死までを語る / 直木三十五

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地名一覧

若松町

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あるが、家賃も払えなくなって、間借りした時、若松町の湯屋へよく行った。

本郷

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があった。これが、最初の上京で、宿は、本郷の元の久米正雄の家へ行く、右側の第二何とか館という

この上京した夜、勝手の知った本郷へ、一人で出てきた所が、今の燕楽軒の前で、書生

大阪府

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、憤慨したものである。市岡中学が、野球で、大阪府下を圧したのも、その時分から。柔剣道にかけては、絶対に

淡路町

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首へ巻きつけ、肩へのせて、天王寺や、玉造や、淡路町――時として、住吉の近くの勝間辺まで、往復するのは、

河内

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あった。当時の谷町筋は、鎌倉時代から、紀州、河内へ行く、唯一の道で、今の天満橋、昔の渡辺橋から、一直線に

神崎町

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十二軒町と云って、役人の邸跡であるが、そのつづきの神崎町の腕白共を対手に、竹竿をもち出して、大喧嘩をしたのも、その

芦屋

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、徳子さんから聞いていた武庫川の堤近く――芦屋の、徳子さんの家へ尋ねて行った。今の芦屋とはちがうから、

芦屋の、徳子さんの家へ尋ねて行った。今の芦屋とはちがうから、何処の家にも、猛犬がいた。これが、がんがん

停留所があったが、これが何んと、昼間降りた芦屋の停留所である。

日本橋東

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だけは、よく買ってくれた。その時分、道頓堀筋、日本橋東へ入る南側に、絵本屋があったが、そこへ行って、絵本を買う

横浜

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、低くなり、咳も少くなった。六月頃まで、横浜、東京間で、二十回位、痰の出たのが、この頃は、二三

薩摩

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ようにいろいろの名がなかった。縮緬、七子、市楽、薩摩、御召、大島、結城位の区別で、その上に、何々御召と

東本願寺

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それから、何代か後になって、東本願寺の家老となった。下り藤の紋のついた鉄砲が、それを物語っている。

五条

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五条の町から、山へ入ること三里半、銀峯山の中腹に建っている

大阪

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の父惣八は、とうとう天保銭を三枚もったきりで、大阪へ出奔してしまった。それから、大丸屋呉服店へ奉公して、番頭に

崖になっている高見であるが、この下に、今大阪の落語界で、大立者と称されている九里丸が住んでいた。

から、丁度、私の家の辺まで、七八町――大阪で有名な夜店である。

これは、大阪が、一番よく発達していたのではないかと思っているが、

、えろなられへん。わいら、天保銭三枚もって、大阪へきて、こないなったんや」

例の「照葉」に指を切らした放蕩息子を生んだ大阪屈指のべっ甲問屋へ奉公へ出ていていないし、それで、私が

それは、この当時まで、大阪には、堂島高等女学校より外に、女学校が無かったが、京都に、清水谷

築港、松島間に一線あるきり――私の家は、大阪の東の端近く、学校は市内を離れて、西の方までが、田圃

病弱らしい、出し入れのかかりの人が、三年余り前、大阪へ行った時、一寸行ってみたら、未だ在勤で、挨拶をされて

は、何が、何んだかわからないし、根が大阪の坊ちゃんが多いのだから、一時に逃げてしまって、喧嘩の対手が

になっても、古着を背負って、電車の無い頃の大阪の隅から、郊外の遠くへまでも歩かなくてはならぬ父にとって

丁度、それで汽車に間に合って、大阪着が八時、月曜の朝早く家を出ると、学校の授業に一時間

相当真面目に勤めていた。そして、早大へ入る為、大阪へ帰ってきたが、ここに又、一つ、恋愛事件が起った。

夜になった。十一月の末だ。大阪までの終電車は、とっくに出てしまって、東明までしか行かぬという。

、という事になって、私は、使命を果し、大阪へ戻った。この上京中に、徳子さんへ、手紙を出したので、

と、叫ぶと、職人が、諸肌脱いだので、大阪の喧嘩しか知らぬ私は

大阪では、子供時分から、よく喧嘩をするし、東横堀の木材の蔭に

この上京から、大阪へ戻ると、いつの間にか、徳子一件を、雪ちゃんが知って

「はあ、もう、大阪へ帰れへんつもり」

に答えたが、この女は私を獲ようとして、大阪から出てきたのである。しかし、何事もなかった。翌日

と、云って、須磨子は、大阪へ帰ってしまった。私は汚された身を、袴でつつんで、おもしろく

とも、感じた。暑中休暇がすぐに来た。大阪へ帰ると

二十一の男を、大阪から、いい齢をして、追っかけて行ったのだから、兄玄竜の怒る

よく考えてみると、この話に出てくる父が、大阪で健在である。しかし、もういつ引取らなくてはならぬかも知れぬから

大阪という土地は、故郷という気のしない所であるし、小中大学

してもらいたい。就職口は、そう急にないし、大阪へ帰ってはいけないから、是非たのむ」

須磨

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と、須磨へ云った途端、玄竜が

私が降りると共に、須磨も降りた。出ようとするとばらばら――雨だ。ちゃんと、ことごとく、大衆文学

上町

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はないかと思っているが、私達の住んでいた上町――坂の上の方にある町、高い所の方の町の意、

