二つの庭 / 宮本百合子
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伸子は、太平洋航路の大きな客船が、横浜の埠頭から次第次第に沖へむかってはなれて行ったときの光景を思いおこした
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関東に大震災があった年の初夏、軽井沢で愛人と共に縊死した武島裕吉という有名な文学者があった。人道
いうことをいうなら、伸子は六七年前に武島裕吉が軽井沢の別荘で女の人と縊死した事件を知ったときの方が動顛し
伸子の記憶のなかに、軽井沢で死んだ武島裕吉の葬儀の日の光景がよみがえった。式は、麹町辺
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が、夏休みの間、積極的な学生数人をグループにして伊豆の海岸にある辺鄙な温泉へ行った。質素な宿屋暮しをして、休暇中
やって仙台までさりげなく出かけた心のうちには、昔、伊豆で過した夏の思い出があり、三原山の思い出があった。あのとき、
その伊豆の夏休みの集団生活のとき、上級生で一緒にいた小川豊助が、こんど素子
素子が、伊豆へ一緒に行って一夏暮したのはその登坂教授であった。
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呼ばれていた時代の知識人の空気を思いやらせた。小石川の閑静な高台のその家の客間は、やはりせまい日本座敷を洋風につかって
た背の高い姿を眺めた。その女のひとは、小石川のある電車の終点にたっていた。
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箱根の連山が見晴らせるその家のヴェランダの椅子で、多計代は、そんな役に立た
多計代はいあわせた泰造はもとより和一郎まで加勢させて、箱根へドライヴしたり、力をつくしてもてなした。僕、へこたれちゃった、袋もち
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関西旅行をしたとき、素子はこのおつまはんの斡旋で高台寺の粋な家を宿にした。その宿へは素子の従弟に当る縮緬
さんが京都からもって来るある空気が吹きとおるのだろうか。高台寺で、素子が酔った晩、桃龍たちがよってたかって素子に、
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れたものだった。伸子に教則本を教えた婦人ピアニストはウィーンで自殺した。佃と結婚してこの家を出たときから、伸子は
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の心には、きつい激しい思いがあった。もと佃と赤坂に暮していたとき、丁度夕飯時分ふらりと和一郎が来たことがあった
ないと心にきめた。この建築家は後に、有名な赤坂の芸者であったひとを細君にした。
た。もうその時伸子は佃と結婚していて、赤坂の方に住んでいた。あるとき、来てみると、母がしきりに
伸子は、四年ばかり前に赤坂の古びた佃の家の縁側で泣いていた自分を思い出した。伸子は
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住居を訪ねたことがあった。一九一七年の革命のとき極東のどこかの小さい町に両親と生活していて、騒動の間に親
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十年ばかり昔、父と母とが珍しく一緒に関西から九州へ旅行したことがあった。泰造の出張をかねてであったが、髪
。二十日ばかりの旅行を終って、父と母とは九州のおいしいポンカンや日向みかんの籠をもって帰京した。そこの小さい島に
作家として独特な存在であった。そして、近頃、九州の奥に理想村をこしらえて、そこにある河中の岩を、ロダン岩と
「九州の方に赴任したらしい、ハガキが来たっけ」
「――九州へは行ってみない?」
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「ちょっと用事があって玉川まで来たもんですからね……なかなか閑静なところじゃないですか」
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のんびりした曲線的な字で、ミスタ・タイゾウ・サッサと、ロンドンでの泰造の下宿先が宛名にかかれている。封のとじめには、
の草書で、幾枚もつづいた終りの宛名に、英京ロンドンにて、なつかしき兄上様まいると、色紙にかくように優美に三行に書か
そういう手紙をロンドンでうけとったとき、泰造が、いつも、まずそれをポケットにしまって、しばらく落ちつか
