南国太平記 / 直木三十五
地名一覧
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「霧島、韓国、栗野――」
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腹は、すく。勝負も、すでに見えました。私ゃ、本郷へ行くわいな――駕っ」
「片脚ゃ、本郷へ行くわいな、と申すのは、そのことじゃて、あはははは」
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小太郎は、日吉神社から、爪立ち登りになってきた道を、千鳥形に、縫って上りながら
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って、阿呆じゃ。それから、小太郎に逢うてのう――河内と、大和の国境に、生駒山という山がある。ええか、生駒山、生け
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九州の名族として、七百年来、薩南の地に、蟠居し、関ヶ原
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へ行ってくれんか、墓詣りにの。すぐ立てば、白川へは、夜に入らぬ内につくであろう。気晴らしに、行って来るが
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もねえ。京を早立ちして、その夜の内に、鈴鹿を越えら。すると、亀山にゃあ、ちゃんと、仲間がいる。急用だっ、それ
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山一とは、山田一郎右衛門のことであった。高野山に納めてあった島津家久の木像を、高野山の僧侶が床下へ隠して、
あった。高野山に納めてあった島津家久の木像を、高野山の僧侶が床下へ隠して、紛失したと称した事件があった。島津
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開成所掛大目付 町田民部(後の久成、元老院議官)
開成所訓導 鮫島誠蔵(後の尚信、フランス公使)
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、熊笹の繁茂している、細い径――そこは、比叡山の山巡りをする修験者か、時々に、僧侶が通るほか、殆んど人通りの無い
「比叡山」
へたのんでおいたら、さっき知らせて来たんだ。比叡山って山の上へ、牧って悪い奴を追っつめて、伏兵にかかったん
「比叡山の、何の辺?」
は、半分逆上しながら、父と共に登って行った比叡山の、小篠の細径を、想い出した。
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たし、いろいろの朝らしい物音が聞えかけてきた。神奈川へ入る手前では、早立ちの旅人が、空を仰ぎながら、二三人急いで
断れ断れの雲間から、薄日がさし出した。三人は、神奈川の茶店で、朝食を食べて、着物を乾すことにした。鰊、蒟蒻
「では、明後日早朝として、某は神奈川でお待ち申そう」
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箱根の関所は、冬も、夏も、暮六つに、門を閉じる慣わしで
なら、明日か、明後日は、八郎太に追っつけるのに――箱根で遅れ、ここで遅れ、天も、神も、仏も、何処までも、
(箱根の山の中で、いつか、肩へ、手をかけた時――)
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「はい、宇田川町の、こちらの家に」
「籠屋、女を乗せて、宇田川町へ戻ってくれ」
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小太郎に逢うてのう――河内と、大和の国境に、生駒山という山がある。ええか、生駒山、生ける駒、馬と書く」
大和の国境に、生駒山という山がある。ええか、生駒山、生ける駒、馬と書く」
での修法を断った上は、近畿の山では、生駒山の外に、同じ山相の山がない。鞍馬、愛宕でも、修法をするで
遠くから望んだ生駒山は、広々とした草原の傾斜を、展開させていた。
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何が故に、島津家の横目付が出かけた。三田四国町の岡田小藤次ならば、お由羅の方の兄であろう。主君の愛妾
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。野暮な邸の大小捨ててさ――中でも、薩摩の芋侍は野暮のかたまりで、こいつにかかっちゃ、流石の師匠も?
地の方へつけて、十分の距離を開けた。薩摩独自の剣法、瀬戸口備前守が発明したと伝えられる示現流(一名
(薩摩っぽうって、恐ろしい、つき合いの悪い奴ばかり揃ってやがる――手前に聞かねえで
「商魂士才で、如才が無い、薩摩の殿様お金が無い、か」
「薩摩の方で、今日の喧嘩のつづきでさあ。後から後詰の方が、追々
ながら歩いて来た無頼の一隊が、角を曲ると、薩摩の侍が、四角い白地の旗に丸に十の印をつけて、整然と
