湖光島影 琵琶湖めぐり / 近松秋江

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地名一覧

三上山

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上から湖東の方を顧ると、此の春遊びにいつた三上山が平濶な野洲郡の碧落と緑樹と點綴せる上にくつきりと薄

逢坂山

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から再び沖に出ると比叡の山影はいよ/\淡く、逢坂山からずつと左に湖南の方に連なつてゐる山脈とともに段々と遠く水

越前

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て來た。伊吹山、金糞ヶ岳、それから若狹、越前の國境に繞らしてゐる蜒蜿とした連山も段々明かに認められて來

想像せられた。琵琶湖もそこまで來ると、若狹、越前の國境に連なつてゐる山脈の餘脈が直ちに湖岸に迫つてゐて、

六甲山

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土砂を押流したところに出來てゐる。山は攝津の六甲山などと、同じやうに花崗岩質の山と思はれて、船の上からも白い砂

竹生島

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して居られるのであるが、老僧こそ風光明媚なるこの竹生島觀世音の化身ではあるまいかと思はれて、顏容といひ音聲と

今津

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饗庭野の陸軍演習地のあるので賑はうてゐる今津の町は、水の上からも、陸軍の白いバラック屋根が多くあるので

比叡

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燈火とは遂に私をして、ある五月雨ばれの朝早く比叡山の上から二十五町の急阪を降つてゆかしめた。發着の時間が

。發着の時間がよく分つてゐなかつたので、比叡の辻の太湖汽船の乘降場までゆくと、八時半にそこに寄航する

道を無駄足して下坂本の濱から俥に乘つた。比叡の峰つゞきの裾山が比良岳の方に向つて走つてゐる山麓の村里

地である南濱に寄つて、そこから再び沖に出ると比叡の山影はいよ/\淡く、逢坂山からずつと左に湖南の方に連なつ

比叡山

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(例)比叡山

延暦寺

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知られてゐる名勝區である。叡山東麓の坂本からこの延暦寺の根本中堂のあるところまで急阪二十五町の登路。坂本から堅田までは汀づた

堅田

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知れない。そこは八景の一つに數へられてゐる堅田の町であつた。堅田の町、秋ならば雁の降りる處。また浮

一つに數へられてゐる堅田の町であつた。堅田の町、秋ならば雁の降りる處。また浮御堂の立つてゐるので

根本中堂のあるところまで急阪二十五町の登路。坂本から堅田までは汀づたひに二里弱離れてゐるから、私の凭つてゐる窓

も一里位のもので、それが野洲河口の長沙と堅田の岬端とで狹められてゐる邊は約半里くらゐのものかも知れぬ

僧房の色彩の乏しい生活と、寂しい心を誘惑するやうな堅田の人家の群りと燈火とは遂に私をして、ある五月雨ばれの朝

ばかり前に出たあとで、その船は煙を吐きながら堅田の沖を今滑つてゆくのが見える。私はぐるりと湖水を一と

船は急行で、坂本港へは寄航しないので、堅田まで俥でいつて、其處から乘ることにした。なるべくならば少しの行程

といふ小川の土手を上つて橋を向ふに渡ると、堅田の人家は右手の湖の方に突出でた田甫の彼方に見えた。大津

船が堅田を出て初めての寄航地である南濱に寄つて、そこから再び沖に出る

の棧橋に上陸したのは午後三時であつた。堅田からそれまで四時間の間飽くことを知らぬ美しい山水を眺めつゞけにして

近江八景

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それだけの間が恰も琵琶の轉軫の部分である。所謂近江八景は「比良の暮雪」のほかは、多く湖南に屬する地點を撰んで名

伊吹山

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であらう。それより山勢大いなる波濤の如く南に走つて伊吹山に到つて強く支へられてゐる。伊吹山は北背に其等の山脈の

に走つて伊吹山に到つて強く支へられてゐる。伊吹山は北背に其等の山脈の餘波を堰き止めようとして山容やゝ崩れて

といふ一種の悲壯な感じを表はしてゐる。伊吹山の南の方は暫く山脈が斷絶し、更に關ヶ原低地のある南方に

古の不破の關を固めてゐた靈仙山である。伊吹山や靈仙山や其等の山々が皆昔時の東山道の通路を阨してゐ

私は右舷の欄干に凭れて伊吹山の頂にかゝる雲と、その傷ましい薙の跡とをやゝ暫らく見つめてゐ

青い水の上に浮んでゐるのが見えて來た。伊吹山、金糞ヶ岳、それから若狹、越前の國境に繞らしてゐる蜒蜿と

居城とした小谷山なども指ざされた。そして伊吹山は恰も其等の盟主であるかの如く、頂點のところに白い横雲が

上つて東の方を見ると、沖は灰色に掻曇つて伊吹山も、たゞ山の輪畫ばかりが幽かに見えてゐる。明日は雨らしい空

をすこしづゝ露はしてきた。金糞ヶ岳、伊吹山も深い雲霧の後方にまだ夢みてゐるやうな淡い影だけ見せてゐる。老僧

安曇川

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ふて近江國の西北端になつてゐる高島郡の平野が安曇川を挾んで濶けてゐる。近江聖人の邸址で知られた青柳村の

にしてから船はやゝ山の眺望から遠ざかつて安曇川の河口に擴がつてゐる平洲を左舷に見て進んでゆくが、それで

長命寺

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殊に東岸には奧の島があつて、そこには古い長命寺の寺があるので、かねてよりその寺に行つてみたいと思つてゐ

都久夫須麻神社

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に通されて暫らく休息した上で、觀音堂や都久夫須麻神社などを一順參拜した。いづれも太閤の桃山御殿の一部を移したもの

叡山

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と詠んでゐる。叡山横川の惠心僧都の創建で海門山滿月寺といつてゐるのは、ふさはしい

多少荒れるばかりぢやない。坂本から二十五町の杉林の下を叡山まで登つてゆくのが難儀である。昨夜は眠られぬまゝにそんなこと

小谷山

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認められて來た。賤ヶ岳、淺井長政の居城とした小谷山なども指ざされた。そして伊吹山は恰も其等の盟主であるかの

姉川

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ないのでまた起きて出て見る。その間に船は姉川の河口を※つて南濱といふところに寄つて、そこからは乘客がどやどや

衣川

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上にくつきりと薄墨色に染まつて見えてゐる。衣川といふ昔は一萬石の城下で、北國街道の宿であつた村を

京都

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て瞬きはじめる。その賑やかな人家の群りが先頃から、京都の繁華を離れて此の無人聲の山の上の僧房生活をして

て氣にかゝりながら久しく果たすことが出來なかつた。先頃京都にゐる間にも三條大橋の京津電車の終點からゆけばわけないの

經を使つたと思はれて、さうなくてさへ先達つて京都にゐて二度ばかり劇しい腦貧血を惱んだ後なので、竹生島

大津

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いひ、その名の如く琵琶に似て、瀬田、膳所、大津などの湖尻から三里ばかり北に入つてゆく間は東西の幅も一

と大津にゐて詠んでゐる句を見ると、二百年前にはそれが實景

の湖の方に突出でた田甫の彼方に見えた。大津を十時に發する船は十一時に堅田を發することになつてゐる。

が通じてゐるので、從つて船の便は少く、大津と竹生島との間は東※りは一日の往復一※づゝしかない

午前十時三十分には西まはりをして大津の方に歸つてゆく船があるので、その時はいつそ昨日