馬上三日の記 エルサレムよりナザレへ / 徳冨蘆花
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に尽く。此あたりやゝ快濶たる山坡の上、遠くヘルモン山の片影を見得べしと云ふ。今日は空少し夏霞して見えず、余
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エルサレムよりナザレへ
六月四日、エルサレムを立ち、サマリヤを経てガリラヤに赴かんとす。十字架よりナザレの大工場
エル・ビレエにてエルサレムに最後の告別をなし、馬車はいよ/\北へ走る。車中には案内者
ず。車を下りて呼びさまし来る。此は夜をこめてエルサレムより余等の乗る可き馬を牽き来り此処に待てる馬士イブラヒム君とて矢張シリヤ
霞して見えず、余等はこゝにて馬車を下る。エルサレムより約八里。
て、旅亭の址あり、側に泉湧く。ガリラヤよりエルサレムに行くユダヤ人の男女、および駱駝ひき、羊かひなど大勢憩ふ。余等
に小き建物あり。此れこそゲリジム山、昔サマリヤ人のエルサレムに対抗して神を拝せし跡、今山頂の建物は回教徒遥拝所なり、
はる。客は去る時応分の謝金を出して行くなり。エルサレムよりナブルスまで約十二里。
ものなり。目下人口約三万、外人の居留も少なからず、エルサレムに次ぐ都会とす。半日の馬上に足腰夥しく痛めば、見物を廃して休養
所にて、ジヤルルック君一風呂敷買ひ来りしかど、余はエルサレムに、杏に中てられたれば食はず。ほとり近く泉あり。村の婦人
エルサレムよりサマリヤを経て一路エニンに到る迄、常に山上、または峡谷を
如く躍りぬ。あゝあれがナザレか。父母に伴はれてエルサレムよりの帰るさ、弟子を伴ふてユダヤよりの帰途、基督は如何に其なつかしき、つれ
・ホテルの前に馬を下る。今日の行程七里。エルサレムよりナザレまで約二十七里。急げば二日路。
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上、金を流せる入日の空を点破して飛鳥遥にナザレの方を指す。
たるを聖書の画見る心地にをかしと見つゝ、やがてナザレの山麓に到る。石だらけの山坂路、電光形に上りて行く。右手に
の前に馬を下る。今日の行程七里。エルサレムよりナザレまで約二十七里。急げば二日路。
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はれ、赭禿の山頂に小き建物あり。此れこそゲリジム山、昔サマリヤ人のエルサレムに対抗して神を拝せし跡、今山頂の建物
また馬に上りて西へナブルスの谷に入る。南はゲリジム山、北はエバル山に挟まれたる谷なり。ゲリジムの山頂には古き建物の
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を下りて、旅亭の址あり、側に泉湧く。ガリラヤよりエルサレムに行くユダヤ人の男女、および駱駝ひき、羊かひなど大勢憩ふ。
約六百五十呎、人口二千左右の小邑、サマリヤの山尽き下ガリラヤの平原起る所の境にあり。ホテルの窓より眺むれば、展望幾重
は峡谷を過ぎて来り、エニンより一歩北すれば忽ち下ガリラヤの野、パレスタイン第一のエズレル平原、またの名エスドレロン平原に下りぬ。
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西へナブルスの谷に入る。南はゲリジム山、北はエバル山に挟まれたる谷なり。ゲリジムの山頂には古き建物の跡多く、エバルの
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露の朝日をあたら馬蹄に散らしつゝ、やがてギルボア山に到る。是れサウル、ヨナタンのペリシテ人と戦ふて討死せし処、多恨の
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ドタンより丘を越えてカバチエーに到る。パレスタイン第一の橄欖林あり。皆古木。何千株なるを知らず。橄欖の実
て来り、エニンより一歩北すれば忽ち下ガリラヤの野、パレスタイン第一のエズレル平原、またの名エスドレロン平原に下りぬ。エニンを出でゝ三