で、使は、誰でも歩いた。道中人夫は、薩摩と聞くと対手にしないで、士分の人が、荷物を担いだ。邸
もなる仕事がもらえたけど、当節は、ただ召上げや。薩摩なんて国は、借りた金を、何んと、二百五十年賦――踏み倒すよう
「そや、薩摩や、あいつが、大体いかんね」
そうだ。そして、その魁を為すものは、水戸か、薩摩か? この方々は、水戸の人じゃが、斉彬公を擁立して、
庭の松の木越しに、品川の海が見えていた。薩摩の旗印を立てた船が、幾艘も、もやっているのを、主客
おられるではないか? 調所は、一生かかって、薩摩のために、三百万両を積立てた。常人にできぬ腕だ。だが、
の参りました時、憶えもござりましょうが、三田は、薩摩の御邸で、夜を徹しての、能狂言、謡の声も、晴れ晴れ
に、騒ぎを起して、公方様から兵を出させ、薩摩と、長州と、水戸とが連合して、東西から、江戸を衝く、と
「薩摩では、誰々が、来ているな」
ても、殿様育ちにすぎん。吾々の目指すのは、薩摩の金だ。薩摩軽輩の奮起だ。益満の書状によると、姉小路卿が
にすぎん。吾々の目指すのは、薩摩の金だ。薩摩軽輩の奮起だ。益満の書状によると、姉小路卿が、いつでも立つ
の明を以てしても、お判りにはなるまい。薩摩も亦、斉彬公の御代になって、何う変るか? 小太郎、早く牧
。天下は、吾々のものになるぞ。必ずなるぞ。薩摩は今や、天下を二分してその一を保つだけの実力と、勢望
もし、この企てが、近藤崩れのようになったなら、薩摩は、天下が取れんようになる」
、い、一体、何うなるんだい。お前方あ、薩摩のお屋敷へ入っていいだろうが、妾ゃ、一体、何う、なるんだ
、幕府のため、阿部のために、自分の利害を、薩摩の利害を、越えて、見識を、手腕をかしてくれた人は、斉彬
して、幕府のとがめを受けるなど、愚の頂上だ。薩摩には、天嶮がある。誰が、入れるものか」
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「烏帽子岳か――黒園山あたりで、ござりましょう」
するためには、家老も、目付もついていた。烏帽子岳から、牧の足跡を追って城下へ入り、高木市助をつれて、大箆
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、同じ心で、磯浜を、桜島を眺めていた。桜島は、真直ぐに、煙を立てていた。
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「甲州。われの番だに、何を、ぞめぞめこいてやがる」
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本、提灯を一つ――芝中門前町を出て、増上寺の塀の闇の中を、御成門の方へ、歩いて行った。
益満が、戸を叩いた途端、増上寺の鐘が鳴り出した。
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は、誰にも、顔向けが出来ないように思えた。叡山で、斬られたというのは、八郎太であるか、ないか――そう
と、思うと、叡山の夜が、月丸の深い巧計から出たようにも思えた。然し
と、しか、思えなかった。叡山で、小太郎の部屋へ忍びに行ったことも、綱手には、月丸の
(叡山の上で、右へ、右へと叫んでいた声は、父でなかっ
たが、小太郎には加勢だと思えた。自分が、叡山での斬込みの腕を知っている以上、一人で来た、と云っても
丸は、月の明りの中に、黒々と聳えている叡山を見て
月丸は、悲しい、呪わしい叡山の記憶の中に、黒く、口惜しさの現れてきたことに、腹が
のために、一つは、己の面目のために、叡山へ登ってみたくなってきた。
少しを、知ってはいた。仙波八郎太のために、叡山の上の、修法場を荒された牧仲太郎は、いつか又、叡山で
、無いようにも思えた。だが、こうして、叡山のことを、考えていると、何かしら、自分が、叡山へ行ったなら
のことを、考えていると、何かしら、自分が、叡山へ行ったなら、不思議な事が、起るような気もした。そして、
が、大阪へ行った以上、父のために汚された叡山へ行くのは、必定だ。ただ、すでに行ったその戻りに寄ったのか
明後日には、京へ入れようが、その足で、とにかく、叡山へ参ろう」
の中で、腕組をして、凭れ込んで、じっと、叡山を、眺めていた。
益満は、叡山から、眼を放した。そして、そのまま、じっと、眼を閉じて、考え込ん
「いかがでしょう、一寸、叡山参詣は? 四明から見下ろすと、京の町中は一望の下に」
そう思うと、叡山の上に、何か、大変なことが起っているような気がした
を思い出し――それから、深雪が、自分の口から、叡山へ行きたい、と、云い出したの、と、三つを考え合せると、はっきり
小太郎は、夏の、陽盛りの空に聳えている叡山を見て
「この奥の叡山で、その百城――様かな――御子息が、町人に手傷を
「叡山の――わしを救ってくれた、あの僧侶の所の――父の墓
小太郎は、叡山の上、伝教大師の廟の石垣へ、自分を追いつめて、のしかかって来た
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あ、何んだな、俺の睨んだところでは、関東の隠密だな」
