狂い凧 / 梅崎春生
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「先だってあるお客さんと、その人は戦時中満洲に行っててね、これの話が出たら、その次の時土産に持っ
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『只今大阪に参り居り候』
いた。学校時代の旧友の家に泊り、その案内で大阪や奈良を見物したことなどが書いてあった。前の手紙や賀状に
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に、杉の梢はゆらゆらと揺れ動いた。春先になると関東地方では、とかくこんな風が吹くのである。
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昭和十三年十二月の下関市は、栄介の記憶によると、非常に暗い街であった。もちろん気分や
連絡船の上から、遠ざかって行く下関市を眺めながら、栄介はあちこち視線を動かしていた。城介と別れて、道
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付近一面は焼けていて、ずっと彼方に雪をいただいた富士山が、小さく見える。
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「関東ではうどんは馬子の食うものだと思っているが、あれはうどんの食い
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ね。内地では春と秋に大演習と称して、富士山麓あたりで演習をやるでしょう。向うじゃそのかわりに、春と秋に掃蕩作戦を
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年の暮れに、遺骨を受領に来いという連絡があった。名古屋からである。下関から出発した人間が、どうして名古屋に戻って来る
からである。下関から出発した人間が、どうして名古屋に戻って来るのか、彼には理解出来なかった。今もなお理解出来
「一体何で骨が名古屋に戻って来るのかねえ」
と言って、出かけないわけには行かない。栄介は名古屋に出発した。
の不機嫌をなだめるように、ぶつぶつ呟きながら彼は歩いた。名古屋に一泊して、明朝故郷に戻る予定だったが、もう泊る気はし
「それに名古屋まで苦労して出かけたわけだろう。こんなもののために、苦労させやがって
「いきなり上京はせずに、途中で京都や奈良や名古屋などで、泊って来たんだ。まあ昔の友人を訪ねたのか、
城介の遺骨を名古屋から持って帰り、納骨をすませて十日ほどして、葬儀屋の内儀は子供
名古屋から受領して来た骨壺の骨のことは、栄介はほとんど覚えていない
その翌日、京都からハガキが来た。さらに二日後、名古屋から絵ハガキが来た。だんだん近くなって来る。
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「おれは戦後多磨墓地の抽籤に当ってね、九州から骨を移したんだ。いいところだよ。樹がたくさん生えていて
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時々以上にある。その直感はたいてい当らないけれどね。あの下関で城介を見送った時の感じが、心のどこかで尾を引いてるの
日が短い時節で、彼等二人は午後六時頃、下関に着いた。東京の明るさに慣れていたので、実際以上に暗く
令状にはただ、十二月某日下関に集合せよ、とあるだけで、どこの聯隊か部隊に入るのか、何
「寒いな。下関というところは」
「加納というのはね、やはり下関からいっしょに出発した、城介の戦友だったのだ」
あの下関の造酒屋の階段が、やはり見おさめだったと思った時、彼は胸が
受領に来いという連絡があった。名古屋からである。下関から出発した人間が、どうして名古屋に戻って来るのか、彼に
そこに入っているという実感はまだなかった。彼は下関の赤提燈の店での城介の言葉を思い出した。
、かぐろい憂欝の翳が、かすかに揺れていた。あの下関の飲み屋で城介が、おやじのタネだとはっきり言い切れない、と言ったのは
「下関に送りに行ったのも、寒い日だった。城介は造酒屋の二階
に冷えて来る。立っているのがやっとだったな。下関の寒さなんて、寒さの中に入らない。自分の軍隊の第一印象は、
汽車が下関に近づく頃、へんな男が彼の隣の席に腰をおろした。横柄
た。それから私服はいろいろと、交友関係や経歴など、下関につくまでの一時間ばかり、根掘り葉掘り問いただした。下関でやっと彼は不快な
、下関につくまでの一時間ばかり、根掘り葉掘り問いただした。下関でやっと彼は不快な訊問から解放された。
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「あれは高尾山です」
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汽車にはスチームが通っていた。大同から迎えに来た下士官や古兵は、いたずら半分に、
ごまかしたり、雑多な恰好をして眠る。張家口を経て大同に着いたのは、三日目の朝であった。
「するとはるか彼方に城壁が見える。大同の城壁ですな。あの城壁の中に聯隊があるんだなと、そう思っ
城介は衛生上等兵として、大同にとどまることになった。毎日医務室に勤務する。朝から各中隊の病人
楽だった。もう初年兵じゃなくて下士官だからね。大同から汽車に乗って、万里の長城を出る。長城を出たからって、そう
三年ほど前、城介たちが初年兵として、一路大同に北上した線路である。あの時は窓にシェードをおろし、窓外をのぞき見る
汽車は大同に到着。加納と城介たちはまた厚和の野戦病院に戻る。帰還要員の指名
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城介の属する部隊が香港から大同に戻って来たのは、昭和十七年六月末のことである
での勤務は、全然でたらめで、頽廃していた。香港での重任を果たして一応元の巣に戻った安心感があったし、北方な
つれて、話はいくらでも出た。故郷の話。香港の思い出。女やバクチの話。
城介たちの転属先は香港である。香港にも陸軍病院があるが、それだけでは間に合わないので
城介たちの転属先は香港である。香港にも陸軍病院があるが、それだけでは間に合わないので、第二陸軍
そして香港に到着。第二陸軍病院が開設された。第一陸軍病院は香港の
第二陸軍病院が開設された。第一陸軍病院は香港の本島にあったが、第二は九竜地区である。開設と言っても
