足迹 / 徳田秋声
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奥ではもう湯灌もすんで、仏の前にはいろいろの物が形のごとく飾られ、香
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て、その土地のことを話して聞かせた。それは茨城の方で、以前関係のあった男が、そこで鰻屋の板前をして
ここへ来る少し前に、茨城の方から叔父のところへ長い手紙をよこしたお照のことなどが、思い浮べ
やりきれなくなって、姿を隠してしまった。それが茨城まで流れて行ったことは、叔父も知らなかった。手紙には相変らず
そう言った。お庄がお照の稼ぎに行っている茨城の方へでも行けば、自分の体一つぐらいは、自分の腕一
「まかり間違って、茨城にいるお照さんのところへ訪ねて行くにしても、これを売りさえ
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夏を過すあいだ、内儀さんは質素な扮装をして、川崎の大師や、羽田の稲荷へ出かけて行った。この春に京都から越前まで
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の時分に一度ここへ寄って、半日ばかり遊んで行った外神田の洋服屋だとかいう男が、どこかの帰りに友達を一人連れて
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話をする。」二階の部屋を借りて、ここから一ツ橋の商業学校へ通っている磯野という群馬県産れの書生が、薬師の縁日に
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姑はお庄に案内してもらって、久しぶりで浅草や増上寺を見てあるいた。芝居や寄席へも入った。姑はそのたんびに
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その女の家は、雷門の少し手前の横町であった。店にはお庄の見とれるような物ばかり
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。坂の上へあがると、煙突や灯の影の多い広い東京市中が、海のような濛靄の中に果てもなく拡がって見えたり、狭い
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お庄は大木戸から俥をやとって、荒木町の方へ急がせた。二度と帰って来るような気がしてい
荒木町の家では、従姉が相変らず色沢の悪い顔をして、ランプの
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。お袋も一度は斬りつけられて怪我をして、長いあいだ奥州の方の温泉へ行っていたということも話した。
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叔父の好きな取っておきの干物などを炙り、酒もいいほど銚子に移して銅壺に浸けて、自身寝室へ行って、二度も枕頭で声
養女のお庄を相手に騒いでいた。お庄は銚子を持って母屋の方へ来たきり、しばらく顔出しをしずにいると、
お庄はそこに坐って少しばかり銚子に残っていた酒を注いで、独りで飲んだ。器などの散った
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「花の時分は随分忙がしござんしたよ。小金井ももう駄目でしょうよ。」と、女中は茶を汲みながら、お庄の顔
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お庄は大木戸から俥をやとって、荒木町の方へ急がせた。二度と帰って来る
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「阿母さんだって、木曽へ行った時分はねえ。」と、母親は木曽の大百姓の家へ馬に
って、木曽へ行った時分はねえ。」と、母親は木曽の大百姓の家へ馬に乗って嫁に行ったことを想い出していた。
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、羽田の稲荷へ出かけて行った。この春に京都から越前まで廻って秋はまた信濃の方へ出向くなどの計画もあった。そのたんび
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その晩お庄は本郷の方に泊った。
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の話し声を聞きつけて、薄暗い窓の簾のうちから、「鴨川の姉さまかね。」と言って、母親の実家の古い屋号を声をかけるものが
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弟を築地の家に訪ねるかした。時とすると横浜で商館の方へ勤めている自分の弟を訪ねることもあった。浜から
