踊る地平線 12 海のモザイク / 谷譲次
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月の末から二月へかけて、私達は南伊太利のナポリにいた。ホテルは海岸まえの「コンテネンタル」だった。しかも、二階の
すでに漠然と決まりかけていた私達の帰国ばなしは、このナポリで日本の船を眼近に見ることによって急天直下的に具体化した
が、帰国のことだけはナポリで決定したものの、全欧羅巴を歩きつくすためには、私たちの前
ナポリまで四六二浬。一日半の地中海だ。
のふらんす船・デラクサ号は伊太利船だ。下に、船籍港ナポリという字が運河の水に白く揺れている。
馬耳塞とナポリから大分の日本人が乗り込んで来て、船はいよいよ日本村の観を呈する。
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て、雲は紫に色どられ、椰子に囲まれたコロンボの町が私の眼前に伸び上って来た。
が、ほんとのコロンボは土人街にある。
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白熱化させて流れている。じぶらるたるへ、マルセイユへ、ころんぼへ、上海へ、やがて、神戸へ!
出港後間もなく、岬をかわしたところで、横浜からマルセイユを経て来て、これから倫敦へ行こうとしている同じNYKのH・
マルセイユ――「世界悪」の輸出港。朝は灰色、正午は暗く、夜は明るい
教団。黒服の聖モウル派。ノウトルダムの高塔。薄陽。マルセイユ出帆。
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も紙箱をぶら提げるわけにもいかないから、これは、香港で樟の木製の大型支那箱を買って、全部をこれへ叩きこむことによっ
、家庭用として特に便利である。それはいいが、香港でこれを買う時言葉が通じないで大いに弱った。確かに「くすのき」製
さいど――スエズ――古倫母――シンガポウア――香港――上海――コウブ――よっくへえま! ふうれえい!
香港――九竜に一泊。わんちゃいの支那魔窟。縁日。革命屍体の写真。
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張り出ているヴェランダを発見して狂喜した。そして、やがてリスボンの町の空と一しょに海岸全体が水平線のむこうに消えるまで、眼のまわり
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(例)倫敦
倫敦テムズ河上、ロウヤル・アルバアト波止場でである。
わかった。私たちは、沖を左から右へ、日本から倫敦へ往く途中の船を見ては、希望とあこがれに燃える故国の人々を載せ
いるであろうことを思い、その反対に右から左へ、倫敦から日本へいそぐ復航船を眺めては、私たちもやがて、日本へ帰る日の
に二、三度来ているので、旬日滞在ののち倫敦へ渡って、古本の買集めや、見物の仕残しを済ますために日を送り
て仲々ほんとにしない。それもそのはずである。たとえば倫敦のマンフィイルドで靴を買うにしても、まあ二磅も出せば相当なの
たが、ついに徒労に帰して、翌朝早く、私たち二人は倫敦の日本領事館へまかり出た。そして平身低頭、泣きを入れてやっとのことで新しい
宅を頼んで置いた鎌倉の某家へ、私宛に倫敦の下宿から厚い封書が届いている。シベリア経由だから私たちより先に疾うの
ところが、倫敦の領事館で貰って来た第二の旅券である。
この「去るに臨みて」の万感こもごもは、ぼうっと黄黒い倫敦の露ぞらとともにすぐ消えて、かわりに私は、この一年あまり欧
か、船室に閉じ籠ったきり顔を見せない人も多い。倫敦から乗込みの日本人客はたった四、五人で、他はすべて西洋人だ。
たところで、横浜からマルセイユを経て来て、これから倫敦へ行こうとしている同じNYKのH・Z丸に出会した。巨船二艘
倫敦から三五八八浬。十一日二時間五十分。
のK博士、A大学法医学部のK教授。それに、倫敦から一しょに来たT博士と、だいぶお医者が多い。そのほか鉄工所のK
倫敦を外套で出て、日本へ着いてみると初夏の六月だ。
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六月三日に神戸入港、八日横浜へはいるはずだったSS・H丸が、一日早く――NYKの船で
出港後間もなく、岬をかわしたところで、横浜からマルセイユを経て来て、これから倫敦へ行こうとしている同じNYKの
横浜まで八四七〇浬。三十六日。
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帰ってみると、外遊中の留守宅を頼んで置いた鎌倉の某家へ、私宛に倫敦の下宿から厚い封書が届いている。シベリア
煙草入れを届けてくれたし、帝国ホテルでだって、いよいよ鎌倉の自宅へ帰る段になって、勘定を済まして玄関で自動車を待っている
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スエズ運河はここからはじまる。
これから、今夜晩くまでスエズ運河がつづく。
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を抜けて巴里へ帰ったのが三月末だった。巴里は以前に二、三度来ているので、旬日滞在ののち倫敦へ
・スロヴキアへ這入り、プラアグに泊り、それから独逸を抜けて巴里へ帰ったのが三月末だった。巴里は以前に二、三度
も持ち合わせた。独逸廃帝も付け狙ってみたし、明方近い巴里のキャバレも覗いた。裏街の酒場の礼儀も覚えたし、新しい舞踏
に船へ来る無帽の女。尼さんの一行。白衣の巴里ベネデクト教団。黒服の聖モウル派。ノウトルダムの高塔。薄陽。マルセイユ出帆。
巴里でいえば古着古物屋町だ。半暗と湿気と悪臭の横町が、
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これをまた神戸のオリエンタル・ホテルに忘れて来たと言って大騒ぎをした。
投錨してしまったので、八日まで一週間近くも神戸桟橋の船内でぶらぶらしているわけにも往かないから、入港と同時に
着くこともあるという実証のために――二日に神戸へ投錨してしまったので、八日まで一週間近くも神戸桟橋の
六月三日に神戸入港、八日横浜へはいるはずだったSS・H丸が、一日早く
たるへ、マルセイユへ、ころんぼへ、上海へ、やがて、神戸へ!
それから神戸――とうとう日本へ帰りました。その証拠には、この満目のKIMONOです
神戸に二日休んだのち、間もなく私達は、上りの特急の窓から
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ホテルに二日泊ったのだが、四日の朝、東京へ来る特急のなかで、再下附の旅券がないと彼女がいい出した