小説 不如帰 / 徳冨蘆花
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番町と飯田町といわば目と鼻の間に棲みながら、いつなりしか媒妁の礼
ぬ。さるにてもこの四五日、東京だよりのはたと絶え、番町の宅よりも、実家よりも、飯田町の伯母よりすらも、はがき一枚
と少し相談もあるからちょいと来るようにッてね、――番町の方でも――承知だから」
けたたましゅう呼びあるく新聞売り子のあとより、一挺の車がらがらと番町なる川島家の門に入りたり。武男は今しも帰り来たれるなり。
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僕を一人連れましてね、当歳の児を抱いてあの箱根をこえて静岡に落ちつくまでは、恐ろしい夢を見たようでした」
うちに、良人も陸軍に召し出さるるようになって、また箱根をこえて、もう東京ですね、その東京に帰ったのが、さよう、明治
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も黙しぬ。馬車の窓に輝きし夕日は落ちて、氷川町の邸に着けば、黄昏ほのかに栗の花の香を浮かべつ。門の
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それよりニューカレドニア、フィジー諸島を経て、サンフランシスコへ、それよりハワイを経て帰国のはずに候。帰国は多分秋に相成り申すべく候。
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流汗を揮いつつ華氏九十九度の香港より申し上げ候。佐世保抜錨までは先便すでに申し上げ置きたる通りに有之候。さて佐世保
香港にて
去る七月十五日香港よりお仕出しのおなつかしき玉章とる手おそしとくりかえしくりかえしくりかえし拝し上げ参らせ候
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「実にいい天気だ。伊豆が近く見えるじゃないか、話でもできそうだ」
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出でて、疾風のごとく馳せつつ、幾駅か過ぎて、王子に着きける時、プラットフォムの砂利踏みにじりて、五六人ドヤドヤと中等室に入り込み
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者、面黒々と日にやけてまだ夏服の破れたるまま宇品より今上陸して来つと覚しき者と行き違い、新聞の写真付録にて見覚えある
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宇治の黄檗山を今しも出で来たりたる三人連れ。五十余りと見ゆる肥満の紳士
もなく、こは片岡中将の一行なり。昨日奈良より宇治に宿りて、平等院を見、扇の芝の昔を弔い、今日は山科
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「だしぬけで、びっくりだろう。実は昨日用があって高崎に泊まって、今朝渋川まで来たんだが、伊香保はひと足と聞いたから
持ち込みよき浪子の事なれば、まさかと思えどまたおぼつかなく、高崎に用ありて行きしを幸い、それとなく伊香保に滞留する武男夫妻を訪う
「はあ、高崎まで」
「高崎のお帰途ですか」ちょっと千々岩の顔をながめ、少し声を低めて「時
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一月より二月にかけて威海衛落ち、北洋艦隊亡び、三月末には南の方澎湖列島すでにわが有に
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。目を上ぐれば和州の山遠く夏がすみに薄れ、宇治川は麦の穂末を渡る白帆にあらわれつ。かなたに屋根のみ見ゆる村里より
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、秋津洲の第一遊撃隊、先鋒として前にあり。松島を旗艦として千代田、厳島、橋立、比叡、扶桑の本隊これに続ぎ
遊撃隊の四艦はまっ先に進み、本隊の六艦はわが松島を先登としてこれにつづき、赤城西京丸は本隊の左舷に沿うてしたがう
乱れ飛び、一は左舷につりし端艇を打ち砕き、他はすべて松島の四辺に水柱をけ立てつ。
て、第二回の戦いこれより始まらんとすなり。松島の右舷砲しばし鳴りを静めて、諸士官砲員淋漓たる汗をぬぐいぬ。
にしたたるも、さらに覚えず。旗艦を目ざす敵の弾丸ひとえに松島にむらがり、鉄板上に裂け、木板焦がれ、血は甲板にまみるるも、
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江戸の敵を長崎で討つということあり。「世の中の事は概して江戸の敵
を長崎で討つということあり。「世の中の事は概して江戸の敵を長崎で討つものなり。在野党の代議士今日議院に慷慨激烈の演説
上、目にて目を償い、歯にて歯を償い、いわゆる江戸の姑のその敵を長崎の嫁で討って、知らず知らず平均をわが
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てしまったのですが、ご存じでいらッしゃいましょう、小石川の水道橋を渡って、少しまいりますと、大きな榎が茂っている所があり