ほどなく、どういういきさつをへたのであったか嘉訓はロンドンへ行った。パン、ミルク。たったそれだけの言葉しか知らなかった嘉訓は、
嘉訓は、不自由なところは得意の絵物語でおぎないながら、ロンドンの美術学校を卒業し、やがて日本の文展に純英国流の婦人像を送っ
。日本とまるで社会の発達の程度も経済の事情もちがうロンドンで、パン、ミルクということしかしらなかった貧しい東洋の画学生だった砂場
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関東に大震災があった年の初夏、軽井沢で愛人と共に縊死した武島裕吉
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関西の古い都会の女学校を出ると、素子は女子大学に入学して、それ以来
とはかなり立ち入った友達つき合いで、前の年の早春二人がゆっくり関西旅行をしたとき、素子はこのおつまはんの斡旋で高台寺の粋な家
か。十年ばかり昔、父と母とが珍しく一緒に関西から九州へ旅行したことがあった。泰造の出張をかねてであったが
て生活しているように感じられ、それは、素子が関西の生家を出て暮している理由にも似ていた。素子を生んだ
関西にいる父親から、素子の分として予定されている財産を、まとめ
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「いいところですよ。鴨川のすぐそばで――座敷から流れが見える」
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伸子が二十歳だったとき、父につれられてニューヨークへ行った。そのことには大きい背景として、そういう当時の日本の
人間として育ちたい気持が一杯なだけであった。ニューヨークで、佃という東洋語を専攻していた人と結婚した。唐突
た。それは、少女の心をぬけきらなかった伸子がニューヨークで生活しはじめ、佃と結婚しそれが破壊されたいきさつを追った作品
た。小さなウクレーレを持っていたが、それは佃がニューヨークで伸子のために買ったものだというわけから、伸子が離婚したとき
のではない場合が多い。伸子が、少女としてニューヨークの大学の寄宿舎に暮していたときも、外国の人々の前に、茶
七八年前、伸子は父につれられてニューヨークへゆき、そこで一年あまり暮した。そして、佃と結婚して、帰っ
行きたいと思った。二十のとき、父につれられてニューヨークへ行った。それは伸子とすれば全くうけみな偶然であった。その偶然
伸子は、はたちのとき父につれられてニューヨークへ行った。その仕度の時のことを思いおこした。子供の時しか洋服を
ために乗っていた馬車の足もとへつっこんだ。伸子はニューヨークにいる間、自分がその手から手へとわたされそうだった親たちの
に衣裳の世話をしてくれた大使夫人は、伸子がニューヨークから帰って挨拶に行ったときは病気中だからといって会わなかった。
らのことがまざまざと思いおこされた。それは、伸子のニューヨーク行きさわぎの一年ばかり前のことであったが。――
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その頃牛込に住んでいた素子は、下町風の家の二階で、そういった。
であった。酒屋の店さきなどに打ち水がされている牛込のせまい通りを、白地に秋草の染めだされた真岡の単衣を着て、
粋な角刈めいた形にしている人であった。牛込に住んでいた。そこへ使いにやらされた。
朝から素子は牛込の本屋へ出かけて、森閑としている駒沢の家の庭には、きらめく
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「旅行もいいけれども、私は名古屋から、よっぽど一人で帰って来てしまおうかと思った」
名古屋で、ある人の招待をうけたとき、母の仕度がおくれて父が一人
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の和歌の話をしたりした。その歌の話から鎌倉へ遊びに行った。そういう時の素子は、女にこんなひとがあるか
要するに夏になれば鎌倉に粗末な家でもかりて、そっちへ仕事をしにゆくとか、ナジモ
耐えがたくなった頃、冬子が療養生活をしていた鎌倉の家のそばに、二間ばかりの家を見つけて貰ってしばらく暮したりし
うちに女中としていたみつが、佃が病気で鎌倉へ行った先までついて行って世話していたことを話した。その
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して、全国に種々様々の大建築が行われた。丸の内の広場に面する左右の角に、東京で最初の鉄筋コンクリート高層建築が出来た
