わが町 / 織田作之助
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神戸へ着いて見ると、大阪までの旅費をひいて所持金は十銭にも足らず、これではいくら
も足らず、これではいくらなんでも妻子のいる大阪へ帰れぬと、さすがに思い、上陸した足で外人相手のホテルの帳場
が存外莫迦にならず、ここで一年辛抱すれば、大阪へのよい土産が出来る、それまではつい鼻の先の土地に妻子が居る
その夜、大阪へ帰った。六年振りの河童路地のわが家へのそっとはいって、
ものの言い方は高座の調子がまじっていて、他吉は大阪へ帰って来たという想いが強く来た。
「――しかし、大阪は寒いな」
一日何里俥をひいて走っても、狭い大阪の町を出ることは出来ないと、築港へ客を送るたび、銅羅の音
(氷)や冷やし飴売ってても、結構商売になる。大阪にいてては、お前、寒なったら、冷やし飴が売れるか」
た月に二十円の大金だ。なお、婿の新太郎が大阪に残して行った借金もまだ済んでいない。
その頃、大阪の主な川筋に巡航船が通った。
せて、横綱自身よいしょよいしょと練り歩いて、恰好をつけ、大阪じゅうを驚かせた。
「なんし、広い大阪やさかい、電話をもってながら、申込んでさえ置けば、ちゃんと消毒婦を派遣
おまけに、大阪の端から端まで、下駄というものはこんなにちびるものかと呆れるくらい、
を待つ時間がすくなく、賃金も安くつくという、いかにも大阪らしい実用的な思いつきだった。
今年着られんことがあるかい。暑い言うたかて、大阪の夏はお前マニラの冬や」
――大阪の夏はお前マニラの冬やと祖父が言ったところを見ると、マニラは
の海は潜って来、昨日から鶴富組の仕事で、大阪の安治川へ来ているのだと、次郎は語った。
船の解体で、たいして乗気じゃなかったんだが、しかし大阪ときくと懐しくてね、ついふらふらと来てしもたわけですよ」
を見ると、何故ともなしに次郎の心に急に大阪の郷愁がぐっと来て、その拍子に、河童路地での日々がなつかしく想い出さ
たことある? 僕も見たことないけど、久し振りに大阪へ来た序でにいっぺん大阪らしい味を味わうとこ思て」
見たことないけど、久し振りに大阪へ来た序でにいっぺん大阪らしい味を味わうとこ思て」
柳吉と一緒に湯崎から大阪へ帰ると、蝶子は松坂屋の裏に二階借りした。相変らずヤトナ
「なんのこっちゃ。折角大阪へ来て文楽でも見よういう気になったのに、これやったら、わざわざ
も見よういう気になったのに、これやったら、わざわざ大阪で見なくても、東京に居れば結構見られた勘定やな」
プラネタリュウムの機械の動く音がすると、星空が移り、もう大阪の空をはなれて、星の旅がはじまり、やがて南十字星が美しい光芒にきらめいて
てた星やぞ。あの星を見た者は、広い大阪に、このわいのほかには沢山は居れへんネやぞ、見たかったら、
そして、新婚早々大阪を離れるのはいやだろうがと、次郎に現場への出張を頼むと、君枝
国を過ぎると、二里の登り道で、朝九時に大阪を出たのに、昼の一時を過ぎても、まだ中百舌鳥であった。
大阪に帰ると、日が暮れた。男なら一服というところを、その足で
沈船作業が済んで、大阪へ帰って来ると、間もなくその年も慌しく押し詰り、大東亜戦争がはじまっ
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行き当りばったりに関東煮屋の暖簾をくぐって、味加減や銚子の中身の工合、商売のやり口を覚えた。
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谷町九丁目の坂を駈け降りて、千日前の裏通りに出ているお午の夜店へ行くと、お鶴が存外小綺麗な
待ちうけて、一緒になかへはいり、飯を食べさせたり、千日前へ連れて行ったりして、他吉の帰る間際まで、君枝の相手になって
「千日前のどこイ行ってん?」
〆団治は君枝と次郎を千日前へ遊びに連れて行った。
、日に二十銭も小遣い使いよる言うやないか、こないだ千日前へひとりで活動見に行って、冷やし飴五銭のみよって、種さんとこの
お詣りすると、足は自然下寺町の坂を降りて、千日前の電気写真館の方へ向いた。
が暮れた。男なら一服というところを、その足で千日前の自安寺へお詣りした。
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木津や難波の橋の下ア…………」
木津や難波の橋の下ア」
