わが町 / 織田作之助
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が気になるとの口実で、足掛け六年ののち、大阪へ帰ると直ぐ俥夫となり、からだ一つを資本に年中白い背広の上着を
見られた月に三十円の大金だ。なお、婿が大阪に残して行った借金もまだ済んでいない。他吉の俥はどこの誰
おまけに、大阪の端から端まで、下駄というものはこんなにちびるものかと呆れるくらい、
をまつ時間がすくなく、賃金も安くつくという、いかにも大阪らしく実用的な合乗制が出来たので、君枝はその方の案内に、
今年着られんことがあるかい。暑いいうたかて、大阪の夏はお前マニラの冬や。」
の海は潜って来、昨日から鶴富組の仕事で、大阪の安治川尻へ来ているのだと、次郎は語った。
「いや、こんどのはたいした仕事じゃないのだが、大阪が恋しくて、つい……。」
「なるほど、わざわざ大阪で見なくても、東京に居れば、見られた勘定やな。」
プラネタリウムの機械の動く音がすると、星空が移り、もう大阪の空をはなれて、星の旅がはじまり、やがて南十字星が美しい光芒にきらめいて
言うちゃなんやけど、あの星を見た者は、広い大阪にこのわいのほかには沢山居れへんねやぞ。」
の沈没船引揚事業に眼をつけた。そして、新婚早々大阪を離れるのはいやだろうがと、次郎に現場への出張をたのむと、君枝
国を過ぎると、二里の登り道で、朝九時に大阪を出たのに、昼の一時を過ぎても、まだ中百舌鳥村であった
頃からさまざまな苦労に堪えて来た故であろうか。大阪に帰ると、日が暮れた。男なら一服吸うてというところを、その
沈没船の引揚げ作業が済んで、大阪へ帰って来ると、間もなくその年も慌しく押し詰り、大東亜戦争がはじまっ
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一年経ったある日。〆団治が君枝と次郎を千日前へ遊びに連れて行き、ふと電気写真館の陳列窓を覗いて、
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一しょに階段を降りて行き、次郎と鶴富組の主人は梅田行きの地下鉄に、君枝と他吉は反対の天王寺行きの地下鉄にそれぞれ乗り、簡単
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羅宇しかえ屋の女房は名古屋生れの大声で、ある時、亭主を叱った声が表通まで聞え、通り掛っ
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「船に積んだら、どこまで行きゃァる。木津や難波の橋の下ア……。」
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マニラをバギオに結ぶベンゲット道路のうち、タグパン・バギオ山頂間八十粁の開鑿は、
らの人種の恃むに足らぬのを悟ったのか、マニラの日本領事館へ邦人労働者の供給を請うた。邦人移民排斥の法律を枉げて
第一回の移民船香港丸が百二十五名の労働者を乗せてマニラに入港したのは、明治三十六年十月十六日であった。
それを知ってか知らずにか、百二十五名の移民はマニラで二日休養ののち、がたがたの軽便鉄道でタグパンまで行き、そこから徒歩で
には六百四十八名が、三十七年中にはほぼ千二百名がマニラへ上陸し、マニラ鉄道会社やマランガス、バタアン等の炭坑へ雇われる少数を除き、
哩三十五のベンゲット道路が開通したのは、香港丸がマニラへ入港してから一年四ヶ月目の明治三十八年一月二十九日であっ
のを見聴きすると、転げまわって口惜しがり、佐渡島他吉はマニラの入墨屋山本権四郎の所へ飛び込んだ。
。国元への送金も思うようにならず、「お前がマニラにいてくれては……」困る旨の話も有力者の口から出
くさってしまう。それとも、よっ程冷やし飴が売りたけりゃ、マニラへ行ってモンゴ屋商売をせエ。マニラは年中夏やさかい、金時(氷
が売りたけりゃ、マニラへ行ってモンゴ屋商売をせエ。マニラは年中夏やさかい、金時(氷)や冷やし飴売っても結構商売になる。