は誰のもので誰が動かしているのだろう。さっき、丸の内で一時間あまり一緒に過して来た父が主人なのだから、これが
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が、一人で自分が咲かせた花をもって幾度か佃の見舞に行っていた。ずっとあとから、多計代からそのことをきかされ
行ってはこのうなぎ屋へ中串やどんぶりを註文に来た。佃の家のある裏の通りから、ここへ出る角は時計屋で――昔
屋のショウ・ウィンドウがあらわれて来た。この時計屋から佃の家までは、裏をまわって二町ばかりしかない。この時計屋の角
石屋の角で、そこから入った裏通りのなかごろの右側に佃の家がある。伸子が、恐怖や、憎悪にうらづけられた鮮明さで覚え
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のみこめなかった。「アンナ・カレーニナ」のなかで、アンナがモスクワへ来てはじめて夜会に出かけた晩の美しさ。そしてまた、ウロンスキーと恋愛に
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歌いだした。和一郎は中学を終って間もなく、そのころ一ツ橋にあった上野の音楽学校の分教場でピアノの稽古を始めた。和一郎はいい
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。人道主義の作家で、無産者の運動がおこってから北海道に持っていた農場を小作人にただで分譲したりした。
「じゃあ、またいずれ。また北海道へゆくときでも通りがかったら、しらして下さい。おかげで愉快だった」
「北海道って――どうして? そのとき行ったの?」
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にもわかるところがあった。日本の政府は一九一七年からシベリアへ出兵して、ウランゲルやコルチャックとともに、ふるいロシアがソヴェトに変ってゆく
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終りに近づいたとき、教授の発企で、みんなが大島の三原山へピクニックに出かけた。素子も当然その一行に加わって。――
海は荒かった。島へついた一行はいよいよ三原山のぼりにかかったが、一行の中でただ一人の若い女性だった素子は
の勤勉であるがくつろいだ集団生活の中で接触し、三原山のぼりにも参加した。その青年が、岩に腰かけた素子の足もとに
には、昔、伊豆で過した夏の思い出があり、三原山の思い出があった。あのとき、計らずもあくびでそらされた機会への
素子の宿まで送って来る途中、そのひとは笑いながら、三原山の昔話をした。
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青山の大通りをはしっていたタクシーは前をゆく電車と、板を積んだ荷馬
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相川良之介の葬儀は、七月二十七日谷中の斎場で行われるという通知が伸子のところへも来た。情のこもっ
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とかの習慣をもたない伸子は、素子に誘われて日比谷公園で鶴の噴水を見ながら実朝の和歌の話をしたりした。その
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それは伸子もよんでいた。素子は、小川豊助が湯島天神の境内の小料理やの女といきさつをおこしたとき、豊助にかわって、
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「ゆうべの急行で山形へお立ちになりました」
「お父様山形なんだって?」
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この家へ、おつまさんが京都からもって来るある空気が吹きとおるのだろうか。高台寺で、素子が酔っ
の庭が、伸子に気やすい感じだった。去年、夜行で京都から帰って来た朝、伸子は二階のはしごの上から下まで滑りおち
「じゃ、この原稿を渡しちまったら、ともかく京都へ行って来る」
暑気の中を精力的に動いた。そして、二三日うちに京都へ出発するところまで用事を運んだ。
「あのひとは京都へ行ったわ」
「なにか京都にあるのかい」
二三日の予定で京都へ行った素子は、五六日ノビル、という電報をよこした。九月
素子は、まだ京都から帰っていなかった。奥の座敷に広々とつった白い蚊帳のなか