ましたその秋、ひどい雨の降る日でしたがね、小石川の知己までまいって、その家で雇ってもらった車に乗って帰りかけたの
母さま、行っちゃいやよ」と申すのですよ。その日小石川にまいる時置いて行ったのですから、その夢を見たのでしょうが、
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など買い入れ、それよりマニラを経て豪州シドニーへ、それよりニューカレドニア、フィジー諸島を経て、サンフランシスコへ、それよりハワイを経て帰国のはずに
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明治四十二年二月二日昔の武蔵野今は東京府下
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になり来たりぬ。卒然として往年かの二艦を横浜の埠頭に見しことを思い出でたる武男は、倍の好奇心もて打ち見やりつ。
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て豪州シドニーへ、それよりニューカレドニア、フィジー諸島を経て、サンフランシスコへ、それよりハワイを経て帰国のはずに候。帰国は多分秋に相
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アおもしろいぞ。祇園清水知恩院、金閣寺拝見がいやなら西陣へ行って、帯か三枚襲でも見立てるさ。どうだ、あいた口
意のむかうままに、博覧会を初め名所古刹を遊覧し、西陣に織り物を求め、清水に土産を買い、優遊の限りを尽くして、ここ
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のくせにさ。そのはずだよ、ねエ、昔は薩摩でお芋を掘ってたンだもの。わたしゃもうこんな家にいるのが、
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だってしきりとこぼしていなすッたッけ。――赤坂の方でもお変わりもありませんです」と例の黒水晶の目は
浪さんも定めていろいろと骨折らるべく遙察いたし候。赤坂の方も定めておかわりもなかるべくと存じ申し候。加藤の伯父さんは
候。実に愉快な女にて小生も大好きに候ところ、赤坂の方に帰りしは残念に候。浪さんも何かと不自由にさびしかる
赤坂の方も何ぞかわり候事も無之先日より逗子の別荘の方へ一同
「何をしとっか。つッ。赤坂へ行くといつもああじゃっで……武も武、浪も浪、実家も実家
はあ、今日は、なんです、加藤へ寄りますとね、赤坂へ行くならちょうどいいからいっしょに行こうッて言いましてな、加藤さんも伯母さん
それから千鶴子さんも、総勢五人で出かけたのです。赤坂でも非常の喜びで、幸い客はなし、話がはずんで、ついおそくなっ
「そうかな。そいはにぎやかでよかったの。赤坂でもお変わりもないじゃろの、浪どん?」
「それから赤坂の叔父さんが軍司令官で、宅のおとうさんが貴族院で何億万円の軍事費
心配しておいでなさる。どうせ明日はちょっと帰京るから、赤坂へ回って来よう」
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ン余騎の敵イ、なんぞおそれンわアれに、鎌倉ア男児ありイ」
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の移り変わりはひどいもンじゃ。おとうさんなぞが若かった時分は、大阪から京へ上るというと、いつもあの三十石で、鮓のごと詰められた
年じゃった、大西郷と有村――海江田と月照師を大阪まで連れ出したあとで、大事な要がでけて、おとうさんが行くことになって
をして跣足で――夜じゃったが――伏見から大阪まで川堤を走ったこともあったンじゃ。はははは。暑いじゃないか、浪
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として前にあり。松島を旗艦として千代田、厳島、橋立、比叡、扶桑の本隊これに続ぎ、砲艦赤城及び軍見物と称する
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当池には四五日碇泊、食糧など買い入れ、それよりマニラを経て豪州シドニーへ、それよりニューカレドニア、フィジー諸島を経て、サンフランシスコへ、
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吉野を旗艦として、高千穂、浪速、秋津洲の第一遊撃隊、先鋒として前にあり。松島を旗艦
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の夫人繁子。長州の名ある士人の娘にて、久しく英国ロンドンに留学しつれば、英語は大抵の男子も及ばぬまで達者なりとか。
は大抵の男子も及ばぬまで達者なりとか。げにもロンドンの煙にまかれし夫人は、何事によらず洋風を重んじて、家政の
その信仰とその聖書をば挙げてその古靴及び反故とともにロンドンの仮寓にのこし来たれるなり。
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して世界週航を企て申すべく候。その節はこのシドニーにも来て、何十年前血気盛りの海軍少尉の夢を白髪の浪さん