来て、釜の下に火を焚きつけた。親たちが横浜の叔父の方へ引き寄せられて、そこで襯衣や手巾ショールのような物を
横浜の店をしまって、一家の人たちがまた東京へ舞い戻って来るまでには
、母親は奥でいろいろのものを始末していた。横浜へ来てから、さんざん着きってしまった子供の衣類や、古片、我楽多
人の例を一つ二つ挙げた。帰朝してから横浜で女学校の教師に出世した女や、溜めて来た金を持って田舎
と、また湯島の下宿に寄食っていた。正雄は、横浜から来るとじきに築地の方にいる母方の叔父の家に引き取られるし、
た菊太郎の方へ連れられて行った。次の弟は横浜の薬種屋の方に残して来た。
て、田舎へ旅立って行った。父親はそれまでに、横浜と東京の間を幾度となく往ったり来たりした。弟の家の方
お庄は倹約家の叔母が、好きな狂言があるとわざわざ横浜まで出向いてまで見に行くのを不思議に思った。たび重なると叔母は袋へ
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していたことのある友達が助手をしている、駿河台の病院の方へようやく掛け合ってくれた。
湯島の伯母に引っ張り出されて、叔父はその翌日駿河台の病院へ診てもらいに行った。
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そのことを母親に頼んで帰って行ったが、途中で小石川の伝通院前の赤門の家で占いの名人のあるということを想い出して
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とにかくお庄は、叔父を捜しに出かけることにした。入舟町の方から渡って行く中ノ橋あたりは、まだ朝濛靄が深く、人通りも
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。お庄には深い事情の解りようもなかったが、牛込の自分の弟のところに母子厄介になっている親爺の添合いや子供のこと
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には、もう利根川の危い舟橋を渡って、独りで熊谷から汽車に乗った。
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車は湯島の辺をあっちこっちまごついた。坂の上へあがると、煙突や灯の影の多い
「湯島までやって頂戴な。」と、お庄は四辺を見ないようにして
「湯島じゃ皆な変りはないかえ。」
装飾に見惚れながら、長くそこに横たわっていられなかった。湯島の下宿の二階で、女中に見せられた、暗い部屋のなかの赤い毛布
お庄は母親と、また湯島の下宿に寄食っていた。正雄は、横浜から来るとじきに築地の方
お庄は久しぶりで湯島の方へ帰って行った。もといた近所を通って行くのはあまりいい気持
持ち出して灰を振っていた。お庄が身元引受人に湯島の主婦を頼みに行ったとき、主婦はニヤニヤ笑って、
母親、女中に半襟や櫛のようなものを買って、湯島の方へ訪ねて来た。そのころ湯島ではもう大根畠の方の下宿屋
を買って、湯島の方へ訪ねて来た。そのころ湯島ではもう大根畠の方の下宿屋を引き払っていた。田舎で潰れた家
衆が意いのほか心配していることと、叔父や湯島のお婆さんの怒っていることだけは受け取れた。お庄は何だか
た。お庄は体の大きい叔母と膝を突き合わして、湯島の稽古屋で噛ったことのある夕立の雨や春景色などを時々一緒に
その日の暮れ方に、湯島の糺の方へ大学の病室の都合を訊いてもらいに駈けつけたお庄は
やがて湯島の伯母の家の路次口に入って行ったのが、九時近くであっ
湯島の伯母に引っ張り出されて、叔父はその翌日駿河台の病院へ診てもらいに
帰って来たことが知れると、湯島の伯母がすぐにやって来た。
、ああしてうっちゃっておいちゃ悪いがな。」と、湯島の伯母が、蔭で気を揉んだ。
は、一月の末であった。その眼鏡屋を、湯島の伯母の家主が懇意にしていた。家主が以前下谷で瀬戸物屋を
で、出戻りであったが、瀬戸物屋をしまってから、湯島の方へ引っ越して来た。母子二人きりで質素に暮し、田舎へ小金を
遊びに来ている時、お庄は迎えを受けて、湯島の伯母に連れられてしょうことなしに出て行った。
「湯島で来ておれと言うだけれど、たびたびのことだし、そうも行かないで
か懐へ入れて、町に涼気の立った時分に、湯島の伯母の家を俥で出て行った。
その晩のうちに、お庄は雨のなかを湯島まで逃げて来た。
湯島の家へ着いたのは、もう九時ごろであった。元町の水道の
湯島の家では、衆が入口まで出て来て、異ったお庄の姿
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屋の方へ遊びに来ている、お島さんという神奈川在産れの丸い顔の女が、この外人の洋妾であった。
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の方へ出て、それから梅月で昼飯を食べた。大阪生れの丸山の内儀さんは、お庄にそう言って酒を一銚子誂えて
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大師や、羽田の稲荷へ出かけて行った。この春に京都から越前まで廻って秋はまた信濃の方へ出向くなどの計画もあった