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箱根路へかかると、流石に高くなって、小田原から、箱根町へが四里という計数で、七百文であった。
「それは、御愁傷様、拙者には又、箱根町に馴染があっての――」
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てか、外交でか、交易をしようとしている。香港の阿片戦争の結末を聞いて居ろう。戦えば、あれじゃ。戦わねば―
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たが、今は、居らんらしい。何んでも、伊吹山、とか申す山へ行ったと聞いたが――」
「伊吹山なら、あれだ」
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た。街道には一人の通行人も無かったし、これから川崎までは、殆んど人家の無い道であった。川崎は、未だ深い眠りの中
これから川崎までは、殆んど人家の無い道であった。川崎は、未だ深い眠りの中にいるうちに通った。そして、鶴見へ入る手前
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「この間、高崎の死体を掘り出す時に、人夫へ手伝ったということを聞いたが、真実
「わしは、高崎の夢をみたが――」
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「献上? 献上とは、京都御所への言葉だ。未だ判らぬか、此奴。何んでもよい、見舞を
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「牧は、江戸へ上ったのう」
「ただ、江戸へ参られました、と、それだけより存じません」
お由羅の生家、江戸の三田、四国町、大工藤左衛門の家の表の仕事場であった。広い板畳
「江戸は物騒だから、気をつけな」
「江戸は物騒だ。気をつけい」
を大阪の邸にあずけておるが、国許は知らず、江戸の重役、その他、重な人々は、恐らく、斉彬公を喜んではおります
何んと――京で辻君、大阪で惣嫁、江戸で夜鷹と、夕化粧――かの。それから?」
「えへん――江戸で、夜!」
「お前は、江戸へ残って――」
「ええ? 江戸へ残って――お父様、残って? 一人で残るのでございましょうか」
「とにかく、江戸は、斉興公贔屓が多い。これでは仕事が出来ん。然し、国許に
、足も立たなくなってしまった。茶店の亭主が、江戸からと聞いて
「江戸へ」
の方に、もしものことがあっては、と、江戸の同志の方々と、打合せのために参る途中――」
「いや、江戸の気配も、ほぼ、判り申した。忝のう存じます。道中御健固に」
「江戸におりましょうか、それとも、その辺まで、参っておりましょうか」
知らせて、一手柄させて上げたいが、今から江戸へ戻れるものでなし、ここで、こうしていて、夫と、小太郎に
名の奴が参ったが、案ずるところ、国許の意見を江戸へ知らせ、江戸の話を、国許へ持ち戻る所存らしい」
たが、案ずるところ、国許の意見を江戸へ知らせ、江戸の話を、国許へ持ち戻る所存らしい」
「江戸へ戻って話の種だあ、九十六文、糞くらえだ」
様と、至急の打合せ致すことが起ったと、途中から江戸へ引返しまして、もう、追いつく時分でござりますが、何う致しましたやら」
、囲米厳禁の布令が出て、米施行があった。江戸では、窮民のお救い小屋さえ出来た。
から、重豪に一度、拝謁してからというので、江戸へ同道して、渋谷の別邸で引合すと、重豪は
たが、未だ年に二度ずつ、大阪を出て、江戸から、鹿児島へ巡廻して来る元気のある調所は
申す、軽輩の若者共が、斬込みに参りましたし、江戸よりは、三組の刺客が出ました由、長田兵助より知らせて参っ
江戸へ出る時に見た荒廃した蔵屋敷の記憶は、新しい蔵屋敷の美しさに
「何か、江戸で騒いでいる模様でござりますが――」
、やっと見込みのつくまでに三年かかった。それから、江戸、大阪、鹿児島と三ヶ所を、年中廻って、三十年が、二十年でこれ
一人になっても、生き残るであろうが――名越等、江戸の同志は、この刺客隊の全滅を知っているだろうか――いるとすれ
から、益満さんが、調所って野郎の後を追って、江戸へ下って来なさるそうだ――」
と、いうと、それは、江戸の邸の中であった。深雪は
「江戸におきまして、吾々同志」
「はい、江戸よりも、国許の手合が、立騒いでおります。第一に、加治木玄白斎
(江戸へ着いて、早く、この書類を始末して――)
(江戸と、京と、大阪の御金蔵には、百万両ずつの金がある。
「牧氏の一行は、そのまま、江戸へ立ったし、顔見知りはおらぬし――牧氏の方々も、七八
「牧は、無事に、今申した如く、江戸へ参ったが――」
に来て、調所の人物に感心した上、今、江戸へ行かれては、誰にも、顔向けが出来ないように思えた。叡山
じっと、抱きしめて、愛撫してやりたかった。綱手は、江戸の邸にいて、月に一度、外へ出るか出ずに、男は
土とも、白いとも、つかぬような色をして、江戸の時と、一月にもならぬのに、げっそり痩せてしまっていた
いるような気がした。一月程の内に、江戸の長屋から追い出され、道中、父の死、兄の病――自分の生き
「それなら、江戸に止まっておりまする。国へ戻りすがらの――お恥かしゅうござりますが、路銀
「江戸へ参られました」
