潟に関する聯想 / 柳田国男
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常陸の霞ヶ浦、北浦の風景は東京人の熟知する所でありますが、西北岸には
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△加賀の河北潟と三湖 加賀の河北潟は北見の猿間湖と其状勢が酷似
今昔 それから一つ下ると吉崎の北潟が、越前と加賀との境上に立つて大聖寺川の餘勢を借り、學問上非常に意味深い地形
や、櫨や、油桐などの生々繁茂せる點は、加賀の三湖と同じであります。
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△九州の海岸 九州に入つても、矢張り同じ樣な關係を見ることが出來る。
△九州の海岸 九州に入つても、矢張り同じ樣な關係を見ることが出來る。古代史で關係
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吉崎の今昔 それから一つ下ると吉崎の北潟が、越前と加賀との境上に立つて大聖寺川の餘勢を借り、學問上非常に意味
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△但馬の地勢 國境を越えて但馬に入りますと此國は有名な山國
△但馬の地勢 國境を越えて但馬に入りますと此國は有名な山國であつて、無數の小さい谿を
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を見てもわかるのであります。またそれから南の月潟などいふ潟は、角兵衞獅子の産地として有名でありますが、
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象潟 本土に入つては、先づ青森の十三潟と秋田の八郎潟とでありますが、此二つの潟は大きな潟ですが、自分は實
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調べて居りませぬ。それから南に下つて象潟は、松島を壓するといふ位風情のある景色であつたやうですが、文政年中鳥海山
僅かな水道で海水と連なつて居つて、今の松島の多島海のやうに、松、紅葉、櫻などの繁茂せる數十の島
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△出雲國宍道湖、中の海は共に一の潟に過ぎず 但馬以西はまだ踏査し
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今では山頂の寺の名になつて居りますが、成相寺の成相といふ語が、もとは成合であつて、即ち兩陸の相接續
成相寺の眺望が異つて居る點は、眞の橋立が山蔭になつて見えず
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水道によつて東西の海と交通して居つて、島根の半島が、昔は海であつたことを證據立てまするのみならず、「
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なつた一例であります。其證據には、砂丘と信濃川との間に廣い水澤の地を抱へて居るのを見てもわかるの
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△天橋の風景 若狹から丹後にかけては、略※同じ樣な地形が續いて居りまするが、唯
再び繁榮なる邑落を作るのが普通でありますが、丹後の方は丘山が潟に迫まつて居つて、民政の發展する餘地が
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することが出來ない。兎に角海の口に横はつて居る鹿島と對岸なる濱坂の丘陵との間は、百年の昔までは※を
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ありませぬから、潟が一つもありませぬが、能登から加賀へ移つて行きますと、又澤山な潟が現はれて居るのであり
△能登の邑知潟と七尾灣 能登の邑知潟の如きは東西の二方から砂山で
△能登の邑知潟と七尾灣 能登の邑知潟の如きは東西の二方から砂山で壓し付けられたやうな形
、未だに歴然として殘つて居るのであります。能登の國府といふのは、丁度島の繼ぎ目に當つて居るのであります
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て、自から別樣の風景を示して居りますが、再び敦賀に參りますと、又非常に深い海灣が羅列して居るのです。殊に
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羽前の象潟 本土に入つては、先づ青森の十三潟と秋田の八郎潟とでありますが、此二つの潟は大きな潟ですが、
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△羽前の象潟 本土に入つては、先づ青森の十三潟と秋田の八郎潟とでありますが、此二つの潟は
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に來ますと、潟の數が非常に多いのです。新潟が即ち地變を受けた潟の變じて干陸になつた一例であり
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者に聞くと、此著しい變遷は主として近年福井侯が港口を占切つたからといつて居りますが、予には能く
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常陸の霞ヶ浦、北浦の風景は東京人の熟知する所でありますが、西北岸には之よりもモツト複