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水天宮の晩に、お鳥は奥の方へは下谷の叔母の家に行くと言って、お庄に下駄と小遣いとを借り
女と一緒に、そのころそこに逼塞していた。下谷で営っていた待合も潰れて、人手に渡ってから、することも
の伯母の家主が懇意にしていた。家主が以前下谷で瀬戸物屋をしていた時分からの知合いで、今茲二十四になった
お庄が下谷の方のある眼鏡屋の子息と見合いをさせられることになったの
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で怒ってかまわなくなったって何でもありゃしない。金沢で下宿の厠の掃除までしたことを思や、自分一人ぐらい何を
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いた土木の請負師に連れ出されて、こっちへ来てから深川の方に囲われていた。ここの老爺と一緒になったのは
。叔父とも碁を打ったり、花を引いたりした。深川へ荷がつくと、母親が托けてよこした着物や、麦粉菓子の
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お庄の一家が東京へ移住したとき、お庄はやっと十一か二であった。
東京にゃ流行らないで、こんらも古着屋へ売っちまおう。東京でうまく取り着きさえすれア衆にいいものを買って着せるで心配はない。
「どうせこんな田舎柄は東京にゃ流行らないで、こんらも古着屋へ売っちまおう。東京でうまく取り着きさえ
「あんらも今あれアたとい東京へ行くにしたってはずかしい思いはしないに」と、ろくに手を通さない
「鼻汁をたらしていると、東京へ行って笑われるで、綺麗に行儀をよくしているだぞ。」
人力車で一足先へ行っとれ。」と言って、よく東京を知っている父親は物馴れたような調子で、構外へ出て人力車を
。坂の上へあがると、煙突や灯の影の多い広い東京市中が、海のような濛靄の中に果てもなく拡がって見えたり
くどいお辞儀を続けている母親を見下すようにして、「東京は田舎と異って、何もしずに、ぶらぶら遊んでいるような者
「東京には人浚いというこわいものがおるで、気をつけないといけない
までには、まあよっぽど骨だぞえ。」と女主は東京へ出てからの自分の骨折りなどを語って聞かせた。
、田舎でこそ押しも押されもしねえ家だけれど、東京へ出ちゃ女一人使うにも遠慮をしないじゃならないで……。
自分の経営していた製糸業に失敗して、それから東京へ出て来た。そして下宿業を営みながら、三人の男の子を医師
まあ仮だでどうでもいい。新しいで結構住まえる。東京じゃ、これで坪二十円もしますら。」
「こんな流しは私ア初めて見た。東京には田舎のような上流しはありましねえかね。」
こともないが田舎は何でも仕掛けが豪いで。まア東京に少し住んで見ろ。田舎へなぞ帰ってとてもいられるものではないぞ
てた、丹念に始末をしておいた手織物が、東京でまた役に立つ時節が近づいて来た。その藍の匂いをかぐと
た。張ったその胸を突き出して、硬い首を据え、東京へ来てからまだ一度も鉄漿をつけたことのないような、歯の
、ずっと以前に、商売を罷めて、その抱え主と一緒に東京へ来ていた。抱え主は十八、九になる子息と年上の醜い内儀
や手巾ショールのような物を商うことになってから、東京にはお庄の帰って行くところもなくなった。お庄は襷をかけ
て来ただかい。逃げて来たって、お前の家はもう東京にゃないぞえ。」
横浜の店をしまって、一家の人たちがまた東京へ舞い戻って来るまでには、お庄も二、三度その家へ行っ
茶の間のなかを歩いて見たりした。部屋には、東京で世帯を持った時、父親が小マメに買い集めた道具などがきちんと片
ト梱も二タ梱も殖えた。初めて東京へ来るとき、東京で流行らないような手縞の着物を残らず売り払って来てから、不断
な物がまた一ト梱も二タ梱も殖えた。初めて東京へ来るとき、東京で流行らないような手縞の着物を残らず売り払って
「東京の方が思わしくなかったら、また出てお出でなさいよ。」
その叔父は夙くから村を出て、田舎の町や東京で、長いあいだ書生生活を続けて来た。勤めていた石川島の方
、油屋の帳場に脂下っているそうだで、まア当分東京へも出て来まい。」小父は笑いながら話した。
母親は東京へ来てから、まだろくろく寄席一つ覗いたことがなかった。田舎に
「私は東京へ来て、商業に取り着くまでには、田町で大道に立って、庖丁
一本つけてくれ。私が買うから。」と、しばらく東京の酒に渇えていた父親は、暗いところで財布のなかから金
田舎へ旅立って行った。父親はそれまでに、横浜と東京の間を幾度となく往ったり来たりした。弟の家の方を
年取った内儀さんは、よく独りで、市中や東京居周りの仏寺を猟ってあるいた。嫁や娘たちが、海辺や湯治
した親類もあるこんだもんだで、あの人たちに東京で何していると聞かれて、返辞の出来ないようなむやみなこと
の女で、田舎で芸妓をしていた折に、東京から出張っていた土木の請負師に連れ出されて、こっちへ来てから深川