シドニーにて
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さがってるのを、つたって上るのだからね。僕なんざ江田島で鍛い上げたからだで、今でもすわというとマストでも綱で
軍艦のもあり、制服したる青年のおおぜいうつりたるは、江田島にありけるころのなるべし。テーブルの上にも二三の写真を飾りたり。
その母を思いぬ。亡き父を思いぬ。幾年前江田島にありける時を思いぬ。しこうして心は再び病める人の上に
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て見んか。そらアおもしろいぞ。祇園清水知恩院、金閣寺拝見がいやなら西陣へ行って、帯か三枚襲でも見立てるさ。どう
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佐世保抜錨までは先便すでに申し上げ置きたる通りに有之候。さて佐世保出帆後は連日の快晴にて暑気燬くがごとく、さすが神州海国男子も少々辟易、
先日のお手紙は佐世保にて落手、一読再読いたし候。母上リョウマチス、年来の御持病、誠に困り
五月初旬、武男はその乗り組める艦のまさに呉より佐世保におもむき、それより函館付近に行なわるべき連合艦隊の演習に列せんため引きかえし
が乗り組める連合艦隊旗艦松島号は他の諸艦を率いて佐世保に集中すべき命を被りつ。捨てばちの身は砲丸の的にもなれよと
境界を経来たりしぞ。韓山の風雲に胸をおどらし、佐世保の湾頭には「今度この節国のため、遠く離れて出でて行く」の離
「はあ、つい先日佐世保に行って、今帰途です」
来たりてより一月あまりにして、一通の電報は佐世保の海軍病院より武男が負傷を報じ来しぬ。さすがに母が電報をとりし
ほどにもあらざる由を聞きたれど、なお田崎を遠く佐世保にやりてそのようすを見させしなりき。
田崎が佐世保より帰りて、子細に武男のようすを報ぜるより、母はやや安堵の胸
武男が黄海に負傷して、ここ佐世保の病院に身を託せしより、すでに一月余り過ぎんとす。
佐世保を出発する前日、武男は二通の書を投函せり。一はその母に
報ぜしか、浪子は武男の負傷のはなはだしく重からずして現に佐世保の病院にある由を知りつ。生死の憂いを慰められしも、さてかなたを
万分一も通えかしと、名をばかくして、はるかに佐世保に送りしなり。
週去り週来たりて、十一月中旬、佐世保の消印ある一通の書は浪子の手に落ちたり。浪子はその書を
――おめでとうございました。で、ただ今はどちら――佐世保においででございましょうか」
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、足尾、越後境の山々、近くは、小野子、子持、赤城の峰々、入り日を浴びて花やかに夕ばえすれば、つい下の榎離れ
声までも金色に聞こゆる時、雲二片蓬々然と赤城の背より浮かび出でたり。三階の婦人は、そぞろにその行方をうちまもりぬ
かにかき抱きつべきふっくりとかあいげなる雲は、おもむろに赤城の巓を離れて、さえぎる物もなき大空を相並んで金の蝶のごとく
は、目をねむりても行かるべき道なり。下は赤城より上毛の平原を見晴らしつ。ここらあたりは一面の草原なれば、春の
さ。あれが坂東太郎た見えないだろう。それからあの、赤城の、こうずうと夷とる、それそれ煙が見えとるだろう、あの下の方
をのがれて圏外に去らんとし、敵前に残されし赤城は六百トンの小艦をもって独力奮闘重囲を衝いて、比叡のあとを
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片岡中将の一行なり。昨日奈良より宇治に宿りて、平等院を見、扇の芝の昔を弔い、今日は山科の停車場より大津の方
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するだろう。あれが来がけに浪さんと昼飯を食った渋川さ。それからもっとこっちの碧いリボンのようなものが利根川さ。あれが
だろう。実は昨日用があって高崎に泊まって、今朝渋川まで来たんだが、伊香保はひと足と聞いたから、ちょっと遊びに来た
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吉野を旗艦として、高千穂、浪速、秋津洲の第一遊撃隊、先鋒として
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陸軍その他官省の請負を業とし、嫡男を米国ボストンの商業学校に入れて、女お豊はつい先ごろまで華族女学校に通わしつ。
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上るもの、一、二、三、四、五、六、七、八、九条また十条。
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三日を隔てて、浪子は青山墓地に葬られぬ。
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あの下の方に何だかうじゃうじゃしてるね、あれが前橋さ。何? ずっと向こうの銀の針のようなの? そうそう、
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千々岩安彦は孤なりき。父は鹿児島の藩士にて、維新の戦争に討死し、母は安彦が六歳の