素子が京都から帰って来た。
素子には、そういうことがわかったのだろう。この間京都へかえっていた間も、素子は祗園のおつまはんのところで夜明しし
が出かけてウメ子も京都で落ち会うことにきまった。京都には三人にとって共通な幾人かの友達がいた。それ
先へ京都へゆき、あとから伸子が出かけてウメ子も京都で落ち会うことにきまった。京都には三人にとって共通な幾
した結果、家の始末をつけたら、素子だけ先へ京都へゆき、あとから伸子が出かけてウメ子も京都で落ち会うことにきまっ
京都で落ちあったら、ある女歌人のやっている地味な宿にとまることにし
の増田のところへ泊ることになっていた。素子が京都へ立つまでの数日の宿として、そこがきめてあった。
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その男は秋田の訛のある東京弁で、
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スピーチをもとめた。なに心なく帯どめから白いナプキンをひろげたまま松江喬吉の話をきいていた伸子は狼狽した。話をききながら伸子
て、伸子も招かれた。その夜、フランス文学者である松江喬吉がテーブル・スピーチをした。翻訳という仕事は女性にふさわしい仕事だ
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をへだてて素子はまたその青年とあった。そのときは仙台であった。青年はもう地方官としてそこにつとめていた。
からぱあとした雰囲気にしてしまった。その晩、仙台の町を素子の宿まで送って来る途中、そのひとは笑いながら、三原
れた機会への関心があった。それにひかされて仙台へ行ったのであったのに、素子は、さし向いの晩餐をてれて
素子が、そうやって仙台までさりげなく出かけた心のうちには、昔、伊豆で過した夏の思い出
に、機会が去ったのを感じた。そのひとは、仙台でも、まだ独身であった。けれども、料理屋で待っていて、
「まさか仙台へだけ来たなんていえやしないじゃないか」
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も何となし澄明でなかった。新聞に、二高や松山高校の盟休について、水野文相が断然処分する、と断言したため
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にウメ子の文学上の指導者である須田猶吉はそのころ奈良に住んでいた。
「丁度よござんすわ、奈良へもよれますし……」
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保が東京高校へ入学したのは前年の春であった。その夏、若い越智
が行われた。丸の内の広場に面する左右の角に、東京で最初の鉄筋コンクリート高層建築が出来た。佐々と今津博士との協同で
と、素子は女子大学に入学して、それ以来ずっと自分だけ東京暮しをつづけていた。魚問屋であり、資産家である吉見の主人は
「近いうちに東京へ来るんだってさ。少しゆっくり滞在するから、是非遊びによらせて
相変らずの学生っぽい白襟のなりで、自分一人だけの東京弁を居心地わるく感じながら、はにかんで、色彩の入り乱れたその仲間に坐って
従弟の聰太郎は、東京の支店づめで日本橋のそばの店に来ていた。
「――東京じゃ、自然聰さんがとりもち役になるさ」
よんだように、当てどのない、しかも濃厚な生活雰囲気が東京のその一隅に生きていると感じた。
婦人の母と姉とが、その人について来て東京で暮していた。素子は、やがてワルワーラ・ドミトリエーヴナというその姉のところ
日曜日の約束してあった時間、ほとんどきっかりに、東京高校の黒い制服をきた保が訪ねて来た。多計代のおみやげ
その男は秋田の訛のある東京弁で、
素子が東京へかえり、やがて伸子も動坂へかえって、二人の間には一緒に
たちが、観察のために眼と心とを鋭くひらいて東京へ来て、どんな発見をしているだろう。伸子が女学校を卒業して
思いきって、良人や小さい娘と東京をはなれる気になった多計代の心持も伸子には推測された。
ばさついている。黙ってとりかこんで、水をくんでいる「東京の邸」の女を眺め、なお街道をよこぎって崖の下の、細道
って落着けるだろうし、お父様ったらひまがなさすぎるから駄目よ、東京ばっかりだと」
東京の夏は、いつも七月二十日前後からひとしお暑気を加えて来る。その
ての民衆を信じるとはいわなかった。相川良之介が、東京の炎暑の夜を徹して涎をたらしつつ、手をふるわせつつ、透明
大変苦しんだことがあった。それから、夏の間は東京にいないことになっているのだった。
東京をはなれたのは僅かの十日たらずであるけれども、その間ひどく
