二人のセルヴィヤ人 / 辰野隆

二人のセルヴィヤ人のword cloud

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パリ

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リヨンからパリに移ったのは冬の最中であった。停車場前から古い汚れたタクシーに

木立を囲む鉄柵も、固く黒く、とげとげしく見えた。青葉のパリしか知らなかった私には、此の蕭条たる眺めがひどく心細かった。今、あらゆる

を見た時、私の発した第一の言葉は「パリの冬は陰気だなア」と云う歎声であった。学生街のみすぼらしい下宿の、

した学生町の安下宿にくすぶらなくては本統のパリは解らない。上等なホテルに泊って、凱旋門を拝んで、淫売を買うなんざ

冬が過ぎ、春が過ぎた。初夏の明るい光が、パリの隅々迄流れるようになった或日の午後、私は不意に彼の訪問

将来ベルグラードの大学の教授になる男だが、それが目下パリに来て、高踏派の詩人ジョゼ・マリヤ・ド・エレディヤを研究している

来たので、自由な独り旅をいい加減に切上げて、再びパリに帰って来た。芝居の期節である。音楽の期節である。

ある。音楽の期節である。秋のサロンが始まる。パリは目と耳とを思う存分働かせるに最もふさわしい都らしい都になってい

イタリアを放浪して歩いた。イタリアのオーストリアに対する宣戦からパリの講和会議。続いて小国の独立、ボルシェヴィキの軍国化、ファシストの擡頭、各国

な変化を目撃した後、Fはフランスに入って、パリに暫く足を停める事になった。主人は一息ついてから目を皿の

秋が更けて、再びパリの冬が近くなった。晴れた日でも河蒸汽でセーヌ河を往来する

論文を発表した事がある。而も其の友人は最近にパリに着いて、現に此の下宿に居る、と告げた。そして私は内藤君

。唯Fはベルグラードに帰る前に、彼を訪ねて、パリの生活の苦しかった事を物語って、既に三月の間、一片の肉

それを固辞して敢えて受けなかった。そして飄然としてパリを去った。

年が改まって、パリは前の年と同じように陰気になった。冬の空を仰ぎながらパリに来

と同じように陰気になった。冬の空を仰ぎながらパリに来た私は、再び寒い風に送られて、パリを去った。そして

パリに来た私は、再び寒い風に送られて、パリを去った。そして帰朝の途に就いた。

ブルターニュ

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呼ばれる地方を経めぐって、古城の数々を眺めた後、ブルターニュの海岸に出てシャトーブリヤンの墓に詣でたり、モン=サン=ミシェルの古刹を

セーヌ

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セーヌ左岸のラテン区の一下宿に行李を卸して、夏以来会わなかったYの

リヨン

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リヨンからパリに移ったのは冬の最中であった。停車場前から古い汚れた