年前に死んでいたのを倖い、無理矢理説き伏せて、マニラへ発たせた。
もよう溜めんといて、娘の婿を懲りもせんとマニラへ行かす阿呆があるかと言われて、随分腹が立ったからとは、
切手を見て、マニラの婿から来た手紙だとはすぐ判ったが、勿論読めなかった。
、肝腎のところは他吉の胸に熱く落ちて来た。マニラへ行っていた婿が風土病の赤痢に罹って死んだと、部屋を貸し
「娘の婿めがマニラでころっと逝きよりましてな。」
、半分は不憫さからこうしているのだ、いや、マニラで死んだこの娘の父親がいまこの娘と一しょに走っているのだと
マニラへ行く前から黒かったという他吉の孫娘と思えぬほど色も白く、あれ
あるかい。暑いいうたかて、大阪の夏はお前マニラの冬や。」
ここに南十字星が現れて、いよいよ南方の空、今は丁度マニラの真夜中です。しんと寝しずまったマニラの町を山を野を、あの美しい南十字星が
南方の空、今は丁度マニラの真夜中です。しんと寝しずまったマニラの町を山を野を、あの美しい南十字星がしずかに見おろしているのです。
見届けた暁に、死んだ婿の墓へ詣りがてら一ぺんマニラへ行って来たろ思て、その旅費に残して置いたんやが、今
次郎はもうどんな危険もいとわぬ気がして、そして、マニラで死んだという君枝の父親の気持が、ふっと波のように潜水服に
の痛痛しく盛り上った手足が泛び、次郎は、自分ももし、マニラへ行けといわれたら、もう断り切れぬだろうと思った。
リンガエン湾附近に上陸した皇軍は恐らくベンゲット道路を通ってマニラへ向うと思うが、自分はあのジグザグ道のどこに凸凹があり、どこの
ゃァる、歯抜きの辰に二円かえしといてくれ、マニラはわいの町や、一つには、光り輝く日本国、マニラ国へとおもむいた、
他吉はきいて口惜しがり、「どうせマニラへ行くんやろ。」
は皺がれた声で言い、「それはそうと、マニラへ行たらな、歯抜きの辰いう歯医者を探して、昔わいが借りた二
そうであった。二十何年か前、婿の新太郎がマニラから寄越した手紙で、歯抜きの辰はとっくに死んでいると承知している
たはる。南十字星見ながら、行きたい行きたい言うたはったマニラへ到頭行かはったんや。〆さんより早よマニラへ着きはった……
たマニラへ到頭行かはったんや。〆さんより早よマニラへ着きはった……。」
ているとどきんとした咄嗟に、今度は自分たちがマニラへ行く順番だという想いが、だしぬけに胸を流れた。他あやんはついぞ
これまで、言葉に出しては、アメリカの船を引揚げにマニラへ行けとは言わなかったけれど、そんな風に死んだのを見れば、もう
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、いつものように俥をひいて出て、偶然通りかかった淀屋橋の上から、誰やら若い男とボートに乗っている君枝の姿を見つけた
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。とたんに爆音が耳に割れて、岩石が飛び散り、もう和歌山県の村上音造はじめ五人が死んでいた。間もなくの山崩れには
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か、客を乗せて夜の町を走っていた。通天閣のライオンハミガキの広告塔が青く、赤く、黄色く点滅するのがにじんで見えた。客
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日、仏壇を積んで、南河内の萩原天神まで行った。堺の三国を過ぎると、二里の登り道で、朝九時に大阪を出
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他吉は娘の初枝とふたりで神戸まで見送りに行ったが、「わいもこの船でいっしょに……」行き
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十三年前東京へ奉公に行き、それから二年のちにたったひとりの肉親の父親が
と、大阪弁と東京弁をごっちゃに使って言い、そして、そんなになつかしい写真なら、なにもわざわざ
「なるほど、わざわざ大阪で見なくても、東京に居れば、見られた勘定やな。」