、きっと独りで行り通してみせる。」と、昨日から方々東京を見てあるいて、頭脳が興奮しているので、口から泡を
日がさして、朝の気分がようやく惰けて来た。東京地図を畳んだり拡げたりして、今日見て歩くところを目算立てし
の知っている八重洲河岸の洋服屋へ行っていた。東京で一番古いその洋服屋は、外国へ行って来た最初の職人であっ
なかった。母親はどんなことをしても、広々した東京の方がやはり住みよいと思った。
、母親も際限なく附いていられなかった。それに久しく東京で母子ともまごついている母親は、村の表通りを晴れて通ることすら出来
もあるで、少し裁縫でも上手になったら、私が東京で片づける。」と、叔父は自分の目算を話した。
「私の病気がよくなったら、阿母さんもゆっくり東京見物でもして下さいよ。」病人は寝台のうえから話しかけた。
で見た、東京役者の芝居の話などが始まった。東京で聞えた役者のことをこの母親もなにかとなく知っていて、
このごろ田舎で見た、東京役者の芝居の話などが始まった。東京で聞えた役者のことをこの
「そうですか。じゃお先へ御免蒙って……東京でもやっぱり島田崩しに結いますかね。」と、嫁はそこへこてこて
「東京じゃもう、大抵毛捲きなんですがね。どうしましょうか。」髪結
上の十九であったが、もう処女ではなかった。東京へ出るまでには思い断ったこともして来た。
繁三をつれて、三月の東京座を見に行った叔父が、がちがち顫えて帰って来た。顔が
あって、子供のあるなかを暇を出されてから、東京へ来て長い間まごついていたことを、お庄も中江などから聞い
お庄はただ笑っていた。東京から離れるということを考えるだけでも厭な気がした。肺病で
「東京に育ったものには、百姓家にとても辛抱が出来まいらと思うが―
は磯野が叔父と碁を打っていた。磯野がまた東京へ出て来たのは十一月の初旬で、お庄は叔父や母親
「東京で開業なさるなら、資本ぐらいは家でどうにかしますよ。」と
一時間ばかりの道程であった。家は古い料理屋で、東京から西新井の薬師やお祖師様へ参詣する人たちの立ち寄って飲食する場所
の三味線などが持ち出された。汽車の間に合わなくなって、東京へ帰れなかった連中もあった。意地の汚い浅山も酔い潰れて、次の
「ええ、東京から皆さん随分いらッしゃいますよ。」
ようであった。いつもそのころになると、お庄は東京を憶い出していた。
、お庄にも悪くはなかった。男はお庄に東京へ出たら、是非店へ遊びに来いと言って、そこを委しく教えて
爺さんは二、三日東京へ出ていて、留守であった。お庄が帰って来る前に
どこへ行っても駄目だよ。」と、お袋は、東京へ行って二日も帰らなかったお庄の心が、まだ十分ここに
、養生をさしてくれそうな隠れ家の的とてもなかった。東京で世話をしてやった友人が町でかなりな歯科医の玄関を張って
と思った。後から暗い影の附き絡っているような東京を離れて、独りで遠くへ出るにしても、母親の体の落着き
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一行が広い上野のプラットホームを、押し流されるように出て行ったのは、ある蒸し暑い日の
上野の広小路まで来たころに、空の雲が少しずつ剥がれて、秋の
そこへ田舎から上野へ着いたばかりの父親が、日和下駄をはいて、蝙蝠傘に包みを持って
お庄はまた弟をつれて、上野まで送らせられた。弟は衆の前にお辞儀をして、紐の
帰りに衆は上野をぶらぶらした。池には蓮がすっかり枯れて、舟で泥深い根を
、そのまま引き取った。田舎から出て来た芳村は、上野へ着くとすぐその足でお庄の家へやって来た。友達から
、病気で困りきっていた金助町の叔父が、ちょうど上野から田舎へ立った日の夕方であった。お庄は正雄と一緒に
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「それに一昨日神田の方で、少し頼んでおいた口もありますで。」
蠣殻町の方へ入り込んでいる。村で同姓の知合いを、神田の鍛冶町に訪ねるか、石川島の会社の方へ出ている妻の弟
人気がなかった。浅山の話によると、ここはもと神田で大きな骨董商をしていた中村の父親の別邸で、今の代
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父親の目論見では、田舎の町で知っている女が浅草の方で化粧品屋を出している、その女に品物の仕入れ方を教わっ
、「家へ帰ったっていいこともないに、どうして浅草で辛抱しないだえ。銀行へ預けた金もちっとはあるというでは
「糺や、お庄が浅草の家を逃げて来たとえ。」と主婦は大声で言った。
「浅草へ行ってから、お庄もすっかり様子がよくなった。」糺は飯
だと、また始末がようござんすがね、お庄ちゃんも浅草の方へお出でなさるんだとかでね……。」
来たりした。弟の家の方を視ったり、浅草の女の方に引っかかっていたりした。終いにまた子供を突き着け
の放浪で、目も落ち窪み骨も立っていた。昨日浅草の方から、母親に捜し出されて来たばかりで、懐のなかも淋しかっ
の板敷きに、脹ら脛のだぶだぶした脚を投げ出して、また浅草で関係していた情人のことを言いだした。
