佗しい放浪の旅 / 徳田秋声

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地名一覧

四条

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勿論私にはなかつた。母堂や白峰氏の案内で、四条や三条、御所や嵐山、清水、金閣寺、祇園の都踊りなども見た

観音寺

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を離れて大きな石塊の磊磊してゐる野を突切つて観音寺へ行つて見ると、そこは大友宗麟(?)の居城の跡とかで

噴出してゐる。海法師海地獄などへも、私は観音寺で出来た連と一緒の乗物で見に行つたものだが、其の辺は

四国

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ば福岡や博多、長崎などへも寄りたいし、中国や四国も見たくなるから、大阪や京都へ行くことがあつても、何時も別府まで

伊豆

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もぷすぷす硫黄くさい烟が立つてゐた。私はその後伊豆の温泉などへ行つたが、あれほど湯の豊富なところがないので、

三条

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にはなかつた。母堂や白峰氏の案内で、四条や三条、御所や嵐山、清水、金閣寺、祇園の都踊りなども見たが、

金閣寺

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氏の案内で、四条や三条、御所や嵐山、清水、金閣寺、祇園の都踊りなども見たが、京都で遊ぶには私の気分は

博多

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は時々別府を思ひ出すのだが、別府へ行けば福岡や博多、長崎などへも寄りたいし、中国や四国も見たくなるから、大阪や

嵐山

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。母堂や白峰氏の案内で、四条や三条、御所や嵐山、清水、金閣寺、祇園の都踊りなども見たが、京都で遊ぶに

大阪

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とか熊本とか山口とか近県の人達ばかりで、大阪は勿論、東京人などは一人もなかつたやうに思ふ。私は東京にも

は芝居を見たりして遊んでゐるうちに、京都と大阪へ旅をしてゐた二番目の娘が帰つて来て、私は芝居

後に森川町の私の家を訪問したこともある。大阪の人達は、私の家へ来ると狭いのに喫驚したものらしいが

分を私に書くやうにと言つて来たのが、大阪から附箋になつて廻つて来た。遊惰は遊惰でも、私はさう

へも寄りたいし、中国や四国も見たくなるから、大阪や京都へ行くことがあつても、何時も別府まで延さうといふ機会もなくて

旅行から帰つて来て初めて分つたのだつたが、ちよつと大阪へ行つて来ると言つて年の暮に出たきりだつたので、荷物もいつ

これといふ話もなくて別れてしまつたのだが、大阪へ行くと、兄が昔のことを知つてゐて、私を同行し

と告げた。後に今一度家内の生前、私が昔大阪で世話になつた母堂と、結婚期の自分の娘とをつれてやつて

熊本

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役者は皆な年の少い女なのだが、大分、熊本辺から来たものであらう。その少女俳優のファンが多勢、遠くから興行

と思ふ。其の時分は浴客といつても、大分とか熊本とか山口とか近県の人達ばかりで、大阪は勿論、東京人など

京都

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、夜は芝居を見たりして遊んでゐるうちに、京都と大阪へ旅をしてゐた二番目の娘が帰つて来て、

何か緊張した気持になるのであつた。それに京都の日の出新聞にゐる中山白峰氏からも手紙が来て、消息もたえて

若楓の葉がそよいでゐる晩春のことであつたが、京都を立つとき、駅で其のたれの入つた壜を落して壊してしまつた

清水、金閣寺、祇園の都踊りなども見たが、京都で遊ぶには私の気分はすこしあわただし過ぎたし、懐中も寂しすぎた

切つて、分配したほどの貧乏であつたのに、京都における彼は相当広い部屋が三つもある二階の書斎に頑

のである。私は帰りにちよつと京都を瞥見した。京都には自由党の支部に長岡以来の渋谷黙庵氏がゐたが、帰りに

なくて過ぎてしまつたのである。私は帰りにちよつと京都を瞥見した。京都には自由党の支部に長岡以来の渋谷黙庵氏が

寄りたいし、中国や四国も見たくなるから、大阪や京都へ行くことがあつても、何時も別府まで延さうといふ機会もなくて過ぎ

長崎

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別府を思ひ出すのだが、別府へ行けば福岡や博多、長崎などへも寄りたいし、中国や四国も見たくなるから、大阪や京都

福岡

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その後私は時々別府を思ひ出すのだが、別府へ行けば福岡や博多、長崎などへも寄りたいし、中国や四国も見たくなるから

東京

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、東京人などは一人もなかつたやうに思ふ。私は東京にも遊学したことのある同じ年頃の青年のゐる、丸嘉といふ土地

か山口とか近県の人達ばかりで、大阪は勿論、東京人などは一人もなかつたやうに思ふ。私は東京にも遊学した

でもそれに罹つた訳である。それに二月も東京を離れて、遊惰な日を送つてゐたので、何となく不安

つまり支那料理の紅焼鯉に似たもの)をもつて東京へついたのは、下宿の窓は若楓の葉がそよいでゐる晩春の

うど私と行違ひに、或る工学士に片著いて、東京へ立つたばかりのところであつた。別に失望するといふ程のこと

渋谷

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行雄氏が醍醐寺を訪問するといふので、案内役の渋谷氏が私をも誘つたので其の一行に加はり、所謂醍醐の花見

が、自分の姿が寂しいやうな感じでもあつた。渋谷氏は二度も私を迎ひに来たが、或る日其の頃政友

を瞥見した。京都には自由党の支部に長岡以来の渋谷黙庵氏がゐたが、帰りに立寄るやうに言つてよこしたので、