踊る地平線 06 ノウトルダムの妖怪 / 谷譲次
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『はあ。マルセイユから逃げてきました。』
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事実、馬耳塞でもリスボンでもハンブルクでもリヴァプウルでも、未知の日本人――そして日本帝国外務大臣発行の
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事実、馬耳塞でもリスボンでもハンブルクでもリヴァプウルでも、未知の日本人――そして日本帝国外務大臣発行の旅券を持た
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だから、この今夜の一隊も、例によってほとんど、英米両国の旅行者だけだったと言っていい。もちろん男ばかりである。
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『しかしお前、そんなことを言って巴里へ潜り込んでどうする? 領事館へ泣きついて、移民送還ででも帰るか
『そいつも気がきかないです。何とかして巴里で一旗上げたいと思うんですが――故里にあおふくろもいますし
大入繁盛のLA・TOTOの一卓で、数十年来この巴里の「不鮮明な隅」に巣をくっている大親分、日本老人アンリ・
―の「ラ・トト」へ紛れ込んで、国籍不明の「巴里の影」の一つになりすました気で大いに無頼な自己陶酔にひたっている
ごろ、このサ・ミシェル――サン・ミシェルなんだが巴里訛はNが鼻へ抜けるためほんとうはこうしか聞えない――の「ラ
ジョウジ・タニイ――が、多分の冒険意識をもって徹宵巴里の裏町から裏まちをうろつくつもりで、ちかちかする星とタキシの――に追わ
せたのは、その場所――誰だってこの深夜の巴里サミシェルの「隠れたるラ・トト」でよもや日本語をぶつけられようとは思うまい
その、先生ばくちの貸元みたいに小柄なくせにでっぷり肥った巴里無宿のアンリ・アラキ老――これは間もなく名乗りを聞いてわかった
とその媚態と――AH! OUI! 深夜の「巴里」はいま聖ミシェルの鋪道に流れている。
そうすると、巴里の午前二時はほかの町の午後二時だ。LA・TOTOの暗い
巴里!
ちらと大腿を見せて片眼をつぶっている巴里!
皮の剥げた巴里の女がこう唄う。人を呼ぶ「巴里の声」だ。
しぶ皮の剥げた巴里の女がこう唄う。人を呼ぶ「巴里の声」だ。
で、世界中の「幻影を追う人々のむれ」が入りかわり立ち代り巴里をさして殺到してくる。
これに魅されて、一つ出かけて行って巴里と世間話でもしてくるかな――ロメオ&ジュリエット――という
誰でもの巴里。
だから「私の巴里」――もん・ぱり!
やっぱり「私の巴里」――もん・ぱり!
の昔に Paris, Bohemia になってる「私の巴里」――もん・ぱり!
手管の小妖婦が、この万人の権利する「私の巴里」であろう!
今や片足かけている細い線描の漫画――これが「巴里」だ。なぜなら、彼女の長い睫毛と濃い口紅は必ず招待的にほほえん
とヴェルレイヌの雨とを載せて、ふるく新しい小意気な悪魔「巴里」は、セエヌを軸に絶えず廻っている――ちょうどモンマルトルの赤い風車
みんながみんな「自分の巴里」を持ってるからだ。
笑っている巴里。
唄っている巴里。
ちらと太股を見せて片眼をつぶっている巴里。
、そこは私に免じて、一つ思い切って君にも巴里へ来てもらうことにする。
に困ったことが出来たというのは、どうも「巴里――日本」とこう万里を隔てているんじゃあ何かにつけて不便
