石川啄木と小奴 / 野口雨情
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して御一行に扈従して函館から、札幌、小樽、旭川、帯広と順々に釧路へ行つた。その時東京からの扈従記者は新聞で
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た。その動機といふのは、大正天皇が皇太子のころ北海道へ行啓されたことがあつた。その時私は、東京有楽社のグラフイツク
県知事をしてゐた県忍氏で県氏はその当時北海道庁の事務官であつたため新聞班の係長に選定されたのである
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その後大正十年の春、私が奈良市へ講演に行つて四季亭へ泊つた時、どうした話のはずみだつた
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のグラフイツクを代表して御一行に扈従して函館から、札幌、小樽、旭川、帯広と順々に釧路へ行つた。その時東京からの扈従
今は東京にゐるが一、二年前までは小樽や札幌にゐたからそんなことはよく知つてゐるよ。』
実は私は札幌で石川を始めて知つて、それから小樽の小樽日報へ一緒に入社し
『私は野口といつて石川君とは札幌からの懇意だもの。』
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を代表して御一行に扈従して函館から、札幌、小樽、旭川、帯広と順々に釧路へ行つた。その時東京からの扈従記者
は、今は東京にゐるが一、二年前までは小樽や札幌にゐたからそんなことはよく知つてゐるよ。』
は札幌で石川を始めて知つて、それから小樽の小樽日報へ一緒に入社したのであつた。小奴は
は私は札幌で石川を始めて知つて、それから小樽の小樽日報へ一緒に入社したのであつた。小奴は
はお母さんも奥さんも子供さんまであつて、お金に困りつつ小樽にゐるといふことを遠藤決水さんから聞かせられて、私は第
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よと私にいふのである。その女中は何でも京都の生れであつたやうに思はれた。私は坂本といふ婦人はいくら
、あなたを知つてゐる坂本さんといふ女の方が京都にをりますよと私にいふのである。その女中は何でも京都
であつた。釧路と京都とはどんな事情で小奴が今京都にゐるかは知らないが、不思議な感がしてならなかつた。
なつて京都に住んでゐたのであつた。釧路と京都とはどんな事情で小奴が今京都にゐるかは知らないが、不思議な
坂本はその当時京都のある呉服屋の支配人の妻君になつて京都に住んでゐたのであつた。釧路と京都とはどんな事情で小奴
その女中の話しによると、小奴の坂本はその当時京都のある呉服屋の支配人の妻君になつて京都に住んでゐたのであつ
今から七八年前のことであるから、今も小奴は京都にゐるかも知れない。
みたいやうな気もするが単に京都とばかりでは、京都の何処にゐるのやら知るよしもなくそのままになつてしまつた。
石川の話もしてみたいやうな気もするが単に京都とばかりでは、京都の何処にゐるのやら知るよしもなくそのままに
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小樽、旭川、帯広と順々に釧路へ行つた。その時東京からの扈従記者は新聞では国民新聞の坂本氏、通信社では電報通信
へ行啓されたことがあつた。その時私は、東京有楽社のグラフイツクを代表して御一行に扈従して函館から、札幌、
『あら、あなたは東京のお方でせう、それにどうして石川さんを知つてらつ
『私は、今は東京にゐるが一、二年前までは小樽や札幌にゐたからそんなこと
『いまは東京にゐるが、君はそれを知らないのか。』
行つてゐるといふことはうすうす聞いてゐましたが、東京の何処にゐらつしやるのかその後音信がないので存じません。』と
『ええ、東京へ行つてゐるといふことはうすうす聞いてゐましたが、東京の何処
『私が東京へ帰つたら、石川に早速話して石川を慕つてゐる君の心をよく
その後東京へ帰つてから、東京朝日新聞社に石川を尋ねて小奴の話を伝へると、石川はきまり悪さうに笑ひ
その後東京へ帰つてから、東京朝日新聞社に石川を尋ねて小奴の話を伝へると、
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まぎらして何とも答へなかつた。同じその晩石川と銀座のそばやで一杯やりながら再び小奴のことを話しだすと石川も感慨無量の