対意見にかなり賛成の声が出て、何れも京都に家をもった生徒ばかりだった。結局仮装は「酋長の娘」と
「わいは京都で待ってるさかい、大阪へ着いたら直ぐ定期を速達で送ってくれたらええ
を如何にして作るべきかをしきりに考えるのである。京都にある二軒の親戚からはもうこれ以上借りられないぐらい借金してしまっ
なるまで歩きまわるのが義務のようだった。おかげで、京都の町の地理を随分覚え込んだ。薄汚い路地裏で、びっくりするほど色の
決定の教授会議がひらかれた。三月の初めで、京都では未だ厳しい寒さだった。ストーヴをたいてもガランとした部屋
もうこれがお別れだと、三人は夜が更けるまで京都の町を歩きまわった。その挙句、赤井と野崎は宮川町へ行くことに
「どうぞそのままで。だいじおへんどっせ」京都訛で言った。二階へ上ると、窓側の机の前にあぐらを
裏のスター食堂へ行った。寒中のことで、ことに京都は底冷えがひどく、彼等はストーブの傍に椅子を寄せて陣取った。
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んどっしゃろか」と豹一に手紙の代筆を頼んだ。大津の料理屋で働いている彼女の友達から、近況問合せの手紙が来た、
彼女は大津の料理屋で仲居をしていたが、一昨年社長の先妻が死んだ
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の広沢八助に入門し、校長の驥尾に附して、日本橋筋五丁目の裏長屋に住む浄瑠璃本写本師、毛利金助に稽古本を註文したり
ある日、軽部の留守中、日本橋の家で聞いて来たんですがと、若い男が顔を出した
同じ年の暮、二ツ井戸の玉突屋日本橋クラブの二階広間で広沢八助連中素人浄瑠璃大会が開かれ、聴衆約
、二七日の夜、追悼浄瑠璃大会が校長の肝いりで同じく日本橋クラブの二階でひらかれると、お君は赤ん坊を連れて姿を見せ
実家に戻ることになり、お君が豹一を連れて日本橋の裏長屋へ帰ってみると、家の中は呆れるほど汚かった。障子の
の楽天地へ都築文男一派の連鎖劇を見に行った帰り、日本橋一丁目の交叉点で恵美須町行きの電車にひかれたのだった。救助
ているうちに夜になった。恵美須町から電車に乗り、日本橋筋一丁目の乗換場所で降りて、谷町九丁目へ行く電車を待っているうち
たものだが、いわゆる「首つり」という代物だった。日本橋の洋服屋の店頭にぶら下げてある既製品だった。寸法を間ちがえたの
なくても済むのである。車は電車通に添うて日本橋筋一丁目の方角へ折れて行った。
やがて車は日本橋筋一丁目の交叉点を霞町の方へ折れて行った。豹一の
がいた。いつも豹一が降りることにしていた日本橋筋一丁目はとっくに過ぎていた。
ある日、豹一が日本橋筋一丁目の交叉点を横切っていると、うしろから、女の声で
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なのである。しかし、許嫁から度々手紙が来て、東京の学生生活などを書いた文句を見ると、豹一などとは段違いの
高と二高と三高だけに限り、合格した者は東京、京都のそれぞれの塾へ合宿させる。そんな条件に適いそうな生徒が
と言われたことが、我慢がならなかった。おまけに東京弁だ!
軽蔑に価する筈だ! おまけに女は歯切れの良い東京弁と来ている。
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身を切られるような気がした。近衛通から吉田銀座へ折れて錦林通へ出る細いごたごたした小路へはいって行った。
弥生座の舞台にレヴュー「銀座の柳」の幕が上った途端、二階の客席からそう奇声があがっ
やがてレヴュー「銀座の柳」の幕があいた。土門はわざと腕組みなどしていたが
対岸のキャバレエ「銀座会館」からジャズバンドの騒音がきこえていた。宗右衛門町の青楼の障子に
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三十五、六だが、浅草にいた頃の電気ブラン、浅草から千日前へ崩れて来てからの泡盛のために頭髪がすっかり禿げあがって、
の旦那で通っていた。未だ三十五、六だが、浅草にいた頃の電気ブラン、浅草から千日前へ崩れて来てからの泡盛
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、大急ぎで出て行った。犬の遠吠をききながら、住吉線の姫松の停留所まで行き、豹一はやっと車を拾った。帰りぎわに