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たれども、叔父はこれを厄介者に思いぬ。武男が仙台平の袴はきて儀式の座につく時、小倉袴の萎えたるを
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に、色よき返事このようにと心に祝いて土産に京都より買うて来し友染縮緬ずたずたに引き裂きて屑籠に投げ込みぬ。
通わしつ。妻はいついかにして持ちにけるや、ただ京都者というばかり、すこぶる醜きを、よくかの山木は辛抱するぞと
だ。小浪といえば、ねエお豊、ちっと気晴らしに京都にでも行って見んか。そらアおもしろいぞ。祇園清水知恩院、
はいたるところ剣佩馬蹄の響きと入り乱れて、維新当年の京都のにぎあいを再びここ山陽に見る心地せられぬ。
ぜエますよ。はア、それから殿様とごいっしょに京都に行かっしゃりました御様子で、まだ帰京らっしゃりますめえと、はや思うで
「京都に?――では病気がいいのだな」
浪子を伴ない、婢の幾を従えて、飄然として京都に来つ。閑静なる河ぞいの宿をえらみて、ここを根拠地と
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ありがた味も半ば減ずるわけなり。されば南シナ海の低気圧は岐阜愛知に洪水を起こし、タスカローラの陥落は三陸に海嘯を見舞い、師直はかなわ
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ということあり。「世の中の事は概して江戸の敵を長崎で討つものなり。在野党の代議士今日議院に慷慨激烈の演説をなして
江戸の敵を長崎で討つということあり。「世の中の事は概して江戸の敵を長崎で
、歯にて歯を償い、いわゆる江戸の姑のその敵を長崎の嫁で討って、知らず知らず平均をわが一代のうちに求むる
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けいこまでした令嬢にゃ似合わンぞ。そうだそうだそう山形に置くものだ」
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の事を託したる後、同十三日大纛に扈従して広島大本営におもむき、翌月さらに大山大将山路中将と前後して遼東に向かいぬ。
金州半島に向かいたれど、そのあとに第二師団の健児広島狭しと入り込み来たり、しかのみならず臨時議会開かれんとして、
大本営所在地広島においては、十月中旬、第一師団はとくすでに金州半島に向かい
をとぎつつ健児が歌う北音の軍歌は、川向こうのなまめかしき広島節に和して響きぬ。
どこぞへ行って、一杯やりながら話すとしましょう。広島の魚は実にうまいですぜ」
、わたしも帰京はしても一日泊まりですぐとまた広島に引き返すというようなわけで、そんな事も耳に入らなかッたです
されば、広島の旗亭に、山木が田崎に向かいて娘お豊を武男が後妻にと
に来たりしより間もなく、大元帥纛下に扈従して広島におもむき、さらに遠く遼東に向かわんとす。せめて新橋までと思えるを、
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ましてね、当歳の児を抱いてあの箱根をこえて静岡に落ちつくまでは、恐ろしい夢を見たようでした」
「静岡での幕士の苦労は、それはお話になりませんくらいで、
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それから上野は落ちます、良人は宇都宮からだんだん函館までまいり、父は行くえがわからなくなり、弟は上野で討死
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、扇の芝の昔を弔い、今日は山科の停車場より大津の方へ行かんとするなり。
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いうまでもなく、こは片岡中将の一行なり。昨日奈良より宇治に宿りて、平等院を見、扇の芝の昔を弔い、
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おりから煙を噴き地をとどろかして、神戸行きの列車は東より来たり、まさに出でんとするこなたの列車と相ならび
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明治四十二年二月二日昔の武蔵野今は東京府下
「本当に冷えますこと! 東京とはよほど違いますでございますねエ」
ぶら下がる男だから、何でもないがね、浪さんなんざ東京の土踏んだ事もあるまい」
別荘の方へ一同まいり加藤家も皆々興津の方へまいり東京はさびしきことに相成り参らせ候 幾も一緒に逗子に罷り越し無事
千々岩は親しく往来せる旧同窓生の何某が第三師団より東京に転じ来たるを迎うるとて、新橋におもむきつ。待合室を出づるとて、
を経たれば、喀血やみ咳嗽やや減り、一週二回東京より来たり診する医師も、快しというまでにはいたらねど病
て良人の帰期を待ちぬ。さるにてもこの四五日、東京だよりのはたと絶え、番町の宅よりも、実家よりも、飯田町の伯母
「ねエ、ばあや、ちょっとも東京のたよりがないのね。どうしたのだろう?」