言ったってもう駄目だ。はなしは早い。君の汽車はいま巴里へ滑り込もうとしている――。
長い黒煙の旅を終えて北から南から西から東から巴里へ入市したまえ。
して君は巴里の洗礼を受ける。するともう君は巴里人という一個の新奇な生物に自然化しているのだ。君
の全部をポケットの奥ふかくしまいこむだろう。こうして君は巴里の洗礼を受ける。するともう君は巴里人という一個の新奇な
か、灯火とタキシと女の眼とキャフェの椅子と、巴里的なすべてのものがうわあっと喚声を上げて完全に君を掴んでしまう
溌剌たる愉悦はほかにあり得まい。いつ来ても同じ巴里が君の眼前に色濃く展開している。だから、鞄を提げて
たふるさと」へ帰るこころもちだ。この、灯のつき初めた巴里の雑沓へ、北停車場なり聖ラザアルなりから吐き出される瞬間の処女のような
笑っている巴里。
唄っている巴里。
ちらと洋袴をまくって片眼をつぶっている巴里。
を下ろす。が、夜とともにいま生き出したばかりの巴里が、君を包囲して光ってる、笑っている、唄ってる――ちょいと
巴里の夜は人の眼を wild にする。君ばかりじゃない。土耳古
から、これが戦死者となると実に大した勢いで、巴里の街を欧洲戦争で死んだ人がふらふら散歩でもしてようもんなら
してるなんかと行人のささやきと尊敬の眼が集まる。じっさい巴里における癈兵の社会的権力と来たら凄まじいもので、地下鉄には特別の
欧洲戦争に出陣したりや否や――ついでだが、巴里ではこの、大戦に参加したかしなかったかによって個人の
奔流が前後左右から突進し、驀出し、急転し、新巴里名所「親不知子不知」――もっとも交通巡査だって根気よく捜査すると一人
外国人――ふらんす人以外の――の多くうろうろしている巴里眼抜きの大通りはたいがい網羅しつくしたようなものだが、これが簡単
だから今日、こうやって朝から晩まで巴里街上の風に吹かれるのが、いわばこれ私の運命なのだ。
感じとによってである。考えても見たまえ。巴里の町かどに直立して、さてこの目前の車道をこそうか越すまいかと
『この巴里で、影と二人きりとは確かに罪悪の部ですな。が、罪悪
『あ、そう言えば夜の巴里の甘い罪悪――あなたは、このほうはすっかり――とこのすっかりにうんと
『夜の巴里の甘い罪悪――。』
頭に、ちょいとまくった女袴の下からちらと覗いてる巴里の大腿が映画のように flash したに相違ない。
が終り、ほかの人には一日がはじまったところ――巴里に、この話に、夜が来た。
巴里浅草のレストラン千客万来の「モナコの岸」は誰でも知ってるとおり昔
。群集といったところで全十四人である。一たい巴里というところは、いつだってこの種の、アンリ親分に従えば「物欲し
、この群集こそは、これから一晩がかりで「夜の巴里の甘い罪悪」を探り歩こうという、世にも熱烈な猟奇宗徒の一団で
めえだが、それあすげえところがあるよ。何しろお前、巴里だからなあ――もう十何年もやってるんだが、いくら馬鹿金
なあジョウジ、』と親分がいったのである。『この巴里って町にゃあ物凄えとこがあるってんで、早え話が、いぎりす人やめり
「夜の巴里」の探検隊、同勢十四人。こうなると、ひとり者は世話はないが
『じっさい巴里にあ大変なところがあるそうですからなあ――それに、今夜のは
にお話ししましょう――。すでにあなた方も御存じの通り、巴里浅草のレストラン千客万来「モナコの岸」は、昔から美人女給の大軍を
一同を乗せてぶうと動き出した探検自動車が、夜の巴里を走りに走り、廻りに廻って、やがてぶうと停止したところが、
、ぶうと山下を動き出した探検自動車は、またもや夜の巴里を走りに走り、廻りに廻って、空にはちかちかする星と赤い水蒸気
―もしくは無視した気でいる――智的巴里、芸術巴里の「常夜の祭り」がこのかるちえ・らたんであろう!