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マニラをバギオに結ぶベンゲット道路のうち、ダグバン・バギオ山頂間八十キロの開鑿は、
らの人種の恃むに足らぬのを悟ったのか、マニラの日本領事館を訪問して、邦人労働者の供給を請うた。邦人移民排斥の
一回の移民船香港丸が百二十五名の労働者を乗せて、マニラに入港したのは明治三十六年十月十六日であった。
それを知ってか知らずにか、百二十五名の移民はマニラで二日休養ののち、がたがたの軽便鉄道でダグバンまで行き、そこから徒歩で
には六百四十八名が、三十七年中にはほぼ千二百名がマニラへ上陸し、マニラ鉄道会社やマランガス・バタアン等の炭坑へ雇われた少数を除き
マニラのキャッポ区に雑貨商を出している太田恭三郎が、アメリカ当局と交渉して
マイル三十五のベンゲット道路が開通したのは、香港丸がマニラへ入港してから一年四ヵ月目の明治三十八年一月二十九日であっ
、アメリカ当局はあまりに冷淡であった。山を下り、マニラの日本人経営の旅館でごろごろしているうちに、儲けた金も全部使い果し
て、帰国するにも旅費はなく、うらぶれた恰好で、マニラの町をぞろぞろうろうろしているのを、見兼ねて、
れてみると、なるほど背に腹はかえられず、やがてマニラからぼろ汽船で二十日近く掛ってダバオにつき、遠くの森から聴えて来る
をかえて、ダバオを発って行き、何思ったのかマニラの入墨屋山本権四郎の所へ飛び込んだ。
振舞いへ、他吉を追いやっていたが、やがて「お前がマニラに居てくれては……」かえってほかの日本人が迷惑する旨の話も
「――それとも、よっぽど冷やし飴が売りたけりゃ、マニラへ行きなはれ」
「なんぜまた、マニラへ……?」
「マニラは年中夏やさかい、モンゴ屋商売して、金時(氷)や冷やし飴売って
ネやぜ。――お初はわいが預っててやるさかい、マニラへ行って、一旗あげて来い」
たが、もう他吉はきかず、無理矢理説き伏せて、新太郎をマニラへ発たせた。
が六年もいて一銭の金もよう溜めんといたマニラへ娘の婿を懲りもせんと行かす阿呆があるかと言われて、
と、めずらしく郵便がはいっていた。切手を見て、マニラの婿から来た手紙だとすぐ判ったが、勿論読めなかった。
マニラからの手紙を渡すと、敬吉は剃刀を片手に眼を通した。
から来た手紙や思いまっけど、なんぞ言うとりまっか。マニラは暑うてどんならん言うとりまっか」
マニラへ行っていた婿の新太郎が、風土病の赤痢に罹って死んだ旨、
「へえ。娘の婿めが、あんた、マニラでころっと逝きよりましてな」
「マニラ……? マニラてねっから聴いたことのない土地やが、何県やねん」
ポロポロ涙を落しながら、マニラは比律賓の首府だと説明すると、
他吉は黙って、マニラからの手紙を渡した。
のが可哀想だから連れて走っているのだ、いや、マニラで死んだこの子の父親がいまこの子と一しょに走っているのだと
見つめていると、このまま君枝をどこぞへ遣って、マニラへ行き、新太郎の墓へ詣ってみたいという気持がしみじみ来た。
どういうわけか、新太郎の位牌が強く目に来て、さびしくマニラで死んで行った新太郎の気持を想って胸が痛んだ。
―ほな、おやっさんがそない行けというねやったら、マニラへ行くわ」
「君枝とふたり水いらずで暮してこそ、新太郎をマニラで死なしたことが、生きて来るのや」
マニラへ行く前から黒かったという他吉の孫娘とは思えぬほど色も白く、
「玉造で桶屋してましたけど、失敗してマニラへ行って、死にました」
あるかい。暑い言うたかて、大阪の夏はお前マニラの冬や」
――大阪の夏はお前マニラの冬やと祖父が言ったところを見ると、マニラは余程暑いところであろう
お前マニラの冬やと祖父が言ったところを見ると、マニラは余程暑いところであろう。そういうところで死んだ父親にふさわしく、ランニングシャツ一
わたし達はいよいよ南方の空までやって来ました。時刻はマニラの午前一時、丁度真夜中です。しんと寝しずまったマニラの町を野を山を椰子
。時刻はマニラの午前一時、丁度真夜中です。しんと寝しずまったマニラの町を野を山を椰子の葉を、この美しい南十字星がしずかに見おろして
マニラときいて、君枝は睡気からさめた。
星を見ながらベンゲットで働き、父はあの星を見ながらマニラでひとりさびしく死んだのかと、頬にも涙が流れて流星が眼に
言うちゃなんやけど、あの星はな、わいがベンゲットやマニラにいた時、毎晩見てた星やぞ。あの星を見た者は
けど……。お前の身がかたづいたら、わいはもういっぺんマニラへ行こ思てるねんて……」