へこの間の話の人にいい口があると言って、浅草の方から葉書で知らせて来た。先方は食物屋で、家は
「何だか浅草に口があるそうで……。」
二、三日経ってから、お鳥が浅草の叔母の方へ帰って行ったころには、店の方からよく働く
一緒になったのは、その男にうっちゃられてから、浅草辺をまごついていた折であった。前の内儀さんを逐い出すまで
行ったらいいだろう。そして小崎の叔父に話をして、浅草なぞは早く足を洗った方がよさそうだぜ。」糺も興の
独りで築地へ行く気がしなかった。それよりは、浅草の方へ帰って行った方が、まだしも気楽なように思えた。
浅草へ帰ったのは、八時ごろであった。お庄は馬車を降りる
た初夏を、お庄は今年築地の家で迎えた。浅草から荷物を引き揚げて来たころから見ると、叔父の体は一層忙しくなっ
姑はお庄に案内してもらって、久しぶりで浅草や増上寺を見てあるいた。芝居や寄席へも入った。姑
お庄はお袋の指図で、浅草にいたころ挿したような黄楊の櫛などを、前髪を広く取った
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へ出ている父親の友達の内儀さんに連れられて、日本橋の方へやられたころには、この稚い弟も父親に連れられて
お庄は日本橋の方で、ほとんどその一ト夏を過した。
体裁に、お鳥から電話をかけてもらって、ある晩方日本橋の家を脱けて出た。その日は一日気色の悪い日で、
自分にもそれほど気が進んでもいなかったが、日本橋の方へ帰って、気むずかしい老人夫婦ばかりの、陰気な奥の方を勤める
それじゃお前、初めの話と違うぞえ、そのくらいなら日本橋にいた方がまだしも優だ。続いて今までおればよかったに。
去年薬くさい日本橋で過した初夏を、お庄は今年築地の家で迎えた。浅草から
いた。それに下の方の病気などがあって、日本橋の婦人科の病院に通いはじめてから、もう二週間の余にもなって
間もなくその医師にも感づけて来た。叔母はまた日本橋の婦人科の医師に診てもらった。
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お庄は時々、こんな電話を向島の方の妾宅から受け取って、それを奥へ取り次ぐことがあった。
そのころからお庄の心もいくらか自由になった。向島の方のお鳥という女が、何か落ち度があって暇を出さ
こっちの仲働きが向島のと入れ替った。そのころからお庄の心もいくらか自由になった
お鳥は来た晩から、洗い浚い身の上ばなしを始めた。向島の妾宅のこと、これまでに渉りあるいた家のことなども、明け
ていた。晩に家で酒を飲んでいると、向島の社長の家から電話がかかって来たと言って、酒屋の小僧が
て行ったが、それきり家へ帰って来なかった。向島へ聞き合わしても、社へ問い合わしても、叔父のその後の居所が解ら
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三日前田舎から出て来た叔母の弟をつれて銀座の方を見に行って、いなかった。
「この人は銀座を見て驚いているんだよ。」弟は笑い出した。
、それからえッちらおッちら歩いて行った。その晩は銀座の地蔵の縁日であった。お庄は帰りにそっちへ廻って、人込み
淋しくなると、叔父はよくお庄を引っ張り出して、銀座の通りへ散歩に出かけた。芝居や寄席のような、人の集まりの
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て花を引いていたんだ。」と、叔父は小川町の通りで買って来たばかりのウイスキーの口を開けて、メートルグラスに
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を話した。お増は自分の親を知らなかった。浜町のある遊び人の家で育ったことだけは解っているが、そのほかの
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ばかりの道程であった。家は古い料理屋で、東京から西新井の薬師やお祖師様へ参詣する人たちの立ち寄って飲食する場所であっ
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むかし品川で芸者をしていたとかいうその母親は、体の小肥りに肥っ
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新宿まで来た時、お庄はとうとう一緒に降りることにした。そうで
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麹町の方の会社へ出るようになってから、芳太郎はこれまでのように
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行っていた。前の会社の用事でもと行きつけた浦賀から、三浦三崎の方へ廻って、そこで病を養っていた。
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や指環などもとっくに亡くなって、汚れたパナマだけが、京橋で活動していた時分の面影を遺していた。そのパナマも、