――わしは、二三日、こうしておって、すぐ江戸へ立とう。益満から、便りでもあったか」
に、御消費下されますよう。三年越しにて参りましたる江戸の形勢は、仰せの如く、開けて参っておりまする。御賢明の段、
、父の志をつげ。よいか。わしは、暫く、江戸の同志と謀ることもあり、又天下のために策謀すべきことも起って
探したが、見つからぬし、牧のあとを追って、江戸へ戻って来る途中、この庄吉に逢ったのじゃが――」
「父上を討った牧仲太郎は、江戸におろうがの」
「牧が、江戸におろうなら、まず、こやつを討つのが、順序であろう」
「でも、江戸にいなさるか――」
が参った上は、居ろう。調所が死んでも、未だ江戸は離れまい。わしの推察では、益満が、江戸へ戻っておるにちがい
未だ江戸は離れまい。わしの推察では、益満が、江戸へ戻っておるにちがいない。彼奴の手で、仲太郎を討たれては、
「何んとしても、江戸の方へ?――国許へ戻って、同志の方なり、母上なりに
小太郎の江戸へ戻る決心は、変らなかった。綱手は、これが、兄との一生の
の旅中、大阪へ立寄る、日取は――と、江戸から知らせて来たので、大阪蔵屋敷は多忙であった。
殲滅させようと、計画しておる。それと一緒に、江戸では――いろいろと、論も出たが、久光殿をばじゃな――
「庄公、江戸の流行唄、って触込みで、益満さんのよく唄う、小手をかざして、
「深雪、江戸へ、わしと一緒に戻れ。南玉と、庄吉とは、如何致す」
「若旦那――江戸へ戻るのも、よろしゅうございますが、戻ると、深雪さんの身体が、危い
「そうであろうな。では、江戸へ戻れ。益満には、そち如き手足纏いであろうが、わしは、一人の
「よく判った。然し、わしは、深雪と、江戸へ戻る。志は受ける。一緒に、戻るなら戻れ。戻るのが不服なら、
「そうじゃ。江戸に――居るらしい」
、斉彬公から、いろいろと説かれ、二ヶ月ぶりで、江戸へ戻ると――小太郎、僅か二ヶ月の間に、江戸も変って来た
江戸へ戻ると――小太郎、僅か二ヶ月の間に、江戸も変って来た――判るか?」
こういう二人の男が、そのために命を棄てに、江戸へ出て来ている。二ヶ月前まで無かったことじゃ。何んのため
「これを、小太、江戸の侍と較べてみい。旗本の馬鹿者共の遊興ぶり、暮しぶりと較べ
、国へ戻っている間に、こそこそと致さずと、江戸在府中に、堂々とすればよいではないか」
し、道中の疲れも、前年より出ていたし、江戸の邸とちがって、鹿児島のこの邸は、少しずつ好みのちがった――
だけ答えて、静かに腕組をした。お由羅は、江戸からの手紙を巻き納めて、斉興の方へ押しやった。
に、策動しておる。今、その旨をかいて、江戸から書状が参ったところじゃ。見てみい。何も、わしが、十五
(奥平大膳太夫)も、宇和島(伊達宗城)と一緒に江戸へ出て、斉興公の隠居を願い出るし、閣老も、肚は、そうと
「江戸の奴等は、腑甲斐がない。奸党討伐は、吾々にて致そう」
、悪いには、悪いが――然し、このことが、江戸へ聞えたなら、老公は、いよいよ隠居だのう」
に罹るものじゃ。今、ふっと、もう二度と、江戸は、見られんというような気がした」
「まだ、江戸にいたか」
で――某、一存でござりまするが、早々、一旦、江戸へお戻りになりましては――御家督のこともあり――恐らく、近々
残しておいた三百万両の非常準備金がある。それから、江戸は四方から攻めかかれるが、当国は一方口じゃ。そして、天子を奉じて、
「俺はとにかく、一人で、江戸までの途中で、元兇共の一人でもいいから、討取りたい。又、京都
「お前が死ぬのが早いか、俺が早いか、江戸も、黒船のために、煙になるって、評判じゃあねえか」
は、ついでに、京都へ行ってみようと思っている。江戸が騒ぐよりも前に、京都の天地の方が、面白そうだ。吉田松陰
「お早い、お着き様で――お前さん、江戸の衆ですかい」
「一寸、お訊ねしてえが、江戸は、大丈夫でござんすかの」
「わしの娘が、江戸へ嫁づいておりますので、そいつが心配で、心配で」
「江戸の娘なら、大抵、知っている」
あん、こいつあ、狂人だから、相手にしなさんな。江戸は、心配することはないよ、黒船が来たって、交易のためで、何
「うむ、町武家と申してな、江戸の流行物じゃ」
が、大分、お入りになりましたが、何うも、江戸も、京も、物騒になりましたな」
「江戸で入用の金をな、取りに――何んと、庄吉」
十分に固めて、先触れの人数を、もっとふやすがよい。江戸まで、油断ならんぞ」
が、もう、来る頃ではないか? 彼奴に、江戸のことを聞いて」
、無残な御最期で、御察し申す。わしは又、江戸の――」
「あの者は、桃牛舎南玉と申し、江戸の講釈師でござります」
「何か、江戸に、騒ぎを起して、公方様から兵を出させ、薩摩と、長州と
と、長州と、水戸とが連合して、東西から、江戸を衝く、というような――」
「なあ――さあ、来いっ。江戸の巾着切の胆っ玉を見せてやらあ」
「母上、よろしゅうござるか、このお暇は、江戸お暇のみではござりませぬぞ」
「薩州の公武合体論も、手ではあるまいか。江戸と、京都との、模様を探る手だと、わしはおもうの。益満の
が、戻った上にて、進退を決しよう。話の如く、江戸を荒して、幕府と一戦すると申すなら、命をすてて、勤王の魁
「江戸から、早馬が参って――」
「わしは、七八日、ここにおって、江戸へ戻ろうが、それまでに牧を討つといいのう。手を貸そうか」