した――もしくは無視した気でいる――智的巴里、芸術巴里の「常夜の祭り」がこのかるちえ・らたんであろう
戸外へ出ると、ノウトルダムのてっぺんに巴里の月が引っかかって、石畳が汗をかいていた。夜露が降りた
うえに、より有名な異形変化の彫刻が、これもおなじく巴里を見張っていることやなんか――有名だから誰でも知ってる。
でも知ってる。いわんや中殿の屋上に十二聖徒の立像が巴里を見張っていることや、その有名な塔のうえに、より有名な異形
ことも――これらはみんな、巴里のノウトルダムかノウトルダムの巴里かてんで、誰でも知ってる。いわんや中殿の屋上に十二聖徒の
出たり這入ったりしてることも――これらはみんな、巴里のノウトルダムかノウトルダムの巴里かてんで、誰でも知ってる。いわんや中殿
並居る僧正大官を驚かしたことも、そして今、そのノウトルダムは巴里第一の名所として、見物の異国者が引きも切らずに出
模様であることも、イル・デ・ラ・シテはよく巴里の眼と呼ばれ、ノウトル・ダムは屡々その瞳と形容されることも
・シテだけに過ぎなかったことも、だから今でも巴里の市章は、この市の起原を象どった船の模様であることも
も、昔シイザアが威張り散らして羅馬からここへ来たとき、巴里はこのセエヌの小舟島イル・デ・ラ・シテだけに過ぎなかったこと
、これこそは、巴里のノウトル・ダムかノウトル・ダムの巴里か、てんで誰でも知ってる。そしてそれが、船の形をして
――ノウトル・ダムの寺院だが、これこそは、巴里のノウトル・ダムかノウトル・ダムの巴里か、てんで誰でも知ってる。
セエヌの谷――「巴里」。
呪縛されたようにもうそこからは動こうとしない。巴里は魅精を有つからだ。ここに言うノウトルダムの妖怪がそれである。木乃伊
、雨の日には唾をしながら、はるか下に霞む巴里を揶揄している。
である。うそでない証拠には、私はよく夜の巴里で、この、現実にそして巧妙に人間化している妖怪どもに会った
だが、より驚くべきことは、夜になって魔性の巴里が「べつの生」を持ち出すが早いか、これらの奇像群が
これがノウトルダムの、いや、世界に名だたる巴里の、妖怪像なんだが、より驚くべきことは、夜になって
grotesques が仮りに人格化した有機物こそは、夜の巴里の忠実な市民なのだ。邪教のMECCAの狂信的な使徒達なのだ
夜が更けるにしたがって、巴里は一そう生き甲斐を感じてくる。
ことにその裏まち――ノウトルダムの化物どもは巴里の裏町を熱愛する。
と脂粉と自動車油のまざった、むっと鼻を突いて甘い巴里の体臭、各民族の追放者のような群集の吐息――そのなかに
―は、デュウマの世界が今をそのままに生きている巴里諸相の代表的なひとつだ。そこには、聖マリ・聖ユスタスの両
例えばこの、美しく不潔で、巨大に醜い大街セバストポウル――巴里人の通語では略して「セバスト」、憲兵が一般にシパルであるよう
、楽しい窮乏と色彩的な喧噪のSEBASTO街なる「おいらの巴里」を、ぶうと迂廻したわが妖怪自動車は、やがて、びいどろのXマス緑樹
、芝居が閉ねてからの芝居でありまするが、つまり巴里じゅうの有名な女優たちが、木戸を打ってから此家へ集りまして
『あいつら、巴里にゃあ凄えところがあるってんで、嬉しがって帰りやがった。』
大入繁盛のLA・TOTOの一卓で、数十年来この巴里の「不鮮明な隅」に巣をくっている日本老人アンリ・アラキと、
思うと大間違いで、君、忘れちゃ困る。君もいま巴里へ来てることになっているのだ。で、着く早々「女の見世物
昔からそんなふうに思われていて、早え話が、巴里にゃあ物凄え場処があるってんで、英吉利人やめりけんなんか、汗水流して
始めれあ儲かること疑いなしでさあ。それというのが、巴里というところはどういうものか昔からそんなふうに思われていて、早え
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『鹿児島です。』
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『おれあ下谷だ。もっとも子供の時に出たきり帰らねえんだが――しんさいは
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巴里浅草のレストラン千客万来の「モナコの岸」は誰でも知ってるとおり昔から
お話ししましょう――。すでにあなた方も御存じの通り、巴里浅草のレストラン千客万来「モナコの岸」は、昔から美人女給の大軍を擁し