わが青春 / 三木清

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地名一覧

武蔵野

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歌った若い私であった。あのころの中野にはまだ武蔵野の面影が存していた。私は一高を出て京都の文科に入っ

であるが、京都に移っても忘れられなかったのは武蔵野の風物である。山や海よりも平野が私の気持にいちばんしっくりするよう

パリ

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によって死んでゆくのではないかと思う。後年パリの下宿で――それは二十九の年のことである――『パスカルにおけ

京都

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高を出て京都の文科に入ったのであるが、京都に移っても忘れられなかったのは武蔵野の風物である。山や海

の面影が存していた。私は一高を出て京都の文科に入ったのであるが、京都に移っても忘れられなかった

京都へ行ったのは、西田幾多郎先生に就いて学ぶためであった。高等学校時代

たりしたが、なかなか秀才であった。やはり一高から京都の哲学科に入った三土興三も変り者で、私は彼において「恐る

。変り者といえば、私の高等学校の同級生で、遅れて京都に来た小田秀人などその随一で、大学時代には熱心に詩を作っ

なったように覚えている。私が入学した時分の京都の文科は高等師範出身の者が圧倒的で、私のごときはまず異端者

あの頃一高を出て京都の文科に行く者はなく、私が始めてであった。その後、

東京から、またその翌年には田辺元先生が東北から、京都へ来られた。この時代に私は学生であったことを、誇りと

学者たちがその活動の最盛期にあった。それに私が京都へ行った年に波多野精一先生が東京から、またその翌年には田辺元

当時の京都の文科大学は、日本文化史上における一つの壮観であるといっ

広島

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いたとすれば、森川も変っていた。彼は広島の高等師範から来たのであるが、大学を卒業してから西田天香

東京

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のもので、奥書きには「一九一九年七月十七日、東京の西郊中野にて脱稿」と誌してある。あのころは九月に新学年

想い起すと、その夏、休暇を利用して東京へ出た私は、相良徳三と一緒に中野に小さな家を借りて自炊

。それに私が京都へ行った年に波多野精一先生が東京から、またその翌年には田辺元先生が東北から、京都へ来られた