として、そのまま、揃って、脱藩し、京、江戸と二手に分れて、上って参る手筈になったが――」
感じていただけであったが、その将曹らが、江戸からここまで従って来て、そして、斉彬の病になったのを見ると
憤りを、幕府へ、わしは叩き返してやる。わしは、江戸へ戻って、悪鬼になって、暴れてやる。殉死の心を、生き延びて
を、血潮の巷にしてくれる。小太、共々、江戸へ立とう。国許の英才も、このまま、泣いてはおるまい。斉彬公が
た。倒幕の気運は、明日から起るぞ。小太、江戸へ立とう。斉彬公は、一寸も、じっとしてはおられなかった。
てはおられなかった。各各――立とう。直ちに、江戸へ立って、御遺志を継ごう」
「一蔵、わしは、江戸の軽輩と、呼応して、ひたすら、倒幕の策につこう。お前は、亡君
。しかし、ここに集まっておる、この、軽輩だけで、江戸におる益満らだけで、必ず、倒幕の仕事は、成し遂げてみせる。薩摩一
に、お報いするの道は唯、京師へ出で、江戸へ行くだけだと、思っている。全く、風雲は、急に、なって
「京は、何んだか、ざわついていたが、江戸は、相変らず、のんびりしてらあ。今にも、黒船が来るように騒い
身分の者は、失う物がない。京師へ脱走し、江戸へ出奔するに、身一つでいい――わしは、近頃、あいつらが
ず――そして、ひそかに、脱藩して、京師へ、江戸へ、行くのを見ていると
七八人の若者が――それは、脱藩をして、江戸へ、益満等と共に、行を同じゅうせんとする人と、京師へ
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た。その小径を、爪先登りに半里以上も行くと、比叡の頂上、四明ヶ岳へ出ることができた。
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「待つ身になるな、虫の声、志賀の都は、荒れ果てて、か。山崎西に去れば、桜井の駅、伝う、
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「泉州、堺におって、内々、わしが見ておるが、この浜村に、よい娘
浜村め、気の毒に敗訴して、大阪所払い、只今、泉州堺におるが、その倅の嫁を、わしに頼んでおる。二百石、三
発覚してはおもしろうない。それで、今夜のうちに、堺へ参るよう、手筈を致してある。万事は用人が、心得ておるから、
たら、後を追うて下さるだろう――いいや、いっそ、堺へ行ってしまって、月丸様と、このまま別れたら――却って、月
、並々ならぬ、お世話に、相成りましてござりまする。堺へ参りましてからも、後程のことも、くれぐれ、お願い申し上げまする」
して、筋違橋まで出向くこと。もし、それまでに、堺へ行くとなれば、仲間部屋の角柱へ、白紙を貼りつけておくこと。
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「馬鹿っ、炎上とは、御所か、伊勢神宮の火事を申すのだ。ただ、焼けたと申せ」
「そいつは伊勢(老中、阿部伊勢守)の手に握られているのか」
「伊勢の手にて取調べるにしても、まだ、十日、二十日は命がござり
「笑左、伊勢へ、密告した奴は、斉彬に加担の奴ではないか」
と、伊勢が、答えた。
伊勢は、黙って、俯向いておる、二人の心が、自分の説に同意し
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「ふむ、伏兵にゃあ、東照宮だって敵わねえからのう」
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の江戸下りのために、五人の供人を連れて、駿府まで来た。二十何年のあいだ、幾十度か往来した街道で、すっかり
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鶴見を越えると、道傍の、茶店などは起き出ていて、煙が低く這って
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この辺から、左右に、小山が連なって、戸塚の焼餅坂を登りきると、右手に富士山が、ちらちら見えるまでに、晴れ上って
起伏して、雨に鮮かな肌をしていた。戸塚の松並木は、いつまでもいつまでもつづいた。七瀬は、その松並木が余り
戸塚より藤沢へ二里、本駄賃、百五十文。藤沢より平塚へ三里、二百八十
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「清水寺に、月照という坊主がいる。それへ、この手紙を届けて。返事は
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当のようなこの政策に、激怒した。そして直ちに、秩父を切腹させ、斉宣を隠居させ、斉興を当主に立てた。
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て登用し、彼の献策によって、黒砂糖の専売、琉球を介しての密貿易を行って、極度の藩財の疲弊を、あざやかに回復
密貿易を、今のままに続けるか、続けぬか? 琉球の処置方、同意町人共の処置方、又、もし、公儀より、この件
したという重大事が、洩れずにおりましょうか。琉球が、辺僻の地などと、そんなことを考えて、匿せば、匿せ得る
