狂乱 / 近松秋江

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地名一覧

伊賀

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おくと、彼はその財産を全部失くしてしまい、自分は伊賀の上野在の農家に養子に行って、なお存命である。ほかに兄弟とて

「へえ?……そんな親類があるのですか。伊賀の上野にはあると、あなた方から私もかねて聞いていたが」と

加茂

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まだここから行くよりも、ここから三つめの停車場の加茂から入って行った方がいいが、それでも五、六里の道で

名古屋

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に、わざわざそちらの方へ出かけていった。木津で、名古屋行きに汽車を乗り換えると、車内は何となく年末らしい気分のする旅行者が多勢

神護寺

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していた。私は、高い石磴を登って清洒な神護寺の境内に上って行き、そこの掛け茶屋に入って食事をしたりしてしばらく

追分

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のいった毘沙門前の停留場というのは、大津街道の追分からすこし行くとすぐなので、そこで電車を降りて、踏切番をし

愛宕

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翔るように高い峰と峰との峡を舞い上がってゆく。愛宕の山蔭に短い秋の日は次第にかげって、そこらの茶見世から茶

下河原

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にするし、そうかといって、女のいうままに下河原の旅館の方にいって要領を得た話を訊こうとしても、そこ

三条

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」と、小頸を傾けるようにして、「何でも三条とか、油の小路とか聴いたように思うけど、委しいことは、よう

大阪

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ちょっとも音信がないそうにおす。わたしもそれから用事で大阪の方に往てきまして、今日帰ったばかりのとこどすよって。今日も

仁和寺

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真紅に燃えているのなどが目についた。それから仁和寺の前を通って、古い若狭街道に沿うてさきざきに断続する村里を通り過ぎて

京都

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得なかったのでも、それがわかっているし、今度京都に来て、先日から、祇園町の茶屋で久しぶりに逢った時にも

去年の一月からちょうど一年と半歳ぶりだ。始終この京都の土地に居付いているわけじゃないから委しいことは知らぬが、あんたが

しくって、とても長くは辛抱していられないので、京都の女のいる二階座敷の八畳の間が、広い世界にそこくらい

はほかのことで気を晴らしたく、そのころちょうど東都から京都に来ていた知人のところを訪ねたりしてその日は一日消した

かして私が自分で適当な家を一軒借りて京都に住みたいから、そしたら、おかあはんに、そこへ来てもらい

つまらない日を過しているうちに高い山に囲まれた京都の周囲には冬の襲うてくるのも早かった。旅館の二階の

は冷たい冬雨の降りそぼつ中をも厭わず、また田舎から京都に出て来た。そして今度は先にいた旅館には行かず、

出て来て宿に着いたその晩も、そうして京都に出て来てみると、しばらく滞留していた田舎のことなどが

越したりしたが無論何とも言って来なかった。京都に出てくると、その晩すぐ手紙を出して、今度はこういうところ

から二た月前の九月の末、紀州の旅から京都に帰って来て、久しぶりに会ったばかりの、多年東京で懇親にし

」それなら何という残念なことをしたろう。田舎から京都に戻ったあの翌日高雄へ紅葉を見に行かずに、ここへ来たら

ということをはじめて聞いて、居処が知れないためにほとんど京都中を探して歩いていたことを怨みまじりに話して、

「ほて、今、京都におらしまへんのどす」

か。そういう時には君が自分で金を持って京都に来て、さあ、金はここに用意してある。廃めて自分の

今からざっと三十年も前に父親が一家を挙げて京都に移って来る時分に、所有していた山林田畑をその義弟の保管

。そして、自分ながら阿呆な訊ねようだと思ったが、もし京都からかくかくの風体の者で病気の静養に来ている者がこの辺の

、私はそこから大津街道の往来の方に出て、京都から携えてきた寿司の折詰と水菓子の籠とを持ち扱いながら、雲を

大津

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こちらが訊くので、山科は字小山というところで、大津ゆき電車の毘沙門前という停留場で降りて、五、六町いった百姓家

た。小村のいった毘沙門前の停留場というのは、大津街道の追分からすこし行くとすぐなので、そこで電車を降りて、

の祇園のいづ宇の寿司などをわざわざ買いととのえて三条から大津行きの電車に乗った。小村のいった毘沙門前の停留場というのは

しかたがないから、私はそこから大津街道の往来の方に出て、京都から携えてきた寿司の折詰と

東京

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京都に帰って来て、久しぶりに会ったばかりの、多年東京で懇親にしていた知人がつい二十日ばかり前、自分も田舎に

に胸が透くであろう。そして決然としてすぐにも東京へ帰って行って、多年女ゆえに怠っている自分の天職に全心を

の水を汲みに出てきたので、そのおかみは東京者で、一度も口をきいたことはなかったが、夏の初め以来

たのは、これが初めてじゃない。随分女の苦労は東京にいてたびたびして来ているんだ。しかし今度のような御念

きっぱり、そういうと、その男はまたうなずいて、妙な東京弁を交えながら、

思ったか、世話をする人が家内にするといって東京へ連れて行ったなどといろんなことをいっていた。たしかに南山城に

の親類が引き取ったとか、またこういえば、私が東京へ帰って行くとでも思ったか、世話をする人が家内にする

上野

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、彼はその財産を全部失くしてしまい、自分は伊賀の上野在の農家に養子に行って、なお存命である。ほかに兄弟とてなかっ

「へえ?……そんな親類があるのですか。伊賀の上野にはあると、あなた方から私もかねて聞いていたが」と、