神経 / 織田作之助

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大阪

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同じ貧弱なら、新宿のムーラン・ルージュや浅草のオペラ館や大阪の千日前のピエルボイズ(これも浅草から流れて来たものだが)の方が

匹通らぬ淋しい千日前だった。私は戦争のはじまる前から大阪の南の郊外に住んでいたが、もうそんな千日前は何か遠すぎた

と、即座に答えた。南というのは、大阪の人がよく「南へ行く」というその南のことで、心斎橋筋、戎橋

ので、丁度ある週刊雑誌からたのまれていた「起ち上る大阪」という題の文章の中でこの二人のことを書いた。しかし、大阪

の文章の中でこの二人のことを書いた。しかし、大阪が焦土の中から果して復興出来るかどうか、「花屋」の主人と参ちゃん

かどうか、「花屋」の主人と参ちゃんが「起ち上る大阪」の中で書ける唯一の材料かと思うと、何だか心細い気がし

と思うと、何だか心細い気がして、「起ち上る大阪」などという大袈裟な題が空念仏みたいに思われてならなかった。

とは、空景気もいい加減にしろといいたかった。「起ち上る大阪」という自分の使った言葉も、文章を書く人間の陥り易い誇張だった

ところが、戦争が終って二日目、さきに「起ち上る大阪」を書いた同じ週刊雑誌から、終戦直後の大阪の明るい話を書いてくれ

「起ち上る大阪」を書いた同じ週刊雑誌から、終戦直後の大阪の明るい話を書いてくれと依頼された時、私は再び「花屋」

」の話や参ちゃんの話を強調して、無理矢理に大阪の前途の明るさをほのめかすというバラック建のような文章を書いてしまった

店もただ明るいというだけでは済まされぬ。むしろ悲しい大阪の姿かも知れない。私はその悲しさを見て見ぬ振りした

宝塚

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と、改めて情けなかった。豪華といってみたところで、宝塚のレヴュなぞたかだか阪急沿線のプチブル趣味の豪華さに過ぎない。同じ貧弱なら、

千日前

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通いを伯母にとがめられたことから伯母の家を飛び出し、千日前の安宿に泊って、毎日大阪劇場へレヴュを見に通っていたらしいと

「花屋」は千日前の弥生座の筋向いにある小綺麗な喫茶店だった。「花屋」の隣は「

に似て、それよりももっとはなやかで、そしてしみじみした千日前らしい店だった。

で売れたので、店の戸を閉める暇がなく、千日前で徹夜をしているたった一軒の店であった。

は、私も子供の頃買ったことがある。その頃千日前で尾上松之助の活動写真を上映しているのは、「千日堂」の向いの

横堀川に架った末広橋を渡り、黒門市場を抜けて千日前へかけつけると、まず「千日堂」で二銭の紫蘇入りの飴を買うてから

千日前の名物だった弥生座のピエルボイズも戦争がはじまる前に既に解散していて

夜は警防団員のほかに猫の子一匹通らぬ淋しい千日前だった。私は戦争のはじまる前から大阪の南の郊外に住んでいた

から大阪の南の郊外に住んでいたが、もうそんな千日前は何か遠すぎた。

その日から十日程たって、千日前へ行くと「花屋」の主人がせっせと焼跡を掘りだしていて、私の顔

と、「波屋」の参ちゃんだった。「波屋」は千日前と難波を通ずる南海通りの漫才小屋の向いにある本屋で、私は中学生の

花屋」のトタン張りの壕舎にはじめて明るい電燈がついて、千日前の一角を煌々と照らしているとか、参ちゃんはどんな困苦に遭遇して

ことも出来しめへん。――まアこの建物見とくなはれ。千日前で屋根瓦のあるバラックはうちだけだっせ。去年の八月から掛って、やっと

千日前へ来るのがたのしみになったよと、昔馴染に会うたうれしさに足も軽く

しかし翌日、再び千日前へ行くと、人々はそんな新聞の記事なぞ無視して、甘いものにむらがって

千日前へ行くたびに一度あの娘の地蔵へ詣ってやろうと思いながら、いつもうっかりと

源聖寺坂

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(例)源聖寺坂を

上町

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のは、「千日堂」の向いの常盤座であった。上町に住んでいた私は、常盤座の番組の変り目の日が来ると、

難波

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「波屋」の参ちゃんだった。「波屋」は千日前と難波を通ずる南海通りの漫才小屋の向いにある本屋で、私は中学生の頃から

ところが、一月ばかりたったある日、難波で南海電車を降りて、戎橋筋を真っ直ぐ北へ歩いて行くと、戎橋の

難波へ出るには、岸ノ里で高野線を本線に乗りかえるのだが、乗りかえが

戎橋の停留所から難波までの通りは、両側に闇商人が並び、屋号に馴染みのないバラックの飲食店

大阪府

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ある、闇市場で売っている甘い物には注意せよという大阪府の衛生課の談話がのっていた。

京極

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と三円五十銭で泊れると聴いたので、夜更けの京極や四条通をうろうろして時間を過し、十二時になってから南座の

「昼間京極で買うたんどっせ」

西横堀川

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の日が来ると、そわそわと源聖寺坂を降りて、西横堀川に架った末広橋を渡り、黒門市場を抜けて千日前へかけつけると、まず「

宮川町

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の高等学校へはいった年のある秋の夜、私ははじめて宮川町の廓で一夜を明かした。十二時過ぎから行くと三円五十銭で泊れる

道を一丁行き、左へ五六間折れると、もうそこは宮川町の路地で、赤いハンドバッグをかかえた妓がペタペタと無気力な草履の音を立て

道頓堀

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行く」というその南のことで、心斎橋筋、戎橋筋、道頓堀、千日前界隈をひっくるめていう。

京都

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紫蘇入りの飴には想出がある。京都の高等学校へはいった年のある秋の夜、私ははじめて宮川町の廓で

京都の闇市場では一杯十円であった。

浅草

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ルージュや浅草のオペラ館や大阪の千日前のピエルボイズ(これも浅草から流れて来たものだが)の方が、庶民的で取り済ましてないだけ

さに過ぎない。同じ貧弱なら、新宿のムーラン・ルージュや浅草のオペラ館や大阪の千日前のピエルボイズ(これも浅草から流れて来たもの

に寄って行く。銭湯の湯気の匂いも漂うて来る。浅草の「ハトヤ」という喫茶店に似て、それよりももっとはなやかで、そして

新宿

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沿線のプチブル趣味の豪華さに過ぎない。同じ貧弱なら、新宿のムーラン・ルージュや浅草のオペラ館や大阪の千日前のピエルボイズ(これも浅草

日本橋

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」は東京式流しがあり、電気風呂がある。その頃日本橋筋二丁目の姉の家に寄宿していた私は、毎日この銭湯

東京

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「浪花湯」という銭湯である。「浪花湯」は東京式流しがあり、電気風呂がある。その頃日本橋筋二丁目の姉の

「浪花湯」も休んでいる日が多く、電気風呂も東京下りの流しも姿を消してしまった。