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が連なって、戸塚の焼餅坂を登りきると、右手に富士山が、ちらちら見えるまでに、晴れ上ってしまった。左手には、草のはえた
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、ちゃんと、仲間がいる。急用だっ、それっと、こいつが桑名まで一日。桑名へ来ると、仲間がまたいる」
がいる。急用だっ、それっと、こいつが桑名まで一日。桑名へ来ると、仲間がまたいる」
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ところがある。本街道を避けて、裏を行けば、大井川までは、首尾よく参ろう。ここを無事に通れば、京までは、先ず無事
大井川の川会所の軒下には、薄汚れのした木の札がかかっていて
大井川を渡る賃金は、水嵩によってちがっていて、乳下水、帯上通水
「大井川の人足の面にかかわらあ」
大井川はとまる
「そうれ、大井川――ゆっくり、お休み」
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そして、牧は、調笑に惚れ込んで、己の倅を大阪の邸にあずけておるが、国許は知らず、江戸の重役、その他、
小太との計が、うまく行く、行かぬにせよ、大阪表へ行って、調所を探る気はござりませぬか」
「何んと――京で辻君、大阪で惣嫁、江戸で夜鷹と、夕化粧――かの。それから?」
「大阪で、惣嫁」
た。八郎太は「道中細見」の折本を披げて、大阪までの日数、入費などを、書き込んでいた。
てからでよい。よし、此奴が元兇としても、大阪におっては、大したことも仕出かしえまい。それで、小父上、拙者は
「では、御無事に――すぐ又、大阪へお迎えに参ります。お嬢さん、気をおつけなすって下さいまし、水当り
「じゃあ――深雪さん、大阪のお母さんと、姉さんを、手助け致しやしょうか。そして、貴女に何か、
その高い米でさえ、品が少く、城代跡部山城は、大阪からの、米の移出を禁止してしまった。それでも、一両で六
こういって微笑した。財政整理の命を受けて、大阪へ来た時、大阪町民は一人も相手にしなかった。一人で、六十万
斉興は、借金取のために、大阪に泊れなかったので、西の宮へ宿をとると、大阪町人が一度に押しかけ
の諸邸の壁の白さ、こうして坐っている大阪上、中、下邸の新築、日光宿坊、上野宿坊を初め、京の錦小路
六十を越したが、未だ年に二度ずつ、大阪を出て、江戸から、鹿児島へ巡廻して来る元気のある調所は
よい子を残して、悪い奴は摘みとった方がええ。大阪も、それを布令ろ、と、跡部に申したが、彼奴には判らん
、大きい声でいわれんが、長いことないで。京、大阪で、お前、大名への貸金が、千六百万両、これを、二百五十年賦に
訴訟になってのう。浜村め、気の毒に敗訴して、大阪所払い、只今、泉州堺におるが、その倅の嫁を、わしに頼んで
見込みのつくまでに三年かかった。それから、江戸、大阪、鹿児島と三ヶ所を、年中廻って、三十年が、二十年でこれだけに
その頂上で、斉彬の第四子盛之進を呪殺しようと――大阪からの警固の人数の上に、京都留守居役の手から十人、国許から
の手が廻っているとすれば――或いは、京、大阪から、二人を途中に討取るため、又人数を繰出しているかも知れぬ)
二人は、京の藩邸、大阪の藩邸にいる同志に、牧の消息を聞き、その返事を待っていた
たかった。二人は、京都の宿へ足を停めて、大阪の消息を、袋持三五郎から、京の動静を、友喜礼之丞から、知ら
「まだあるんだ。大阪の蔵屋敷へ行った奥方と、そら、深雪さんの姉さん、何んとか
、千二百人まで鉄砲を持たしていたし、それが、大阪の陣になると、仙台名代の騎銃隊が現れてきた。これが、
(江戸と、京と、大阪の御金蔵には、百万両ずつの金がある。日本中と戦っても
「大阪へ戻らねばならぬ」
「用事がござりまして、大阪へ戻りましてござります」
しておるのではないか。これが、京と、大阪の間じゃから、とにかく、もし、わしが、国許で、生死不明にでもなっ
(急に、大阪へ戻ると云って、暁に立って行ったのも、怪しい、と思えば
隣同士に住んでいた仙波と申す者の娘が、大阪へ、わしを手頼って参ったが――瓜二つじゃで」
「大阪へ戻っては――存じておろうが、取締りが、厳しゅうて、思うままには
調所に代った新任の大阪の留守居役、中島兵太夫が、眼鏡越しに、綱手を見て、老人らしい
「供養にならぬ涙を流そうより、大阪表へ参って、又国許へ参って、手頃の仕事で、父の志を
披くと、小太郎からの手紙で、傷が癒ったから、大阪へ来た、宿にいるから、来るか、行こうか、としてあった
斉興、国許への旅中、大阪へ立寄る、日取は――と、江戸から知らせて来たので、
「調所の倅が、そいつらの連名を書いて、大阪で、知らせてくれた。山一、高崎、近藤などであろう」
「あいつ、大阪を逐電したが、今度参ったなら、元々へ戻るよう、よく申し聞かせておい
(お国許で、こんな騒ぎが、起っている以上、大阪にも、何か、起っているにちがいない――綱手は、何うして
「うむ、牧って人あ、大阪へ行っての、お国許から、戻りの、御殿様に逢ったってまでは判っ
牧の野郎のことでござんすが、仁吉の云うにゃ、大阪で、斉興さんに、逢ったらしゅうござんすが」