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その隣りが、堺の名産、大寺餅の、名だけを使用している安餅屋であった。

中之島

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、成績はよくなかったが、その代りに、初めて出来た中之島の、大阪市立図書館へ

、一時に、三冊貸してくれる。学校から戻ると、中之島まで――これが又、相当の道のりで、恐らく、今の、バス、電車

大阪市

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生れた所は、大阪市南区内安堂寺町二丁目であるが、今、そこは、電車路になっている

旭川

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んと私は、岡山へ行って、試験の日、半日、旭川で、ボートを漕いでいたのである。

湯河原

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と、久米正雄君に云った。湯河原の温泉に於てである。

天王寺

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で、今の天満橋、昔の渡辺橋から、一直線に、天王寺の前へ出て、丁度、右手に海を見晴らし、左手に小高く森のつづい

、坪井仙太郎と云った。市内には、北野と、天王寺と、市岡の三つである。新らしいし、遠いから、競争者も少いだろう

日比谷公園

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た。ある日、求人欄を見ていると、当時、日比谷公園の、今の――美松の前辺に、いんちき横町、山かん横町と

鹿児島

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私の宗一という名は、鹿児島の、貴島清(西南役の雄将)の息子さんで、名は忘れ

京都

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は、堂島高等女学校より外に、女学校が無かったが、京都に、清水谷高等女学校ができた。この女学生が、学校の前を通る

岡山

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「高等学校は岡山がええ、わしも、もうこの齢やさかい、お前の高等学校を出るのを

「岡山へ行って法科を受ける」

だから、恩給恩給、と云うが、何んと私は、岡山へ行って、試験の日、半日、旭川で、ボートを漕いでいた

「私立はあかん、岡山が、いかなんだら、来年もう一遍受けてみ」

熊本

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熊本連隊十三隊

神戸

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大事にならぬ内にと、神戸の家へ返さしてしまったのである。

「神戸の家にいなけりゃ多分、友人の宅にいるでしょう」

それから、神戸の家へ行くと

金沢

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それで、七年の夏から、金沢に、四十七坪の、ほんの小さい家――書斎、次の間、茶の間、子供、

住吉

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いつでも聞かせたのに――この鹿やんが、住吉神社へ詣って、土で彩色を施した馬を買ってきてくれた

、天王寺や、玉造や、淡路町――時として、住吉の近くの勝間辺まで、往復するのは、可成りつらかった。

東京

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これを裏書するもう一つの事実は、東京の新粉細工、大阪団子細工、あれの細工しないで、板へ並べた

た。事件の解決を見ないで、私は辞して、東京へ出たが、山の中の平和な――もし、私が、文筆

父が、東京へ行くなら、これを着ろと、古着で買ってきてくれた釣鐘マント

(これは危険だ、東京で喧嘩するもんではない)

この戸叶方へ、須磨子が来て、当分、東京に居るつもりとか、少しはお金がある、とか(これは、二十

「東京へ早く行って、勉強したい」

女を連れたような、連れられたような形で、東京へ来た。私は、当時一ヶ月の学資として、二十五円もらっ

と、すぐ、東京行を許してくれた。私は、女を連れたような、連れられ

東京へ出る日には、アトファンを、寝る前に飲んで、朝痛みの少い

なり、咳も少くなった。六月頃まで、横浜、東京間で、二十回位、痰の出たのが、この頃は、二三回

「東京と同じだよ」

日本橋

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だけは、よく買ってくれた。その時分、道頓堀筋、日本橋東へ入る南側に、絵本屋があったが、そこへ行って、絵本

神田

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たが、今思うと後の七段神田辰之助氏らしい。神田という名も、辰やんという名も、記憶の中にある。その

事を聞いていたが、今思うと後の七段神田辰之助氏らしい。神田という名も、辰やんという名も、記憶の

その隣りが、前にかいた貸本屋である。神田伯竜口演の「太閤記」七冊つづきを、一日の間に読んで

駒込

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の会員である洋画家藤堂杢三郎が、早くから上京して、駒込蓬莱町の下宿にいた。郁文館中学の左隣りで、これも、第

田端

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「田端にいよる」

私は、田端の、小杉未醒氏の所の近く、泥川沿いの戸叶という家の離れ

大久保

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電車通り、大久保の方へ曲ろうとする所の右側の銭湯である。一日、人の居

護国寺

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、私の情婦を、巣鴨へ訪ねて行って、帰り途、護国寺の前へくると、自警団につかまってしまった。

巣鴨

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だけならいいが、大震災の時に、私の情婦を、巣鴨へ訪ねて行って、帰り途、護国寺の前へくると、自警団につかまって

上野

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幹事であったが――それから、三ヶ月、毎日、上野の図書館へ通った。今何うか知らぬが、いつも満員つづきで、待たさ

小川町

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なって、少しずつ進みかけたが、半分を終った頃、小川町の国民文庫刊行会という名著を大部な予約で出版する家から、「