巌流島 / 直木三十五

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地名一覧

筑前

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石田方である。浮田家の滅亡と共に新免氏は筑前の黒田家に従う事となったので西へ下る、その旅の中に

書を長岡佐渡に認めて使いを出し礼を述べて、筑前へ去った。

九州

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て師範役とした、留まること半歳、早くも中国、九州に名を響かせて鬼と呼ばれた。

越前

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の一派を樹てて無双の名人とされて居た。越前の国宇阪の荘、一乗浄教村の住人である。

革をまいただけの得物であった。佐々木小次郎は同国越前の産、幼少の頃から勢源に就いて学んだが、好んで大太刀を使っ

熊本

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後年熊本に於いて当時の試合の話が出て、さる人が、

正保二乙酉年五月十九日、熊本で死んだ。養子宮本伊織の建てた碑が未だに小倉市外に立っ

向島

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里の海上にある小倉領の小島である。船島とも向島とも云うが今「岩流島」と呼ばれている。「二天記」

禁止セリ。興長主武蔵ニ謂テ曰ク、明朝辰ノ上刻向島ニ於テ、岩流小次郎ト仕合致スベキ由ヲ諭ス。小次郎ハ忠興公

といくらでもある。多分下の関へ行ってそこから向島へ渡るつもりだろうと考えたが、とにかく在所を探してと二三の家来を

儀ハ幾重ニモ御断申候、明朝ハ爰元船ニテ向島ヘ渡候事、少シモ支無御座候、能時分参可申候間

明朝仕合ノ儀ニ付キ私、其許様御舟ニテ向島ニ可被遣之由被仰聞、重畳御心遣ノ段忝奉存候

少し前に、美々しく飾られた小舟で検使役人と共に向島で待っていた。渚から七八間離れた所に仕合の場をしつらえ