起ち上る大阪 ――戦災余話 / 織田作之助
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いな。今親戚のところへ疎開してまっけど、また大阪市内で本屋しまっさかい、雑誌買いに来とくなはれ」と、三ちゃんは既に捲土
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起ち上る大阪
この話に「起ち上る大阪」という題をつけたが、果して当っているかどうか分らない。或は
が、果して当っているかどうか分らない。或は「起ち上れ大阪」と呼び掛けるか、「大阪よ起ち上れ」と叫ぶ方が、目下の私の気持
どうか分らない。或は「起ち上れ大阪」と呼び掛けるか、「大阪よ起ち上れ」と叫ぶ方が、目下の私の気持から言ってもふさわしいかも
いえば十三日の夜半、醜悪にして猪口才な敵機が大阪の町々に火の雨を降らせたその時から数えて今日まで丁度一ト
数々の話には、はや災害の中から「起ち上ろうとする大阪」もしくは「起ち上りつつある大阪」の表情が、そこはかとなく泛んでいるよう
災害の中から「起ち上ろうとする大阪」もしくは「起ち上りつつある大阪」の表情が、そこはかとなく泛んでいるように、少くとも私には
少くとも私には感じられた。いや、もはや「起ち上った大阪」の表情であるといっても、まるで心にもないことをいったこと
に終ったかも知れない。が、すでにして今日の大阪は昨日の大阪の顔ではない。昨日の大阪の顔は或は古く或は新しく
も知れない。が、すでにして今日の大阪は昨日の大阪の顔ではない。昨日の大阪の顔は或は古く或は新しくさまざまな粧いを
今日の大阪は昨日の大阪の顔ではない。昨日の大阪の顔は或は古く或は新しくさまざまな粧いを凝らしていたものだが、今日
新しくさまざまな粧いを凝らしていたものだが、今日の大阪はすでに在りし日のそうした化粧しない、いわゆる素顔である。つまりは
する」もしくは「起ち上りつつある」――更に「起ち上った」大阪の表情のあえかな明るさに、よしんばそれがそこはかとなき表情であるに
だからして、以下の数々の話につけた「起ち上る大阪」という題も、思えばまるで見当ちがいの出鱈目なものではなかったか
他アやんは大阪の南で喫茶店をひらいている。この南というのは、大阪の人が
南で喫茶店をひらいている。この南というのは、大阪の人がよく「南へ行く」と言っているその南のことであり、
たりと思われた。早い話が、この記事を読んだ大阪の人びとは、何ものにもへこたれない大阪人の粘り強さというものに改めてわが
の春をはじめて感ずる思いを抱いたことであろうし、ひいては大阪の復興に自信が持てたことであろうし、あれこれ思い合せるとまことに「春は
思い合せるとまことに「春は文楽復活の記事に乗って」大阪へ来たかの感があった。ともあれ、私は何がなし嬉しく、いそいそとし
ともあれ、私は何がなし嬉しく、いそいそとした気持でその日大阪へ出掛け、他アやんを見舞ったのである。
そして、わては最後までこの大阪に踏み止って頑張りまんねんと、他アやんは言い、
の一つは神社、仏閣へ焼夷弾を落したことだ。大阪の神社、仏閣も相当被害を蒙った。そしてまた、昔なつかしい民間信仰の対象
私は子供の頃からあの大阪の年中行事の一つである地蔵祭が好きであった。私の生まれた
、一長屋の祭典を行ったということは、どれだけ大阪の庶民の生活をうるおいあるものとしたか計り知れないくらいである。ところが
の名取である尚子さんは、私に語った。因みに大阪で志賀山流の名取は尚子さん唯一人、尚子さんは放送局の文芸部へ勤め
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は十年ばかり前まで田村さんが代々住んでおられた内久宝寺町の古い町名で、田村さんのお屋敷は代官の金蔵があった跡である
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「サアナア、しかし、夫婦善哉といえば、あの法善寺の阿多福の人形は助かったらしい。疎開していたから、きっとどこかで
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これは聖徳太子が六万体の石像をお刻みになって、天王寺を中心とする地の中へ埋められたのを発掘したものであり、
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他アやんと別れ、やがて千日前の大阪劇場の前まで来た。空襲のあった二、三日後、ここ