を、その場所にて致すものであるそうだ。牧が、大阪へ行った以上、父のために汚された叡山へ行くのは、必定だ
もし、すでに行った後とすれば、恐らく、牧は、大阪を立てば、国許に戻るであろう」
「大阪らしいが。とにかく、叡山へ行って、牧が、修法を済ませたか、
「大阪では、変名しておったそうだが――」
それが、隼人か。腰抜け。斬ってやる。参れ――大阪での勝負のつづきだ――うぬ、人の邪魔立をして――」
、目に立つであろうがな。それより、京か、大阪の邸の者に、頼んで――」
「京、大阪には、不逞者が、近頃うんと居りまして、却って、危うござります。斉彬
夕陽が、大阪の先へ落ちようとして、海も、空も、真赤に――だが
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「何は、難波の船饅頭」
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藩邸にいずに、幸橋御門内の邸――元の華族会館――に起臥していたので、寛之助も、そこにおったので
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、生駒山の外に、同じ山相の山がない。鞍馬、愛宕でも、修法をするであろうが、第一の修法は、同じ山相の山
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意気は本所、仇は両国
「仇は、両国――もっと、近う」
両国下手の、川沿い、黒い高塀の料理屋の二階からであった。
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を延すと、杉の間から、藍碧に開展している鹿児島湾へ、微笑して
、臨時館の設立、それによって、南国片僻の鹿児島が、どんなに進歩したか?
考」「成形図説」を著し、洋学者を招聘し、鹿児島の文化に、新彩を放たしめたが、然し、それは悉く、多大
また重豪は、御国風の蛮風を嫌って、鹿児島に遊廓を開き、吉原の大門を、模倣して立てた。洋館を作っ
未だ年に二度ずつ、大阪を出て、江戸から、鹿児島へ巡廻して来る元気のある調所は
つくまでに三年かかった。それから、江戸、大阪、鹿児島と三ヶ所を、年中廻って、三十年が、二十年でこれだけになっ
前年より出ていたし、江戸の邸とちがって、鹿児島のこの邸は、少しずつ好みのちがった――何んとなく、落ちつかぬ
立っている堀の石垣の上から、鹿児島の町は、磯浜の方へ、低く、充満して、連なっていた
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「献上? 献上とは、京都御所への言葉だ。未だ判らぬか、此奴。何んでもよい、
殺しようと――大阪からの警固の人数の上に、京都留守居役の手から十人、国許から守護して来た斎木、山内、
、西は、瀬田から、伏見、顧みると展開している京都の町々に、驚嘆したが、すぐ袖を掠める烈風に、顔をしかめ
に、自分等二人の手で討取りたかった。二人は、京都の宿へ足を停めて、大阪の消息を、袋持三五郎から、京
―いろいろと、思案仕りましたが、禁裏の御気配、京都へ集まっております浪人共の正論、引続く不作、窮民の増加、異国船
、元兇共の一人でもいいから、討取りたい。又、京都の模様を見て、討幕の仕事にも、手を出したい。碌々、
を乞うて、一戦仕出かすには、何うしても、京都へ一度行かんといけぬ」
てみようと思っている。江戸が騒ぐよりも前に、京都の天地の方が、面白そうだ。吉田松陰が捕えられたし、佐久間
、名越から借りもできるが――俺は、ついでに、京都へ行ってみようと思っている。江戸が騒ぐよりも前に、京都の
斉興公の供の中へ加わって、京都の藩邸へ着いた月丸は、湯から上ると、庭へ出て、
三樹三郎が、捕えられた。今、聞いて参ったが、京都の天地は、今にも、覆りそうだぞ。おもしろうなって来たわ
が、風を切って歩いている。五年前に、京都所司代が一睨みすれば、ちぢみ上っていた浪人共が、あべこべに、所司代
(京都へ、不逞浪人が入り込んで、血を流すから、それらと、わしと
公武合体論も、手ではあるまいか。江戸と、京都との、模様を探る手だと、わしはおもうの。益満の行動を
「そりゃちがう。海軍奉行、勝麟太郎を、京都へやったのは、公武合体のためでなく、開国説を公卿間に
京都下河原、二階堂志津馬の寮の、一部屋であった。狭い庭である
と、部屋の中を覗き込みながら、京都藩邸の用人が、入って来た。江阪という六十近い老人であった
「京都は、暑いて」
をほめてくれるか?――一刻も早く、京都へ、京都へ)
に、己をほめてくれるか?――一刻も早く、京都へ、京都へ)
、夕陽の落ちて行く空の中を、走り出した。京都の方角の山々は、暗くなりかけていた。
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―吾等同志は、何んと処置してよいか? 福岡へ御縋りするか? 幕府へ訴えて出るか、斉彬公へ仔細に
「それに、宇和島、福岡の親族共が、わしの隠居に同意しおって、内密で、幕府へ
「それもよいが、この春には、福岡(黒田美濃守)も、八戸(南部遠江守)も、中津(奥平大膳
公を世に出すこと、これが第一。それから、福岡の黒田美濃守に、お縋り申すことが第二――」