はおらんでしょう、いくに尋ねると何か要があって東京に帰ったというです。変と思ったですが、まさか母さんがそんな事
に向かうに満足を表して去りし後、一封の書は東京なる母より届きぬ。書中には田崎帰りていささか安堵せるを書き、かつ
を活けなどして過ごせるなり。週に一二回、医は東京より来たり見舞いぬ。月に両三日、あるいは伯母、あるいは千鶴子、まれ
の姓名を見出しぬ。浪子は一夜眠らざりき。幸いに東京なる伯母のその心をくめるありて、いずくより聞き得て報ぜしか、浪子
恋しと思う父は今遠く遼東にあり。継母は近く東京にあれど、中垣の隔て昔のままに、ともすれば聞きづらき
なって、また箱根をこえて、もう東京ですね、その東京に帰ったのが、さよう、明治五年の春でした。その翌春良人
に召し出さるるようになって、また箱根をこえて、もう東京ですね、その東京に帰ったのが、さよう、明治五年の春でし
「同じ東京にいながら、知らずにいればいられるものですねエ。それから父
気分のいい時分はこの書をごらん遊ばして――私は東京に帰りましても、朝夕こちらの事を思っておりますよ」
老婦人はその翌日東京に去りぬ。されどその贈れる一書は常に浪子の身近に置かれつ
「それでは先月帰京ったンだね――では東京にいるのだな」
よさまで。殿様が清国からお帰りなさるその前に、東京にお帰りなさったでごぜエますよ。はア、それから殿様と
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「いよいよもって巣鴨だね。困ったやつだ」
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そのほかは無病息災、麹町上二番町の邸より亡夫の眠る品川東海寺まで徒歩の往来容易なりという。体重は十九貫、公侯伯子
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五十三、時々リュウマチスの起これど、そのほかは無病息災、麹町上二番町の邸より亡夫の眠る品川東海寺まで徒歩の往来容易なりという
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たりしが、維新の風雲に際会して身を起こし、大久保甲東に見込まれて久しく各地に令尹を務め、一時探題の名は世
姑がたいへんやさしくするものだから同居に限るっていうし、大久保さんはまた姑がやかましやだから別居論の勇将だし、それはおかしい
に、もう三一はお嫁だわ。それはおかしいの、大久保さんも本多さんも北小路さんもみんな丸髷に結ってね、変に奥様じみ
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が第三師団より東京に転じ来たるを迎うるとて、新橋におもむきつ。待合室を出づるとて、あたかも十五六の少女を連れし丈
新橋停車場に浪子の病を聞きける時、千々岩の唇に上りし微笑は、
、問わんも汽車の内人の手前、それもなり難く、新橋に着くころはただこの暗き疑心のみ胸に立ち迷いて、久しぶりなる帰京の喜び
て広島におもむき、さらに遠く遼東に向かわんとす。せめて新橋までと思えるを、父は制して、くれぐれも自愛し、凱旋の日に
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市の目ぬきという大手町通りは「参謀総長宮殿下」「伊藤内閣総理大臣」「川上陸軍中将」なんどいかめ
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ずというなり。姓は小川名は清子と呼ばれて、目黒のあたりにおおぜいの孤児女と棲み、一大家族の母として路傍に
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たのですが、ご存じでいらッしゃいましょう、小石川の水道橋を渡って、少しまいりますと、大きな榎が茂っている所があります
は時々ほっほっ太息をつきながら引いて行くのです。ちょうど水道橋にかかると、提灯がふっと消えたのです。車夫は梶棒をおろして
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ようでしてね。良人も父も弟もみんな彰義隊で上野にいます、それに舅が大病で、私は懐妊というのでしょう。
だんだん函館までまいり、父は行くえがわからなくなり、弟は上野で討死をいたして、その家族も失踪ってしまいますし、舅もとうとう病死
それから上野は落ちます、良人は宇都宮からだんだん函館までまいり、父は行くえがわからなく
蕎麦屋にまいりましてね、様子を聞いて見ますと、上野の落ちた後は諸処方々を流浪して、手習いの先生をしたり、
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先生をしたり、病気したり、今は昔の家来で駒込のすみにごくごく小さな植木屋をしているその者にかかッて、自身は
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うるあり。春寒きびしき都門を去りて、身を暖かき湘南の空気に投じたる浪子は、日に自然の人をいつくしめる温光を
聞いて落涙し、田崎が去りし後も、松風さびしき湘南の別墅に病める人の面影は、黄海の戦いとかわるがわる武男が宵々の夢
思いて、しいて心をそなたにふさげるなり。彼女が身は湘南に病に臥して、心は絶えず西に向かいぬ。