あるいは結核とかマラリア患者が、どんどん後送されて来る。香港はそれら患者のいわば中継地になっていた。しかし気候はいいし、
北方に戻ることになる。浙※作戦の直前である。香港を出発する時、野戦病院の医療品の中から、パビナールが相当量紛失する
「香港でいっしょにシャワーを浴びたことがあったんです」
喘息の発作も香港に来て以来、ほとんど起きてないようであった。環境が変ったので
から呼出しが来た。部隊長は中田という軍医で、香港から戻って少佐に進級していた。進級のことばかり考えている陰性な
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「多磨霊園ですよ」
「多磨霊園? では墓地じゃないか」
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た。養子に行って、姓が変っている。住所は千葉で、
と書いてあった。丁度その翌日、私は千葉に行く用事があったので、夕方その住所の方に廻ってみた
ある朝私は栄介を待ち合わせ、タクシーで千葉に向った。風もなく、いい天気である。
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「いきなり上京はせずに、途中で京都や奈良や名古屋などで、泊って来たんだ。まあ昔の友人を訪ねた
。学校時代の旧友の家に泊り、その案内で大阪や奈良を見物したことなどが書いてあった。前の手紙や賀状に返事
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「いきなり上京はせずに、途中で京都や奈良や名古屋などで、泊って来たんだ。まあ昔の友人を
ともに、当惑に似たものを感じた。その翌日、京都からハガキが来た。さらに二日後、名古屋から絵ハガキが来た。だんだん
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たんだが、その度に答えが違うんだね。熊本で店を開いていたとか、同じ時期に別府で温泉療養して
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たよ。だから僕が身がわりになって、いっしょに浅草なんかに遊びに行った」
「あの頃の浅草は面白かったねえ。いろんなものがあって、しかも安くて――」
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いる。売店ではおでんやキャラメル類を並べ、拡声器が〈東京ラプソディ〉や〈ユモレスク〉などのメロディを園内に流している。いつだった
東京の人口が少かったから、日曜日だというのに、入園者は多くは
思っているが、あれはうどんの食い方を知らない。東京のはうどんの煮〆めだ。あちらのは、当時は手打ちで、薄味で
後年栄介は東京の居酒屋で、城介と酒を酌み交わしながら、何かの調子であの夫婦
揚げにしたって、へんなまぜものが入ってない。つまり東京のサツマ揚げみたいに、粗悪なものじゃないんだ」
揚げを入れたら、これは食えたもんじゃなかろう。別に東京の悪口を言うつもりはないけれどね」
「いや。東京風の煮〆めたうどんに、お粗末なサツマ揚げを入れたら、これは食え
「東京に奉公に出るんなら、葬儀屋がええ。戦争はこれからもっと拡がるから儲け
「東京のわしの知合いに、たいへん繁昌している葬儀屋がある。そこに行かせろ
「うどんなら東京にもあるだろう」
「東京にひとりで行くことだよ」
「どうせこき使われるなら、数百里離れた東京の方がいいと思ったんだよ」
東京行きの切符と入場券を買い、プラットホームに出た。プラットホームの彼方は一面の
「兄貴。もし大学まで行けるようになったら、東京の大学にして呉れよな。おれも話し相手が欲しいから」
、少しオーバーだね。感傷なんだな。現実には東京で再会しているんだから」
、彼等二人は午後六時頃、下関に着いた。東京の明るさに慣れていたので、実際以上に暗く感じられたの
「東京の兄さん」
「東京の兄さん」
「おれが初めて酒を飲んだのは、お前を東京に送りに行った駅前のうどん屋でだ」
同じ東京にいて、時々会っていたけれども、城介は今までそんなことを、
「じゃ妊娠させたまま、東京を離れたのかい?」
も与えず、城介は顔をそむけ、階段へ歩いた。東京行きを見送った時の態度と、まったく同じであった。城介は階段を
そこで私はかんたんに栄介の気持を説明した。東京に来て、いろんな話をして呉れ、とはちょっと言いにくかった。舟宿
「沖に出て、東京のスモッグを通して見た太陽は、蒙古の太陽にそっくりですよ。もっとも
「東京で伯父さんの身寄りというのは、君だけなんだろう?」
「おれの弟も妹も東京にいる。しかしその代表として、おれだけだろうな」
変な応対をすると、手を打って笑いころげるのだ。東京の人間って、薄情な奴が多いよ。しかしもう慣れた』
、もう半身がきかなくなっていた。栄介は電報で東京から呼び戻された。福次郎は昏睡の状態にあった。
に変りつつあることを、栄介は自覚した。彼は東京に戻り、一箇月ほど経って、福次郎の病状を城介に書き送った。
という電報を、栄介は東京の下宿で受取った。彼は映画を見て、帰途酒を飲み、午前
それだけであろう。栄介と城介は、故郷においても東京においても、ほとんど長兄について話を交わすことがなかった。ある
「どうだい。きれいな海だろう。東京じゃ見られないよ」
加納の言葉を聞きながら、私は東京の遊園地での城介のあの眼を思い出していた。何か思いつめたよう
「東京が空襲されたことを知ってるかい?」
、広さが三分の一ぐらいだ。それに戦後の東京の建築は、生活様式の関係もあって、門がまえだの玄関は小さく
ていること、自分ももう齢をとったこと、佗しいから東京に出たいがその節はよろしく頼むこと、そんな内容のものであった。
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「ああ。神田にある何とか研究所というところだったね。今はホテルになって
電報が来た。栄介は赤電話で神田の画廊を呼び出した。四郎が出て来た。
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「あ。こりゃ相当遠いな。先生。八王子の先ですよ」
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「東京湾にハゼがいる限りは、どうにかやって行けるだろうと思うんだが
昏れかかった東京湾の水の色を眺めながら、加納は言った。