(福岡へ――)
(死んだって、福岡まで)
「福岡も、南部も、御同意だ。お身は、いつも、天下のために
「いいえ、福岡、宇和島、南部の三公から、御願いがござりまして、閣老において
「何んと掛合いましても、福岡では、知らぬと突張っております。それのみでなく、宇和島殿と
「福岡から――出雲守からの便りを聞いたか?」
「福岡(斉彬の弟、黒田美濃守長博)、宇和島(伊達遠江守宗城)、
「斉彬公の御帰国の一行じゃが――もう、福岡へ入っている」
建白書にもあるし、余の者からも聞いた。福岡で、弟からも、同じ意見が出た。将曹、平等のことについ
「福岡や、宇和島は、何をしているのだ」
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出ると、人々は、一望の下に指呼することのできる大津から比良へかけての波打際と、太湖の風景、西は、瀬田から、
「では、若旦那、大津から坂本へ出まして、そこから」
「ところも、瀬田の唐橋で、手前に大津とは、紀妙寺、へい、今日は」
「大津から、叡山へでも行くのか」
、唐崎辺へつけて、叡山から、雲母越えに戻ろう。大津は、危いかも知れん」
のを、度々、掛けかえながら、少し、引きつる脚で、大津から、坂本への道を、急いでいた。
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ていたし、それが、大阪の陣になると、仙台名代の騎銃隊が現れてきた。これが、イギリスのホブソンの、騎兵
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いって、国をいわなんだが、お二人とも、水戸の方じゃ。尊王、倒幕を、正義と信じ、天下の大勢と見て
為すものは、水戸か、薩摩か? この方々は、水戸の人じゃが、斉彬公を擁立して、天下の勢の赴くところへ
に一新しそうだ。そして、その魁を為すものは、水戸か、薩摩か? この方々は、水戸の人じゃが、斉彬公を
「水戸の浪人等が、わしを担いで、倒幕の戦を起そうとしている
(水戸、越前、土佐、それぞれに、大名中の人物にちがいはないが、この
一、兵政を改革し、範を水戸に、取る事
水戸の親爺(烈公)に俺が嬶
、公方様から兵を出させ、薩摩と、長州と、水戸とが連合して、東西から、江戸を衝く、というような――
水戸浪士 三岡源次郎吉次
為王事水戸脱藩士 柴山壮蔵源正忠
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去年十一月七日、英国船一艘、那覇へ来着、彼国軍機大臣より、更に有無之品、致交易度趣之
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「でも、深川あたりの流し乞食の――」
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町を出て、増上寺の塀の闇の中を、御成門の方へ、歩いて行った。
と、独り言をいっていた。御成門から、植村出羽の邸に沿って曲り、土橋へ出ないで、新し橋
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目黒の料亭「あかね」の二階――四間つづきを借切って、無尽講
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人は、秋雨の夜道を、徹宵で歩いて行った。品川の旅宿の人々は、この雨の中を、この時刻から、西へ行く
(品川で泊った方がよかった)
しか通らぬと決まってはいなかった。自分達が、品川から夜道したように、二人は、綱手の眠っている間に、行き
庭の松の木越しに、品川の海が見えていた。薩摩の旗印を立てた船が、幾艘
「そいつが、品川へ来るのかえ?」
「品川へ来るって話じゃないか」
じゃねえか。黒船が来るっていうのに、お前、わざわざ品川へ行って、遊んでいるなんざ、これ、人間業じゃあねえぜ」
お前、商売は出来ねえし、こんな時だ、一つ、品川の女郎屋へ行ってやれ。女郎は、何っかへ、皆逃げっ
品川沖を、見渡せば
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「大宮辺に住居して、夜な夜な、人の袖を引く」
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拝謁してからというので、江戸へ同道して、渋谷の別邸で引合すと、重豪は
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ている大阪上、中、下邸の新築、日光宿坊、上野宿坊を初め、京の錦小路の邸の修復、三都には、斉興御
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安政地震に、神田火事
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、時こそあれ、一天俄に、掻き晴れて、眺め見渡す隅田川、あれ鳥が鳴く、犬が鳴く――総勢八千六百余騎、おめき
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「黒船が、浦賀へ来たことか」