比律賓のベンゲットで働いて来た人間だす。婿をマニラで死なしても居ります。その点は、よう君枝に仕込んでありまっさかい」
言うた通り、わいは明日の日にでも発って、マニラへ行こ思てるねん。君枝の身体ももうちゃんとかたづいたし、思い残すところはない
思い残すところはない。ベンゲットの他あやんも到頭本望とげて、マニラで死ねるぞ」
「何言うたはりまんねん。そらお祖父やんがマニラへ行きたい気イはわかるけど、その歳でひとりマニラまで行けるもんですか?
やんがマニラへ行きたい気イはわかるけど、その歳でひとりマニラまで行けるもんですか? なあ、〆さん」
「そやとも、他あやん、お前が行かんでもマニラは治まる。お前が行てしもて見イ、わいはひとりも友達が無いよう
――お前ら寄ってたかって巧いこと言いくさって、到頭マニラへ行けんようにしてしまいやがった。しかし、言うとくけど、これは今
宜しおますとも、その時はその時の話、とにかくようマニラ行き諦めてくれはりましたな」
見届けた暁に、死んだ婿の墓へ詣りがてら一ぺんマニラへ行って来たろ思て、その旅費に残して置いたんやが、もう
次郎はもうどんな危険もいとわぬ気がして、そして、マニラで死んだという君枝の父親の気持が、ふっと波のように潜水服に
自分ももし、君枝の父親と同じように、祖父さんからマニラへ行けといわれたら、もう断り切れぬだろうと思った。
に育ってる、もう想い残すことはない。わいの死骸はマニラの婿といっしょの墓にはいるネや」
リンガエン湾附近に上陸した皇軍は恐らくベンゲット道路を通ってマニラへ向うと思うが、自分はあのジグザグ道のどこに凸凹があり、どこの
行きゃアる、歯抜きの辰に二円かえしといてくれ、マニラはわいの町や、一つには、光り輝く日本国、マニラ国へとおもむいた―
「――どうせマニラも陥落したこっちゃし、マニラへも行くんやろ。うまいことしやがんな」
「――どうせマニラも陥落したこっちゃし、マニラへも行くんやろ。うまいことしやがんな」
お前の乗ってる船追い抜いて、お前より早よ着くわい。マニラへ着いたら、他あやんが出迎えに来てへんか、眼のやにを拭いて
「それはそうと、〆さん、マニラへ行たらな、歯抜きの辰いう歯医者を探して昔わいが借りた二円
は言ったが、二十何年か前、婿の新太郎がマニラから寄越した手紙で歯抜きの辰はとっくに死んでいると承知している筈
上衣のポケットに新太郎がマニラから寄越した色あせた手紙がはいっていたので、身元はすぐ判った。
てはった南十字星見ながら、行きたい行きたい言うたはったマニラへ到頭行かはったんや。お祖父ちゃんの魂は〆さんより早よマニラ
たんや。お祖父ちゃんの魂は〆さんより早よマニラへ着いたはりまっせ」
いると、どきんとした咄嗟に、今度は自分たちがマニラへ行く順番だという想いが、だしぬけに胸を流れた。
これまで、言葉に出しては、アメリカの沈船を引揚げにマニラへ行けとは言わなんだけれど、〆団治が南方へ旅立つその日、
なんだけれど、〆団治が南方へ旅立つその日、マニラへの郷愁にかりたてられて、重い病気をおして星の劇場へ行き、南十字星
ながら死んだのを見れば、もう理窟なしに、お前もマニラへ来いと命じられたのも同然だ、いや、君枝を娶った時からもう
「そうだ、マニラへ行こう」
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新規開店に先立ち、法善寺境内の正弁丹吾亭や道頓堀のたこ福をはじめ、行き当りばったりに関東煮屋
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新規開店に先立ち、法善寺境内の正弁丹吾亭や道頓堀のたこ福をはじめ、行き当りばったりに関東煮屋の暖簾をくぐって、味加減
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てぽかんと何か考えごとしているらしい容子を見ると、梅田の実家のことを考えてるのとちがうやろか、そう思って、矢張り蝶子は
きり、てんで乗気にならなかった。いよいよ食うに困れば、梅田へ行って無心すれば良しと考えていたのだ。
ある日、どうやら本当に梅田へ出掛けたらしかった。帰って来ての話に、無心したところ、妹婿
一しょに階段を降りて行き、次郎と鶴富組の主人は梅田行きの地下鉄に乗った。君枝と他吉はそれを見送り、簡単に見合いが終っ