ちゃんだって買えばいいのさ、どっさり積んであるよ、東京堂に」
なっちゃった、というところを、いかにも東京ッ子らしい歯切れのいい調子で早口に云って、ウメ子は、身幅のひろ
「吉見なんていったって東京じゅうに知っているものなんざ一人もありゃしませんよ」
、大型のハンドバッグの中には、トゥリスト・ビューローで買った東京モスクワ間の切符が入っているのだった。つづけて伸子の心に、
もう時間のゆとりがなかった。伸子は、あと四五日で東京を立たなければならず、大型のハンドバッグの中には、トゥリスト・ビューローで
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なった。伸子が佃と結婚したのは、保が麹町の方にあるフランス人経営の中学校へ入学する前後のことであった。それ
武島裕吉の葬儀の日の光景がよみがえった。式は、麹町辺にあったそのひとの大きい邸宅で行われた。鯨幕をはりめぐらした玄関
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保が通っていた小学校は師範の附属で、春日町から大塚へ上る長い坂を通った。その坂は、本郷台から下って来て、
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従弟の聰太郎は、東京の支店づめで日本橋のそばの店に来ていた。
にゆくとか、ナジモ※の「椿姫」を見のがさず、日本橋でうまい鰆の白味噌づけを買い、はしらとわさびの小皿と並べて食卓
「やれ、やれ、これであした日本橋へ行けばもうすっかりすんだ!」
ばならない。本や荷物をどこへ預けよう。素子は、日本橋の従弟の店の倉庫と、老松町の、伸子がもと二階がりをし
その横通りには、昔から屋敷の間にはさまって、日本橋の方に店をもっている有名な書籍文具店のインク製造工場があった
第一日は動坂へ荷物を送り、第二日は日本橋の素子の従弟の倉庫へ。そう順序だてられた。多計代は、きっと
いよいよ荷物を運び出す日になった。日本橋の素子の従弟のところから、若いものを四人よこしてくれた。働き
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に後へなでつけ、水のような瞳をしたフィリッポフは神田に二階借りして、ロシア風の襞の多いスカートをつけた若いからだ
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カーネーションは朝早いうちにぞっくらきられて、渋谷の市場へ運ばれるのであった。
「渋谷まで出かけたもんだから……いそいでかえっても、この天気じゃ仕事がない
秋の夕暮れらしい渋谷の雑沓のなかを、伸子は気をせいて、二つの電車をのりかえ
が日本に帰ろうと帰るまいと無頓著らしかった。彼は渋谷の方の、二階に浴室の設備まである洋館に住んでいた。
の停留場へ出た。とよが乗る電車と伸子たちの渋谷行方面とは反対で、とよの乗る方がさきへ来た。と
伸子と素子とは渋谷からタクシーをひろった。数日来うちつづいたいそがしさに疲れて、伸子は
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で下りて来た。プラタナスの並木路をすこし歩いて、上野ゆきの電車にのった。市中へ出たついでに、動坂へよっ
上野の五重の塔のいただきが森の上に見はらせる坂をゆっくりのぼって、伸子は
は中学を終って間もなく、そのころ一ツ橋にあった上野の音楽学校の分教場でピアノの稽古を始めた。和一郎はいい耳をもっ
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約束した日の午後、素子と伸子とは一旦新宿でおりて、小川豊助のところへもってゆく手みやげを買った。
をつけるにはまだ早い伸子の机の上に、このあいだ新宿の駅で買った無産者新聞がひろがっていた。素子が出かけてい
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タクシーはにわかにスピードを出して前方の障害物を迂回し、赤坂見附に向って走りつづけた。
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もの角を曲って自動車が走ってゆくにつれて、青山一丁目の街の光景は次第に遠くにおきやられたが、うなぎやの手前
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調子でいった。和一郎の方は、十日ばかり前から湘南にある飯倉の伯父の別荘に行っているらしかった。漆細工で柿の実
多くなった。東北の田舎にいた祖母のところや、湘南にいた従妹の冬子のところへ。そういう一つの逃げ出しから動