大阪発見 / 織田作之助
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大阪発見
ところが、その大阪的な御寮人さんの場合どうなったか、私は知る由もないが、
行く道の交番所の隣にあるしるこ屋で、もとは大阪の御寮人さん達の息抜き場所であったが、いまは大阪の近代娘が
の御寮人さん達の息抜き場所であったが、いまは大阪の近代娘がまるで女学校の同窓会をひらいたように、はでに詰め掛けている。
いうことや、文楽芝居のようなお櫃に何となく大阪を感ずるからである。
、しかしその営みには何か根強いものがある。それを大阪の伝統だとはっきり断言することは敢てしないけれど、例えば日本橋筋四丁目の
コハゼの片一方だけを売っているのを見ると、何かしら大阪の哀れな故郷を感ずるのである。
戎橋そごう横の「しる市」もまた大阪の故郷だ。「しる市」は白味噌のねっとりした汁を食べさす小さな店
なければならぬところに現代のインテリの悲しさがあり且つ大阪のそこはかとなき愉しさがあるといえばいえるであろう。
抱き方で人形を携えて舞台にあらわれると、ああここに大阪があると私は思うのである。そうしてこれがいちばん大阪的である
あると私は思うのである。そうしてこれがいちばん大阪的であると私が思うのは、これらの文楽の芸人たちがその血
の道をこつこつ歩いて行くその生活態度によっても、大阪に指折り数えるほどしか見当らぬ風変りな人達であるために外ならず、且つ
大阪を知らない人から、最も大阪的なところを案内してくれといわれると
大阪を知らない人から、最も大阪的なところを案内してくれといわれると、僕は法善寺へ連れて行く
寺が「東京の顔」だとすると、法善寺は「大阪の顔」なのである。
ややこしいお寺なのである。そしてまた「ややこしい」という大阪言葉を説明するのも、非常にややこしい。だから法善寺の性格ほど説明の困難
大阪の人々の食意地の汚なさは、何ごとにも比しがたい。いまはともかく、
組になっている。それを夫婦と名づけたところに、大阪の下町的な味がある。そしてまた、入口に大きな阿多福人形を据えたところ
。そしてまた、入口に大きな阿多福人形を据えたところに、大阪のユーモアがある。ややこしい顔をした阿多福人形は単に「めをとぜんざい」
看板であるばかりでなく、法善寺のぬしであり、そしてまた大阪のユーモアの象徴でもあろう。
よりによって、こんな名前をつけるところは法善寺的――大阪的だが、ここの関東煮が頗るうまいのも、さすが大阪である。一杯
的だが、ここの関東煮が頗るうまいのも、さすが大阪である。一杯機嫌で西へ抜け出ると、難波新地である。もうそこは法善寺
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きいて、それきり顔もみなかったが、最近私は千日前の自安寺で五年振りに「亀さん」と出会った。
とぜんざい屋」を想った。道頓堀からの食傷通路と、千日前からの落語席通路の角に当っているところに「めをとぜんざい」と
ような回転を続けている扇風機の風にあたって、むかし千日前の常磐座の舞台で、写真の合間に猛烈な響を立てて回転した
例えば法善寺は千日前にあるのだが、入口が五つある。千日前(正確に言えば、千日前
法善寺は千日前にあるのだが、入口が五つある。千日前(正確に言えば、千日前から道頓堀筋へ行く道)からの入口が二つ
が、入口が五つある。千日前(正確に言えば、千日前から道頓堀筋へ行く道)からの入口が二つある。道頓堀からの入口が
寺と名のつく以上、れっきとした表門はある。千日前から道頓堀筋へ抜ける道の、丁度真中ぐらいの、蓄音機屋と洋品屋の間
のなかで、最も有名である。道頓堀からの路地と、千日前――難波新地の路地の角に当る角店である。店の入口にガラス張り
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「月ヶ瀬」は戎橋の停留所から難波へ行く道の交番所の隣にあるしるこ屋で、もとは大阪の御寮人
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寺ときいて二の足を踏むと、浅草寺だって寺ではないかと、言う。つまり、浅草寺が「東京の顔
浅草寺だって寺ではないかと、言う。つまり、浅草寺が「東京の顔」だとすると、法善寺は「大阪の顔」なの
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やはり一ぺん位夫婦仲の良い気持を味いたかったのか、高津の黒焼屋へ出掛けた。
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つまり、浅草寺が「東京の顔」だとすると、法善寺は「大阪の顔」なのである。
ば、必ず何か食べてかえったものだ。だから、法善寺にも食物屋はある。いや、あるどころではない。法善寺全体が食物店
単に「めをとぜんざい」の看板であるばかりでなく、法善寺のぬしであり、そしてまた大阪のユーモアの象徴でもあろう。
機嫌で西へ抜け出ると、難波新地である。もうそこは法善寺ではない。前方に見えるのは、心斎橋筋の光の洪水である。そして、
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に法善寺横丁の「めをとぜんざい屋」を想った。道頓堀からの食傷通路と、千日前からの落語席通路の角に当っているところに
から道頓堀筋へ行く道)からの入口が二つある。道頓堀からの入口が一つある。難波新地からの入口が二つある。どの入口
」はそれらの飲食店のなかで、最も有名である。道頓堀からの路地と、千日前――難波新地の路地の角に当る角店である。
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の伝統だとはっきり断言することは敢てしないけれど、例えば日本橋筋四丁目の五会という古物露天店の集団で足袋のコハゼの片一方
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東京にいた頃、私はしきりに法善寺横丁の「めをとぜんざい屋」
寺ではないかと、言う。つまり、浅草寺が「東京の顔」だとすると、法善寺は「大阪の顔」なのである
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浅草寺だって寺ではないかと、言う。つまり、浅草寺が「東京の顔」だとすると、法善寺は「大阪の顔」
寺ときいて二の足を踏むと、浅草寺だって寺ではないかと、言う。つまり、浅草寺が「東京