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れるままに女中奉公させた先は、ところもあろうに北新地のお茶屋で、蝶子は長屋の子に似ず、顔立ちがこじんまり整い、色も
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そして、皇軍が比律賓のリンガエン湾附近に上陸した――と、新聞は読めなかったが、ラジオのニュースは
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もうその歳ではいくらか気がさす桃割れに結って、源聖寺坂の上を、初枝が近所の桶屋の職人の新太郎というのと、肩を
源聖寺坂の上の寺の中で、新太郎の顔を殴ったことも、想い出された
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羅宇しかえ屋の女房は名古屋生れの大声で、ある時、亭主を叱った声が表通りまできこえ、通り掛っ
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太田恭三郎はすすめたが、ダバオはモロ族やバゴボ族以外に住む者のないおそろしい蛮地で、おまけにマラリヤの
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「今日は忘れんように、萩の茶屋の大西いう質屋へ廻ってんか」
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堺の三国を過ぎると、二里の登り道で、朝九時に大阪を出
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たかて……。潜水夫の眼エから見たら、中之島の川みたいなもん、路地の溝みたいなもんや言うてはった。大浜の
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を捕えて、一財産つくり、大島の対を着て、丹波へ帰って行ったと、大変な評判であった。
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領事代理の岩谷書記は神戸渡航合資会社の稲葉卯三郎をケノン少佐に推薦した。稲葉卯三郎が通訳長尾房之助
神戸へ着いて見ると、大阪までの旅費をひいて所持金は十銭に
た早々、二人を見捨てて日本を離れることも出来ず、神戸で三月いた間にためて置いた金をはたいて、人力車の古手
他吉は初枝とふたりで、神戸にまで見送りに行ったが、
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広島生れの玉堂は下手な大阪訛りで言って、ちょっと赧くなった。
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哀れとも思った。それで、尋常科を卒て、すぐ日本橋筋の古着屋へ女中奉公させられた時は、すこしの不平も言わ
おまけに、帰りは夜更けて、赤電車で、日本橋一丁目で降りて、野良犬やバタ屋が芥箱をあさっているほかに人通り
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がる歳でもなく、間もなく夕刊配達をよして、東京へ奉公に行った。
九年前、東京へ奉公に行き、それから二年のちにたったひとりの肉親の父親が
大阪弁と東京弁をごっちゃに使って言い、
だから、東京の品川にある写真機店へ奉公に行って三年、ひと通り現像の仕事を
きびきびした東京弁で言った。
が陳列されていた。人形芝居は夏場の巡業で東京へ行っているとのことだった。
のに、これやったら、わざわざ大阪で見なくても、東京に居れば結構見られた勘定やな」
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だから、東京の品川にある写真機店へ奉公に行って三年、ひと通り現像の仕事を覚えた
つい最近、桜橋の交叉点でむかし品川の写真機店で一緒に奉公していた男に出会った。立ち話にきく
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千日前の電車通りを御堂筋の方へ折れて、新橋の方へ並んで歩く途々、君枝は、
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境川で乗り換えて、市岡四丁目で降りた。そこから三丁の道はもう